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笹井醇一学生

2011-02-13 | 海軍


今日二月一三日は笹井醇一中尉の九三回目の誕生日です。


海軍兵学校の卒業写真に収まる事業服姿の笹井中尉の写真を見つけました。
エリス中尉の中指お絵かき画像であっても、どれが笹井生徒かお分かりですよね?


そう、右から三番目が笹井生徒です。
こんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが・・・なんてかわいいんでしょう。
このメンバーは同分隊の、右から

中村克己
大井隆三
笹井醇一
北川貞夫
田中一郎
上田淳二
中尾犬次


で、中村生徒、田中生徒以外は全員が戦死しています。
田中生徒は笹井生徒のあだ名「シャモ」の名付け親です。
笹井生徒に限らず、「例によって口の悪い田中」(肥田真幸大尉談)によってあだ名を付けられた学生は
たくさんいたそうです。

いますよね、そういうひと。あだ名つけの名人。

笹井生徒がシャモのあだ名を賜り、坂井三郎氏がそのことを知ったとき
「うまい!まさにその通りだ」
と膝を叩き、海軍の仲間は親より本人の特徴をつかむのが上手い、と感嘆したように、
このあだ名は的を射ていたようです。

というのも、皆が口を揃えて笹井生徒は気性が強かったと証言しているからで、
たとえば口論になるとその徹底的な負けず嫌いゆえに身近な友人は「甚大なる被害」を被った模様。
特に霞空で同室だった命名者田中少尉(当時)は「ハートナイス」といいながらも
「時おりケンカになると大変だった」と述壊しています。

しかし、この屈託のない笑顔を見ていても十分に想像できるのですが、
率直で純情、全ての人に好かれ可愛がられ、また尊敬された、と
同期の入谷清宏少佐(昭和一九年七月ペリリューで戦死)が書き遺しています。


笹井生徒の兵学校時代については、一期下で同分隊であったこともある作家の豊田穣氏が
いろんな作品に書いていますが、鴛渕大尉について書いた「蒼空の器」の中で、
角力の大会で何人も勝ち抜いて注目を集めた、という部分があります。

それを裏付けるのが同期の星出隆臣生徒の追想記です。

「東京の都会育ちに似合わず頑張り屋でファイトがあり、角力で細い体で土俵際で頑張り
うっちゃっては勝星をあげていたのを思い出す」


柔道も巧者だったといいますから、きっと瞬発力のある柔軟な筋肉の持ち主だったのでしょう。

学生時代から飛行機の操縦は上手く、同級生は「天性の勘の良さ」と一目も二目も置いていたようですが、
ここで学業成績についてひとつ。
笹井生徒がハンモックナンバーをおおいに落とすことになったらしい科目があります。

通信のトンツーでした。

「海の男の通信勤務」の日に、この件について少しお話ししましたが、そのときに
「ああ言うとこう言う」「乃木東郷」「路上歩行」「ネーモーだろう」「んめえうめえな」
などと言いつつ覚えるトンツーの話をしました。
これは兵学校での必須科目なので、海兵合格の通知を受けたとたん前もって練習し、
入校に備える生徒がほとんどだったそうです。
というわけで入校時にはほとんどの生徒ができるようになっていたというのですが・・・。

とにかく彼は「不思議と」(同級生談)このトンツーだけは大の苦手であったそうです。
しかし、ここが「シャモ」のシャモたるゆえんの負けず嫌い、
田中一郎氏言うところの「妙な言い訳」によると、

「俺は勘が良すぎてトンツーのスピードが合わないのだ」


やっぱり、この言い訳を見ても、いちいち「敵編隊捕捉」と打つのに

「手数な方法聞いてへんめえんめえなタール伊藤方法相当高価苦しそう」
なんてやってられっかよ!敵編隊捕捉したらすぐさま出撃だ!


ってひとではなかったか、という想像、当たってる気がします。