「精養軒で御食事してから上野に音楽を聴きに参りましたのよ」
「まあ宜しゅう御座いますこと、その日は省線でお帰りでしたの」
「その日は神保町の學士会館に宿泊いたしましたの」
「羨ましいワ御主人學士様でらっしゃるから」
「マア嫌だわ花子さんたら、
學士たって貧乏學者ぢゃ帝國ホテルに泊まるわけにいかないからぢゃアありませんかホゝゝ」
ってな一日を過ごしてまいりました。
週末上野の文化会館で息子のチェロの先生がリサイタルをされたので、
それを聴きに行くことからこの日のスケジュールが組まれました。
実はですね。
エリス中尉、海軍、わけても海軍士官、わけても笹井中尉に興味を持ちだしてからというもの、
この東京に住んでいて本当によかったと思うことしばしば。
書に残るゆかりの場所や当時のまま残っている場所にも関心を持つようになったからですが、
例えば、銀座。
お気に入りのレストランに行くとき「銀座裏」(松屋の一筋となりとか)に車を止めるのですが
「ここを笹井中尉が・・・・・」
というセンチメンタルな感慨を持たずにそこを歩くことができなくなってしまったのですよ。
特に、どうやら笹井中尉が「銀座裏の達人であったらしい」
という情報を知ってからは。
だから目黒の雅叙園なんかも「ここで兵学校67期最後の大クラス会が・・・・」なんて
いちいち胸を熱くしてしまうのですが、そういうわけでこの「上野音楽会」が決まってからすぐに
一度行ってみたかった上野精養軒のお食事の予約を入れたわけです。
なぜかって?
海上自衛隊で経理補給幹部をしておられた(旧海軍でいうところの主計士官ですね)高森直史氏は、
食べ物から見た海軍史を数多く著述されています。
歴史を食から語るという独自の観点の面白さから、もうエリス中尉大ファンだったりするのですが、
この方の著述に精養軒と海軍との関係を書いた部分があり、それを読んでからというもの
一度行ってみたくて仕方なかったんです。
「海軍士官たる者、洋食マナーを重視すべし。しかるに西洋料理は築地精養軒を利用すべし」
よりによって海軍大臣からこんなお達しが出たのは明治5年のこと。
西郷従道がその職にあった頃です。
海軍兵学校で配られる士官の心得を書いた「礼法集成」には、
食事マナーについて、ナイフ、フォークの使い方、それこそ以前書いたスープの食し方は勿論のこと、
「みかんが出たらどうやって食べるか」
とか、
「バナナ、ブドウ、ビワ、さらにリンゴをフォークで食べるには」
なんてことまで事細かく書いてあるのですが
笑ってしまうのが蜜柑とネーブルが別の項に分けられているんですよ。
その違いは?
気になって仕方ないあなたのために要約すると
蜜柑
「皮のまま四つに割り下まで割らずに中身を出す。
手を『ナフキン』にて拭いたる後、一袋ずつ指先に持ち、汁を静かに吸い
袋を前の皮の中に入れ全部食べたら皮を元のように寄せてきれいにせよ」
ネーブル
「皮をナイフで削ぎ、四つ割にして、リンゴのように食す。
塩、砂糖をかけて食すこともあり」
・・・・えええー!
ネーブルに砂糖やましてや塩かけて食べる人みたことあります?
スイカじゃないんだから。
おっと、全然関係ない話で熱くなってしまいました。
とにかく、このように士官には行きとどいたマナーが要求されたわけですが、
やはり兵学校の一度の練習では場数が足りない、というわけで、
実戦マナーの実習場としてこの築地精養軒が「推奨」されたのでした。
何となれば、その頃海軍兵学校(移転前)、海軍経理学校、水交社、海軍大学、海軍医学校、その後海軍省、
当時はこの築地は海軍関係の施設が集中していたためです。
現在築地の国立がんセンターの門の近くには海軍兵学校跡、ならびに軍医学校碑を見ることができます。
先日お食事をしたこの上野の精養軒は明治9年、上野恩賜公園の開園を機にオープンしました。
お店の人にコートを持たせている間に慌てて撮ったのでろくにピントも合ってませんがご容赦を。
こちらの方を海軍が推奨したということは伝わっていないのですが、
当時の東京に洋食料理店がそうたくさんあったわけではありませから、
当然のことながら素敵な海軍士官とこちらでお見合い、なんてお嬢様もあられたのではないでしょうか。
羨ましい・・・。
妄想はともかく、ここのお料理、正統派フランス料理。
この日いただいたのは
ビーフストロガノフ、鴨のソテー、そしてホタテ、というメインディッシュでしたが、
実にどっしりとした、危なげない正統派フレンチの王道と言ったお味でした。
お食事中デジカメパシャパシャ、というのもなんだかマナーに反する気がして、
メインディッシュは撮りませんでした。
はっと気が付いたら食べ終わっていて
「しまったあせっかく美味しそうな鴨でおまけに横のテーブルで切り分けてきれいに盛り付けてくれたのに
あんまり美味しいから夢中で食べてしまって撮るの忘れたあ」
と悔しがった、などとということは決してありません。
パンが、こういうところにありがちなぱさぱさのものとは一線を画す異常な美味しさでした。(特にロールパン)
最後のお堂は不忍池のです。
昔は勿論のことライトアップなんてしていませんでした。
さて、海軍士官は精養軒で食べることを推奨されたという話ですが、それが、ただ推奨されるのみならず、
「務めて食べるように」どれだけ実際に利用したか、ということをチェックされたと云うから、驚きです。
なんと、月末ごとに個人別勘定がチェックされて、精養軒への支払いが少ないものは呼びだされて注意を受けた
といいますから普通ではありません。
・・・・なんか、癒着でもしてたんでしょうか。海軍と精養軒。