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竹槍事件~大本営発表とマスメディアの責任

2011-02-05 | 日本のこと
ここのところ毎回のように竹槍事件について語っています。
この一事件の中に、太平洋戦争中のあらゆる問題点の根本が象徴されており、 
この事件を語ることによって少なくともこの戦争末期の、目を転じれば
ある意味現代にもつながる社会の仕組みそのものの矛盾の緒を知ることにもつながるからです。


戦後になって国民は、大戦中軍部が戦争の経緯について何一つ真実を知らせていなかったことを知ります。
今となっては信じられないというほかないのですが、国力の違うアメリカ相手に緒戦の勝利の勢いのまま勝利できるかのような報道しかされませんでした。

ご存知「大本営発表」です。

「ラバウルから撤退」という場合、実際は撃滅されて飛行機が無くなった結果であっても
「ラバウルから転進」という言葉で説明され、
「隊全滅」を「果敢な戦闘の結果敵に多大な被害を与えるも玉砕」
と言い変えました。

映画「軍閥」の中で、毎日新聞の政治部編集員がミッドウェー海戦の大本営発表を聞くシーンがあります。
高らかに鳴り響く行進曲「軍艦」に乗せてその発表は

「大本営発表
東太平洋海域に作戦中の帝国海軍部隊は6月5日洋心の敵根拠地ミッドウェーに対し
猛烈なる強襲を敢行するとともに 同方面に増援中の米国艦隊を捕捉
猛攻を加え 敵海上 及び航空兵力 並びに重要軍事施設に甚大なる損害を与えたり

現在までに判明せる戦果左のごとし
イ、 米空母艦エンタープライズ型 一隻 及びホ―ネット型一隻撃沈」


ここまで聞いたときに、編集部の社員たちは歓声とともに拍手を始め、「やったやった」
などと口々に言い、ほとんど残りの発表を聞くものはいなくなります。
一人冷静にメモを取る記者がいますが、彼以外はもはや上の空。

この後騒ぎの後ろでラジオはこう続きます。

「ロ、 彼我上空において撃墜セル飛行機約120機
ハ、重油 総群 二カ所 爆破炎上
ニ、他、重要軍事施設爆破」


すでに社員はラジオの前から自分の部署に姿を消し、
「戦争は思ったより早く集結するかもしれませんねえ」
「五十六さんの株も上がるな・・・。東条さんも」
「うちの娘なんかねえ、東条さん東条さんてもうたいへんだもんなあ」
「わっはっは」

てな、和気あいあいの雰囲気。
しかし、もう誰も聞いていないラジオでは「我が方の被害」を取ってつけたようにこう報じるのです。

「本作戦における我が方の被害
イ、 航空母艦一隻喪失 同一隻大破 巡洋艦一隻大破
ロ、 未帰還飛行機35機    以上」




・・・・おいっ。
誰も聞いてないけど、よく考えたらこっちも被害大きいやんけ!

と突っ込む人は、新聞記者にすらいないわけです。
たった一人メモを取っていた記者は
「待てよ・・・なんだか変だぞこの発表は・・・
空母二隻がやられた・・・ひょっとすると」

と冷静に分析を始めるのですが。
因みにこの記者はこの後反戦思想を咎められ憲兵に尋問を受けて社を辞めていった、という設定です。

そもそも、この発表は皆さんご存知のように
「嘘ではないが、言っていないことの方が多い」

因みに史実に残るミッドウェー海戦の日本側の被害は


沈没喪失・・・ ・・重巡洋艦1隻
大破、自沈処分・・・航空母艦4隻
大破 ・・・・・・・駆逐艦1隻
中破 ・・・・・・・重巡洋艦1隻
航空機:喪失艦載機・・289機


だったわけです。
「先に相手に与えた損害を言う」
「こちらの損害については、たとえば自沈処分したものはカウントしない」
「未帰還、つまり帰って来なかった飛行機だけカウントし、撃墜されたと認定されるものについては述べない」
という、もう大本営発表の見本の様な発表なのです。

しかし、

ここで「ろくに報道の検証もしないでwww」
などとインターネット世代の後世の人間が知るものの優越を振りかざすことは許されないことです。

いみじくも東条英機と同じく伍長上がりのヒットラーがその著書で述べているように
大衆を愚昧なものとして煽動することが政治の在り方だと施政者によって考えられているのは、
なにも当時だけに限ったことではないのではないでしょうか。

この「竹槍事件」は、真実を糊塗した戦況しか知らされていなかった国民に真実を伝えたい、
という義憤に駆られた一新聞記者が巨大権力に立ち向かった、という構図です。

新名記者始め、ここに描かれる、そしておそらくは実物の毎日新聞記者たちも、
社会の木鐸としての使命のために自らの進退を賭して立ちあがったのであり、
彼らの気概は高く評価されるべきでしょう。

しかし、それとはまったく別に、いやだからこそ、この映画では大本営発表以前の報道機関、
マスメディアの持つ力とその責任を厳しく断罪しています。


新井記者は「戦況はここまできた」
という出だしで、敗戦の真実を告げ、戦争の継続にも疑問を呈した記事で陸軍の反感を買いました。

しかし、その新井記者はフィリピンで明日出撃する特攻隊員(黒沢年男)に激しくこう詰られます。

「新聞記者 開戦のときには貴様らなんて言ってた?
無敵行軍だ 聖戦だ 万歳万歳!さすが東条さんだ 鬼畜米英撃滅だ・・・
そういったのはどこのどいつだ!

日本中を好戦的にしたのは貴様らだぞ!
負けいくさになったらやめた方がいい、たったそれだけのことを言ってなにが立派なことだ」

「それだけのこと」とは新井記者が描いた竹槍では間に合わぬ、の記事を指します。

「勝つ戦争ならやってもいいのか?」

悄然とうなだれる新井記者。
さらに特攻隊員はたたみかけます。

「貴様らは勝ってるときはべた褒めしやがって負けてくるとみんな東条のせいにしやがる。
貴様らに責任はないのか?」


今日、同じ会社の同じ名前の新聞とは思えないくらい、当時戦争を煽り続けたのは、
そう、ほかでもない朝日新聞であり、毎日新聞であったわけです。

この二社は今日も徹底的に「日本悪玉論」に立ったうえで戦争を批判し断罪し、
いまだに軍の、日本の責任をついてやまないのですが、
いったい何の特権によるものなのでしょうか。

戦争を始めたのは軍です。
当時の軍組織の権力の集中を思えばそれは「日本」であったといってもいいでしょう。
しかし、そこへその日本を連れていったマスメディアは、
歴史を知るものの高みに立って騙された国民を嗤いこそすれ、
自らを省みる責任については全く斟酌すらしてもいないように思えるのです。


そして今現在、
特定の政党のある一派にくみして日本を「どこか」に連れて行こうとしているマスメディアに、
当時の煽動者としての面影を見出しうすら寒い思いがするのです。