◎聖母マリアは救済のドラマには不可欠
聖母被昇天とは、聖母マリア様が霊魂も肉体もともに天に上げられたという教義で、カトリックでは、1950年11月1日に、教皇ピオ十二世(在位1939~1958)が全世界に向かって、処女聖マリアの被昇天の教義を認めた。
キリスト教では三位一体と言いながら、実質二位一体ではないかなどと宗派の外から評された原因は、太母の不在だったわけだが、聖母信仰は、公認されないまでも黒い聖母などでずっと昔から生きており、20世紀になってから公認されたわけだ。
聖母被昇天の公認については、晩年の心理学者C.G.ユングが高く評価していたのであるが、カトリックでは、聖母被昇天が公認されたからと言って、特段信仰が盛り上がるという動きはなかったようである。
その原因は、天国と地獄の結婚、反対物の一致、えり好みをしないことが問題となるような信仰の境涯の進んだ人たちだけにとって聖母被昇天が重要な問題として浮かび上がって来るからなのだろうと思う。
そのあたりは、C.G.ユングの晩年の著書『結合の神秘/ C.G.ユング/人文書院』での聖母被昇天に関する記述を見ると、ある程度輪郭を理解できるような気がする。結合の神秘の「結合」とは対立物の結合のことだからである。
ユングは、神の息子の元型には自明のこととして母なる女神が含まれていると見る(上掲書ⅡP326)。修行者は、老いたる子を産むと言うが、産む以上は母なる女神が当然に含まれている。
一般に天国と地獄の結婚と言えば、天の新郎新婦の部屋で行われるのだが、聖母マリア被昇天においては、処女マリアはその部屋へお昇りになって息子と母の再結合が起こった。つまり結合は一回とは限らないのだ。(上掲書Ⅰ P436)
聖母マリア被昇天では、男性的なものと女性的なものが再結合するのだが、それは男性的なる「霊」と女性的なる「魂」の再結合(グノーシス主義者のエレナイオスの説)であって、またカバラ神秘主義のティフェレト(栄光)(=男性)とマルクト(王国)(=女性)の結合という見方に(上掲書ⅠP307)も展開していく。
つまり男性的なるものと女性的なるものが再結合とは、精神と肉体の再結合なのだ(上掲書ⅡP252)。
ここで、三位一体+聖母マリアとは、以下の図となる。(上掲書ⅠP237)
聖霊(鳩)
キリスト + 父なる神
聖母マリア
太母である聖母マリアは、昔から暗黒、闇のシンボルでもあり、悪魔にも結びつけられていて、昔から三位一体の外側で活動していたが、キリストの敵対者として救済のドラマを成立させるためには不可欠であったこと(上掲書Ⅰ P239)が、1950年になってようやく公認されたのである。
以上を踏まえ、それが何の意味があるのかと思う人もいるのかもしれないが、いみじくもユングも言っている。『宗教的体験にあって肝心なのは、ある元型がどれほど明瞭に定式されうるかではなく、その元型がどれほど人を感動させるかということである。』(結合の神秘Ⅱ/ C.G.ユング/人文書院P327から引用)
その感動をバネに人は大悟に飛び上がる。