4.幽州 常に契丹等と戦い武力を維持していたため、唐末には李可擧は沙陀(李國昌-克用)討伐に活躍し、李威は成徳を支援して河東李克用と対抗した。しかし威は弟匡籌に逐われ、弱体化した所を克用に征服された。克用下で任命された劉仁恭はやがて自立した。仁恭は積極的に勢力拡大を謀って義昌を征服し、魏博・成徳を攻撃した。しかし全忠の北伐には対抗できず敗走して城に籠もり、子の守光に監禁された。守光はやがて全忠麾下に入った。
5.義武 王處存は京師回復に活躍し功績をあげた。その後河東李克用と連携し、幽州・成徳と戦ったが、全忠の北伐には対抗できず麾下に入った。
天祐年間には河北はほぼ朱全忠の勢力圏に入ったが、衰弱した魏博以外は半独立の状態で有りやがて、後唐の勃興時には離反する。
5.義武 王處存は京師回復に活躍し功績をあげた。その後河東李克用と連携し、幽州・成徳と戦ったが、全忠の北伐には対抗できず麾下に入った。
天祐年間には河北はほぼ朱全忠の勢力圏に入ったが、衰弱した魏博以外は半独立の状態で有りやがて、後唐の勃興時には離反する。