----------------------------
李道裕
----------------------------
大亮の兄の子。父大通は隋通事謁者。
貞觀初
虞部郎中.使高昌
十三年
將作少匠。
十八年
太宗の高句麗遠征時、韋珽が漕運に失敗し、代わって行った。
二十年
宰相張亮が謀叛を企てているという訴追があり、高句麗での敗戦以来不安定な太宗の意向を受けて百官は亮が誅に当たるとした。しかし道裕は証拠不十分で無罪であるとし、太宗の激怒を招いた。
結局亮は誅殺された。
二十二年
まもなく太宗は拙速を後悔した。そして刑部侍郎が欠官となると道裕を選任した。封狄道縣公.
二十二年
萊州刺史
太宗が高句麗再征[將薛萬徹]を企画し、その水軍の準備に当たるが崩御。
永徽元年~二年
蒲州刺史
永徽二年~三年
大理卿。