河北三鎭の一つ魏博節度使は自立が続き、唐朝から言うと外様にあたる。格式は高い。[ ]は使相にならず。
*田承嗣 廣徳1~大暦14 勢力拡大に努め、常に叛心を抱き、姑息な唐朝は慰撫し続けた。大暦8より平章事→司空→太尉
[田悦]
*田緒 興元1~貞元12 叔父悦を殺して自立、立場が弱く独立心が低下した。貞元12より平章事
*田季安 貞元12~元和7 降嫁した公主の養子ということもあり、一応恭順ではあった。元和1より平章事
*田弘正 元和7~15 傍系より嗣いだこともあり唐朝に忠順であった。成徳王承宗や淄青李師道を威圧し、淄青を解体させた。帰順した成徳軍へ移った。 元和14より平章事→侍中
*李愬 元和15~長慶1 中央より派遣された。李晟の子であり、淮西呉元濟を平定した名将であるが、既に病身であり太子少保に移った。平章事
[田布]
*史憲誠 長慶2~大和3 牙軍の頭目として、前使田布を自殺に追い込んだが、唐朝に心を寄せる息子と自立を志向する牙軍の間を揺れ動いた。牙軍の圧迫に耐えかね、魏博を二分割(魏博貝と相衛澶)して唐朝に引き渡し、自分は河中節度に移ろうとしたが軍乱により殺された。大和1より平章事
[李聴]不入
[何進滔]
*何弘敬 開成5~咸通7 反唐朝的な姿勢をとり続けた父進滔と違い、一応恭順であった。會昌4より平章事→中書令
*何全 咸通7~11 惰弱で牙軍(韓君雄)に殺された。咸通10より平章事
*韓君雄・允忠 咸通11~乾符1 牙軍の頭目である。咸通14より平章事
*韓簡 乾符1~中和3 允忠の子、黄巣の乱に乗じて勢力拡大を謀り南下し、河陽を取り、天平を攻めたが失敗し、牙軍(樂行達)に裏切られ殺された。乾符3より平章事→侍中
*樂行達・彦瑋 中和3~文徳1 牙軍の傀儡であり、子従訓を使って実権を得ようとしたが失敗し殺される。平章事にはなったはずだが記録はない。
*羅弘信 文徳1~光化1 牙軍に擁立される。朱全忠・李克用に侵攻され揺れ動く。平章事→侍中だが初任の記録がない。
*羅紹威 光化1~ 弘信の子。牙軍を粛清するが、弱体化し、朱全忠麾下に入る。光化2より平章事→侍中
*田承嗣 廣徳1~大暦14 勢力拡大に努め、常に叛心を抱き、姑息な唐朝は慰撫し続けた。大暦8より平章事→司空→太尉
[田悦]
*田緒 興元1~貞元12 叔父悦を殺して自立、立場が弱く独立心が低下した。貞元12より平章事
*田季安 貞元12~元和7 降嫁した公主の養子ということもあり、一応恭順ではあった。元和1より平章事
*田弘正 元和7~15 傍系より嗣いだこともあり唐朝に忠順であった。成徳王承宗や淄青李師道を威圧し、淄青を解体させた。帰順した成徳軍へ移った。 元和14より平章事→侍中
*李愬 元和15~長慶1 中央より派遣された。李晟の子であり、淮西呉元濟を平定した名将であるが、既に病身であり太子少保に移った。平章事
[田布]
*史憲誠 長慶2~大和3 牙軍の頭目として、前使田布を自殺に追い込んだが、唐朝に心を寄せる息子と自立を志向する牙軍の間を揺れ動いた。牙軍の圧迫に耐えかね、魏博を二分割(魏博貝と相衛澶)して唐朝に引き渡し、自分は河中節度に移ろうとしたが軍乱により殺された。大和1より平章事
[李聴]不入
[何進滔]
*何弘敬 開成5~咸通7 反唐朝的な姿勢をとり続けた父進滔と違い、一応恭順であった。會昌4より平章事→中書令
*何全 咸通7~11 惰弱で牙軍(韓君雄)に殺された。咸通10より平章事
*韓君雄・允忠 咸通11~乾符1 牙軍の頭目である。咸通14より平章事
*韓簡 乾符1~中和3 允忠の子、黄巣の乱に乗じて勢力拡大を謀り南下し、河陽を取り、天平を攻めたが失敗し、牙軍(樂行達)に裏切られ殺された。乾符3より平章事→侍中
*樂行達・彦瑋 中和3~文徳1 牙軍の傀儡であり、子従訓を使って実権を得ようとしたが失敗し殺される。平章事にはなったはずだが記録はない。
*羅弘信 文徳1~光化1 牙軍に擁立される。朱全忠・李克用に侵攻され揺れ動く。平章事→侍中だが初任の記録がない。
*羅紹威 光化1~ 弘信の子。牙軍を粛清するが、弱体化し、朱全忠麾下に入る。光化2より平章事→侍中