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李百藥 字重規
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隋內史令.安平公德林の子
童兒の時多病であったため祖母趙氏が名付けた。。
幼児より才を示した。
蔭位により三衛長。
開皇初
東宮通事舎人
太子舎人兼東宮學士。
妬まれて讒言され辭官。
十九年
襲安平公。
楊素や牛弘雅に引き立てられ禮部員外郎
皇太子勇東宮學士。
五禮律令を定め陰陽書を選した。
煬帝に憎まれて奪封.桂州司馬。
辭官して鄉里に戻った。
大業五年
魯郡臨泗府步兵校尉。
九年
會稽に派遣され管崇の乱に功績があったが煬帝に評価されず、建安郡丞へ遷される。
李子通に捕らえられその中書侍郎.國子祭酒。
杜伏威が子通を亡ぼし、行台考功郎中とした。
伏威の入朝を勧めた。行台僕射輔公祏とともに留守となったが疑われて毒を盛られた。
公祏反しその吏部侍郎。
公祏が平定されると、その与党とされて涇州司戸。
太宗は才を評価して、貞觀元年
中書舎人.安平縣男として五禮.律令を定め、齊書を選した。
貞觀二年四月頃
禮部侍郎
四年四月
右庶子
十年
齊史が完成し、加散騎常侍行太子左庶子。
十年
宗正卿。
十一年
五禮.律令が完成し、安平縣子。
數歲
致仕
二十二年
卒 84才 謚曰康。