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李君羨 字遵禮
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李密に仕えた。
王世充に仕え驃騎となったが世充の人柄を嫌い、唐へ歸附。
上輕車都尉。
世民[太宗]に従い宋金剛を介休に破り、加驃騎將軍
王世充征討に従い馬軍副總管。世充子玄應を撃破する。
竇建德、劉黑闥征討に従い先鋒を務める。
左衛府中郎將。
突厥が渭橋に侵攻すると尉遲敬德とともに戦う。
太宗は「皆が君羨のようだったら、なにを懼れることがあろう」と言った。
左武候中郎將.封武連縣公/武昌郡公,北門長上。
戦場でも讀書を忘れなかった。
十八年~二十年
蘭州都督
左監門衛將軍。
八年
段志玄に従い吐谷渾を討った。
左武衛将軍。
太宗が「武氏女が天下を取る」という妖言を信じ君羨[幼名五娘子.武連公]を疑うようになった。
貞觀二十二年
華州刺史
七月
御史に誣告させ誅した。57才。
天授中
則天武帝は君羨の冤罪を哀れんで官爵を復し、禮葬させた。