25年前に放映されたテレビ番組で、当時存命していた海軍と陸軍の搭乗員が往時を語っている貴重な映像を見ました。
志賀淑雄氏、藤田怡与蔵氏、岡島清熊氏がそれぞれ自分の参加した真珠湾攻撃について語っています。
この中の藤田氏は、真珠湾攻撃のとき、カネオヘ飛行場に自爆した飯田房太大尉の中隊におり、その最後の突入の合図を受けています。
飯田大尉の機は、燃料が漏れており、藤田氏に手信号で送られた合図は
「燃料が無くなったので自爆する」
そして、敬礼をするや機を翻し煙の中へと姿を消したのです。
真珠湾はアメリカ軍にとって驚天動地のショックでしたが、それ以上に猛威をふるった零戦の指揮官機が
眼の前でみごとな自爆を遂げたことは彼らにとって強い衝撃でした。
先日「自分なりの慰霊とは」の日に「観光を一日慰霊に当てる」という形もある、というような話をしましたが、
今度ハワイに行ったら、ぜひ訪れてみたいところがあります。
カネオヘ飛行場の「飯田大尉自爆の地」です。
彼らは、ショックも冷めやらぬ中、自爆した飯田大尉の遺体を丁重に葬りました。
昨日、海軍兵学校で参考館を見学しましたが、アメリカから帰ってきた飯田大尉の片方の靴が展示されていました。
パイロット用のブーツではなく、編み上げ式の短靴でしたが、これは、飯田大尉が履いていたのでしょうか。
それとも、機に積まれていたのでしょうか。
今日、激突した地点には碑が作られ、案内の兵士はそのときの様子を今も語り継いでいます。
碑にはこう記されています。
JAPANESE AIRCRAFT IMPACT SITE
PILOT-LIEUTENANT IIDA, I.J.N
CMDER. THIRD AIR CONTROL GROUP
DEC.7.1941
I.J.Nとはインペリアル・ジャパン・ネイビー、つまり帝国海軍の略です。
例えばレッドバロン、第一次世界大戦の撃墜王リヒトホーフェンは、そのあだ名通り貴族でした。
この頃のヨーロッパの戦闘機には男爵はじめ、社会のトップクラスの出自の人間しか乗れなかったようです。
ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの義務)としての戦線参加義務、そして「騎士」として一対一で戦う空戦。
そこにはスポーツのような、そして文字通り騎士道精神に則った腕の競い合いがあり、
敵を尊重し正々堂々を重んじる空戦が尊ばれました。
映画「レッドバロン」の冒頭シーンは、レッドバロンとの空戦で敗れ亡くなったパイロットの葬式の最中、
上空に飛来した真っ赤なフォッカーが花輪を棺に落として行くというものです。
彼は撃墜した相手が生存していた場合は丁重に扱い、また撃墜した機の部品をコレクションし、
そして己の撃墜数を誇りました。
ヨーロッパの騎士道精神と精神土壌を同じくするアメリカにおいて、
第二次世界大戦になってもこのような考えは継承されたのでしょう。
「エース」を尊敬し、戦後も相手国の「エース」に対しては非常な敬意をもって遇する、という
彼らの「やり方」は、ここからくるものです。
日本の、特に海軍のそれとは精神的な支柱もバックグラウンドも全く違った流れの産物と言えます。
そして、騎士道精神はこのような公正さにおいても発揮されます。
画像は1942年5月、シドニー湾に突入、自沈し自決した松尾敬宇大尉ら、特殊潜航艇の乗員四名を、
礼を尽くした最高の海軍葬で弔うオーストラリア海軍の儀仗隊の様子。
アニメーション「平和への誓約」の一シーンです。
このときシドニー湾には松尾大尉、都竹二曹他、5組の特殊潜航艇が突入します。
(伊二八潜はトラック入港の際米機に撃沈された)
このうち、引きあげられたのは二艇。
海軍司令官グードル少将はこの海軍葬に際し次のような声明を出しています。
「シドニー攻撃で戦死した日本の特潜の勇士をこのように弔うことについて批判がある。
しかし自分はあえてこれを行う。
なぜなら、我が国の兵士が戦死した際に、敵国が同様に、このような名誉を与えることを望むからである。
また、自分は、彼らがこの名誉を受けるに十分な資格があるものと思う。
あのような特潜を操縦するには、最大の勇気を必要とする。
自分は時が来れば自国のために喜んで死ぬ覚悟があるが、しかし、自分は、平時においてさえも、
あのような特潜に乗ってシドニー湾を横断することは好まないということを正直に申し上げる。
勇気というものは、いずれの国の独占物でもない。
それは敵と同様に、われわれの国の人々にも分かち与えられるものである。
かかる勇気は一般に認められている決死的な目的のために、
われわれの命を投げ出さねばならない時が来た場合、
我々の中の幾人が、これら日本の勇士たちが払った犠牲の千分の一を払う覚悟を持っているであろうか。
このような遠征に出発することは、最大級の愛国心である」
戦争そのものが理性を失った最大の愚行であっても、せめてその中であくまでも崇高な精神を尊重するだけの人類としての矜持を持ちたい、そのような行為が「騎士道」からであろうが「武士道」からであろうが―。
そうあろうとした人間は、数多くいました。
ヒッカム空軍基地の中央司令部の壁には、今日もすさまじい数の零戦の弾痕が残されています。
彼らは決してその跡を埋めようとも、建物を壊そうともせず、今日も建物を使い続けています。
起こってしまった戦争を、その爪痕を、忌むべきものとして取り去ってしまうことを彼らは決してしません。
国対国の恩讐を超えて敵国の勇士を讃えるように、アメリカという国はこういう時限りなく公正で曇りがないのです。
世の中には、決して価値観で相いれない民族同士が存在し、その間に衝突が起きるのですが、
少なくともあの当時から、そして現在このような公正さにおいて理解しあえる国同士の間に、
今後決して戦争は起こるはずがない、と私は信じたい。
もう戦争は一対一の騎士道精神的対決の上に行われるようなものではなくなったのですから。
1941年12月7日、ヒッカム基地には一条の星条旗がずっと翻っていました。
今日、この星条旗は、この日の日本軍の攻撃による激しい弾痕の痕を誇らしげに刻み、
永久にアメリカ海軍によって保存されています。
参考:「日本海軍潜水艦史」