「対象に対して多少なりとも愛が無いと私は描かん!」
などと榊原莫山の言いそうな(言わないか)啖呵を切った直後でありながら、
見るからに対象に愛のない画像をアップしているエリス中尉です。
ふふーん、こんな画像、2分で下書きして3分で塗りつぶして、ちゃちゃっと仕上げたんだもんね。
と、別に威張らなくたっていいのですが、いやー、便宜上挙げたとはいえ、あからさまな手抜き画像ですな。
まあ、いいんですよ。これがこの顎の無さで田中康夫氏だと云うことさえ分かれば。
というわけで今日の話題なのですが、エリス中尉、小説というものをあまり読みません。
高校生大学生の時、いわゆる話題作とか、古今東西名作と言われるものはそれなりにがっつりと読みましたが、
当時からどちらかというとノンフィクション、特に歴史モノ好きでした。
なので、この田中康夫氏の小説というものを一冊しか読んだことがありません。
それが「何となくクリスタル」だったんですが、驚くべきことに読み終わって本を閉じた瞬間、
内容をきれいさっぱり忘れてしまったんですねー。
まるでクリスタルのように、透明で、何も読後感が残らなかったんですねー。
爾来、この方のことは「多少小説らしきものもかけるスッチーおたく雑文家」という位置づけで見ていたのですが、
阪神大震災のとき、被災地に乗り込んでバイクであちらこちらを周り、ボランティア、じゃなくて取材活動を始めたとき
「気持ちは分かるが、なんだかヘンな方向に行っているなあ」って思いました。
(特に、活動拠点の大阪の某一流ホテルのスタッフから、エリス中尉いろいろと聞きましたのでね。
まあ、ここでそれを言うのもフェアではないので書きませんが)
さて、その後、政治家になってみたり、さらに混迷の度合いを強めて
「いったいあなたは何がしたいのだ」と思っていた頃、ある彼の雑文を読んで「フ―ム」と唸ってしまいました。
「何となくクリスタル」なみに、その内容はさっぱり忘れてしまったのですが内容はつまり
「人の悪口」。
御存じ、彼の天敵、村上春樹氏に対する罵詈雑言です。
今回、ふとそのことを思い出して、検索してみたら、しっかり
「田中康夫の村上批判」というジャンルで検索出来てしまったのですが、不思議だったのは、
今現在田中氏が村上氏を非難している内容は、その当時私が読んだものとは全く違う内容なんですね。
田中氏は、村上氏が「エルサレム賞」を貰って、その受賞式で述べた
「対象は壁、作家は卵だとしたら、潰れてしまうと分かっていても卵の立場を選ぶ」
みたいな(間違ってたらすみません。この際、その内容については言及しないのでいい加減)言葉、
そして、「ノーベル文学賞欲しさの営業活動」であるところの授賞式参加、などを、浅田某氏との対談で
口をきわめて?非難しています。
遡ればサリン事件の後、村上氏が被害者のその後を「アンダーグラウンド」というノンフィクションに著したことも
「ノーベル賞はノンフィクションも書いている作家に与えられることが多いから(そうなんですか?)つまり、
ノーベル賞狙いの営業活動だ」
とこの著作をしたことそのものを批判しています。
ネット界では、この色々について、やはりいろんな意見が戦わされており、村上ファンの中でも
「村上小説のファンから見ると、異様なテーマなので賞狙いの営業活動だるという田中の非難は正しい」
などという人もおり、
それこそ百家百論の様相を呈しているのですが(←おおげさ)、
村上春樹氏の小説を読んだことがない(エッセイは好きでしたが)わたしとしては、今やこの村上氏が
世界中で読まれ、現代日本文学の旗手と言われ、ノーベル文学賞の候補にまでなっている、ということに、
小説家としてデビューしていながら全く芽が出ずいろんなことに手を出して、ついには政治家にまで
落ちぶれて?しまった田中氏が、単純に嫉妬しているだけにしか見えないんですよね。
わたしが以前読んだのは、確か、小説の内容に対する批判に始り、人格批判であったように思います。
しかし、それを読んだからといって
「ああ、村上はそういう才能のない作家で、どうしようもない奴なんだな」
とは、誰も思わないでしょう。ただ
「田中康夫がこうやって公器を使って人の悪口をいっている」
という事実だけが残って、オシマイ、です。
百歩譲って、いや、もしかしたら、田中氏のいうことは、ある論陣にとっては正論なのかもしれません。
わたしはそれが卑しいこととは決して思いませんが、村上氏が田中氏のいうように
「ノーベル賞が欲しくてたまらない」というのも本当かもしれません。
しかしね。
同じ土俵に立っていうのならともかく、田中氏はなんとこれらのことを、今の自分の主な仕事である「政治家」の立場で、それも政治家として与えられた場所で言った(り書いたりした)というのですよ。
これは卑怯ではないですか?
まあ、つまり、ネットの討論で何人かがいうように
「田中康夫は自分がなりたくてもなれない村上の文学者としての位置に嫉妬している」
「お金のないジャズ喫茶の主人だった男がいまや世界のムラカミと言われているのが面白くない」
ということは、間違いないように思えます。
どんな自分に正当性があっても、どんなに相手が不当に過大評価を得て、それは間違っている、と思ったとしても、
「悪口を言う方が負け」
と、世間の大半は思ってしまう、ということに、田中氏は一刻も早く気付くべきです。
村上氏は、おそらく田中氏の激しい非難を御存じでしょう。
田中氏がもし村上氏のような人間なら、激しい応酬をしてそれこそ泥沼状態になっていた可能性もありますが、
村上氏が田中氏を逆に非難した、ということは寡聞にして知りません。
これだけで、この戦いは村上氏の勝利なのだと思います。
そこで、冒頭のフォレスト・ガンプの名セリフを、田中氏に贈りたいと思います。
Stupid is as stupid as does.(馬鹿と言うものが馬鹿)
それにしても、画像書いていて思ったんですが、田中氏のこういう体型をクレッチマー分類すると
まさに「H型」なんですよね。
顕示質タイプ(H型)
このタイプはわがままで勝気。嫉妬深く、見栄っぱりで我慢するより外側に発散することを好む。
華やかで賑やかな雰囲気を持ち、常に人々の中心にあり続ける。
(社交的)話題も豊富で広い知識を持っている。
流行に敏感で全体的に知的で利口そうな雰囲気である。
常に自分が話題の中心にあることを好み、自慢話が多い。
他人に好かれ、尊敬されることに価値を持っていることから、自分が無視されることを嫌い、
常に自分の方に話を持っていこうとする。(会話の主語に”私”を多用する)
対人関係では人の好き嫌いが激しい。
社交的で一見、 他人に親切であるようにみえるが打算的であることが多く
日が経つにつれ他人が離れて行くことが多い。
良く言えば、子供っぽい性格。悪く言えば大人になりきれない未成熟なタイプ。
(*参考-小太りで赤ら顔が多い)
ウィキペディア(クレッチマー分類より)
おおおおー。
田中氏には何の恨みもないし、好きでも嫌いでもない人ですが、要らないことを大きな声で言うと、
要らない批判もされるのだがなあ、とふと思いました。