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常何
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父緒は隋朝散大夫。
李密麾下となり、上柱國.雷澤公。
清義府驃騎將軍.上柱國.雷澤公.
唐に歸附.車騎将軍。
武德二年
世民[太宗]な従い王世充、時德睿、謝名余と戦った。
また徐圓朗・劉黒闥・輔公祐平定に従軍した。
七年八月
馬軍副總管→真化府折沖都尉.特令長上。封武水縣男食邑三百戶。
玄武門の変では世民側に付き閉門して建成軍を遮断した。
貞觀五年
太宗は政事について群臣から意見を求めた。武人で文盲の何は食客の馬周に代作させて提出した。太宗はその内容に感嘆して周[後に宰相]を召し出し、何も人を見る目があると賞された。
六年~十一年
延州刺史
加太中大夫.行延州刺史.進武水縣伯食邑五百戶。
十一年
正議大夫行涇州刺史
十二年
右屯衛將軍
十六年
修營九成宮。
左領軍將軍。
十八年
豐靈等州の兵をもって薛延陀に備えた。
軍還兼右武衛將軍。
十九年
平壤道行軍副大總管として高句麗を討った。
二十一年
資州刺史
永徽三年
黔州都督
上柱国.武水縣伯.
四年五月
卒 66才 贈左武衛大将軍.