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給糧艦「間宮」

2011-02-27 | 海軍



いつも気の毒ないかつい水兵さんの帽子ですが、ペンネントに書いてある文字が正確ではありません。
1943年から水兵帽に「大日本帝国海軍」と書いたものが支給され、
例えば「男たちの大和」にでてきた水兵たちは皆このタイプをかぶっていますが、それまでは
「軍海國帝本日大」と、たとえば
「島霧艦軍本日大」「隊逐駆七第本日大」「校学術砲軍海」と言った具合に、
所属が印字されたものが二種類貸与されました。
ですのでこの場合は正しくは「宮間艦軍本日大」です。
が、あえて説明のために特務艦をつけてみました。わかりやすいですね。

決して、画像を描いてから、本当はどうだったのか調べて間違いに気付き「しまったああ」と思ったものの、
描き直すのが面倒なのでわざとそうしたことにしているわけではありません。

(と、書いて半年。
ある日、「間宮」は軍艦ではないことに気付いてしまいました。
だから、「大日本帝國海軍」以外のバージョンは、「特務艦間宮」で正しいのかもしれません。
しかし、特務艦のペンネントの資料が無いので、断言はしません。
もしそうなら、面倒で描き直さなかったのが功を奏したということでしょうか?)


さて、前置きが長くなりましたが、間宮という艦船(ふね)をご存知でしょうか。
帝国海軍の「給糧艦」(きゅうりょうかん)です。

給糧艦とは、食料貯蔵設備を持ち平時には艦隊への補給をする「賄い配給係」のフネでした。
当時帝国海軍唯一の給糧艦が間宮だったのです。
戦時には、戦地に食糧を補給する役目をも担っていました。

フネは女性に喩えられますが、間宮はまさに「お母さん」だったのです。

大和は3000人が乗船していましたから、それなりに食糧を貯蔵し、
「海軍おやつ」の日に少し話したように、アイスクリームを作ることもできるくらい
食料に関しては充実した設備を持っていましたが、やはりそれは本業ではありません。



間宮の艦内には冷蔵庫や冷凍庫のスペースが多く、
肉、魚、野菜など1万8千人の三週間分の食料を貯蔵できたということです。
アイスクリームはもちろんのこと、最中、饅頭などの嗜好品からこんにゃく、豆腐などの日本固有の食品まで
多くの加工食品が製造でき、そのために専門の職人が軍属として働いていました。


本艦が入港すると新鮮な食料が各艦に補給され、あるいは士官将官の「クラス会」「宴会」も
艦内で行うことができたので、勿論のこと人気のフネでした。


そういうフネですから、水もふんだんに使えました。
艦船における水の使用量の厳しさは、洗濯や入浴さえ碌にさせてもらえないのが普通なので、
間宮の乗員はそれだけでも羨ましがられたことでしょう。

そして!当然のことながら、食べ物を運ぶフネ、まるで米櫃に住んでいるねずみのようなものです。
ギンバイもここのは肉を取ってきてこっそり焼いたり(匂いでばれないのか?)と
下士官以下役得を思いっきりエンジョイしていたようです。


しかし、給糧艦といえど敵に狙われないわけではなく、というか、
給糧艦と分かればさらに狙われることになったのでしょう。
その損失は食糧補給の生命線を断つことであり、おまけに相手は軍備もほとんど無いので
ろくに反撃もしてこないからです。

1943年(昭和18年)10月、父島沖でアメリカ潜水艦「セロ」(SS-225)
翌年5月には東シナ海でアメリカ潜水艦「スピアフィッシュ」 (SS-190) の雷撃を受け損傷しています。

給糧艦がたった一隻、というのはさすがにまずいと思った海軍は、1941年、
伊良湖という給糧艦を開戦直前に建造します。

伊良湖はおもにルオット、トラックへの補給を行いますが、1944年9月に艦載機の攻撃により大破着底。
わずか3年の寿命でした。

間宮もその三カ月後の昭和19年12月20日、サイゴンからマニラ方面へ糧食輸送に従事中に
海南島東方の南シナ海でアメリカ潜水艦「シーライオン」 (SS-315) の雷撃を受けて戦没しました。


ところでこの間宮はもう一つの顔を持っていました。


艦内のスペースに余裕があったので、そこに最新式の受信機や測波機を装備しており、
艦隊同士の通信状況、規定を守っているかとか、周波数を守っているかとかをチェックする、
お目付というか、お耳付け役だったのです。
お母さんは、子供たちの電話やメールに行きすぎがないように目を光らせなくてはいけないものなのです。

「マアウレシイ ハナコ」

以前書いたこの話がこの通信軍紀にふれなかったのか、
それともそのとき艦隊に間宮がいなかっただけなのか、
手旗だけは間宮の管轄外なので皆やりたい放題だったのかは知りませんが、ともかく、
あまりフザけたことをやっていると、いかに海軍といえども怖い間宮に注意されてしまうのだそうです。

その方法は電報で注意、あるいは印刷物にして配布。
これが来ると、当然下への罰直、あるいは上陸止めなどのお仕置きが待っているというわけです。


給糧艦で、ギンバイをやりたい放題、俺たちろくに風呂も入れなくて洗濯もできなくて
お互いの匂いにうんざりしてるってのに、あいつらは洗濯もできるし
おまけに、ちょっとしたミスやらなんやらを通信不良と抜かして説教してきやがる。

これは・・・嫌われますわなあ。



ということで、間宮の、特に若い通信兵は、気を付けないと
上陸地でうっかり通信不良として通達をしたフネの電信の下士官あたりに
やつあたりの「けんつくを喰わされる」危険があったそうです。
(本日画像)