新たに唐節度使となった李愬は、敗北を続け地に墜ちていた軍の志気を立て直すため局地戦で勝利を重ねさせ、自信を回復させていった。
正面では四月~八月に李光顔・鳥重胤が淮西軍を圧迫し攻勢を強めた。
しかし朝廷では長い征討による負担に不満が噴出し、宗時代の姑息な体制に戻ろうとする宰相李逢吉等の勢力が増していった。
そのためついに、七月強硬派の宰相裴度は自ら総帥として淮西征討軍を率いることにした。それにたいして淮西軍は董重質に全軍を与えて裴度に対峙させた。
十月李愬はその隙をついて淮西の本拠蔡州を急襲し陥落させ、ついに約四十年にわたる淮西反乱を鎮定した。
正面では四月~八月に李光顔・鳥重胤が淮西軍を圧迫し攻勢を強めた。
しかし朝廷では長い征討による負担に不満が噴出し、宗時代の姑息な体制に戻ろうとする宰相李逢吉等の勢力が増していった。
そのためついに、七月強硬派の宰相裴度は自ら総帥として淮西征討軍を率いることにした。それにたいして淮西軍は董重質に全軍を与えて裴度に対峙させた。
十月李愬はその隙をついて淮西の本拠蔡州を急襲し陥落させ、ついに約四十年にわたる淮西反乱を鎮定した。