ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

エリス中尉IN軍港呉

2011-02-22 | 海軍

求めよ、さらば与えられん。

そんな言葉が脳裏をよぎったのは、画像、赤煉瓦の生徒館前に立ってシャッターを押した時でございます。

江田島に行ってまいりました。

週末になって、息子の学校が火曜日までお休み(真冬休み)であることに気づき、どこかに行こうか、とTОに相談。
一度行った熱海の小洒落た温泉宿はどうだろうか、と聞いてみたけどさすがに土曜日に思いついて、
当日の部屋を取れというのが無理。

「うーん、オレ週明け朝イチで岡山出張だし・・・」
(キラリッ)「何っ?岡山?」
「うん、岡山一緒に来る?何もなさそうだけど」
「いや・・・・。岡山といえば、となりは広島」
「ま、まさか」
「呉に行こう!TОは呉から仕事に行けばよろし」
「岡山まで二時間はかかりそうなんだけど」
「月曜朝6時の新幹線に乗るのと、呉を朝7時半に出るのと、どっちがいい?」
「・・・・呉かな」

てなわけで、その日のうちに新幹線、その日のうちに広島着。
その日の朝には思いもつかなかった海軍の街、呉探訪が実現してしまいました。
それにしても、4時間で来てしまえるんですね。
昔、例えば東北出身の学生さんは短期の休みだと学校に残るしかなかった、と言いますが、
例えば東京出身者でも、新幹線など影も形もないあの頃、大変でしたでしょう。

ご存知広島お好み焼き。
広島駅に着いたのが6時半だったので、駅ビルで名物お好み焼きを夕飯としていただきました。
京阪神出身のエリス中尉は、何故ここにそばが入っているのか全くふに落ちない、
この広島風お好みが正直あまり好きではありません。
神戸に「そば飯」という、神戸出身者には噴飯ものの(しゃれ?)でっち上げ名物が存在するのですが、
「粉もご飯も何でもかんでもソースで一緒くたに食べさせる」というこの下品さがイヤ。
このお店で「このメニューにあるそばの無いのをプリーズ」というと、お店のおばちゃんが
「ここでそばの無いもんを食べても全く意味がない!」と厳かに断言するではないですか。
じゃーなんでメニューにあるのよ。
しかし、そこまでいわれて「いや、そば抜きで」と言えるような勇気のある人間はおそらくいますまい。
郷に入れば郷に従え。長い物には巻かれよ。触らぬ神にたたりなし。頂いてみました。

美味しいといえば美味しかったように思います。
この甘ーいソースで、なんでも「まずくはないが美味しいかどうかはよくわからない」
って感じになってしまうんだと思います。

そして、ホテルにチェックイン。
すると


なぜかウェルカムフラワーが。
カードがついていて「我々の結婚記念日に」
おお!そう言えば今日はそういう日でした。ちゃんとTОは覚えていたんですね。
そして、こっそり(TОはこういうサプライズを仕組むのが大好き)お花を手配してくれていたんですね。

そうか、12年目の結婚記念日。
あっちこっちでパーティしたり結婚式したりした結果一体いつが結婚記念日なのかわからなくなったので、
「覚えやすい2月20日にしよう」ってことにしたんだった。

「感無量だ・・結婚記念日に私の人生の究極の欲望と最終にして最高の願望を実現できるとは・・・」
「んなアンタ、おーげさな」

次の日、朝6時に起きて、TОは岡山に仕事に行きました。
そのまま東京に戻らなければならないということなので、息子と二人で呉観光し、もう一泊することにしました。
呉といえば海軍の街。大和ミュージアム、てつのくじら館、そして海軍兵学校跡。
やっぱりここは、
笹井中尉の、大野中尉の、野中少佐の、そしてああ、多くの兵学校出身の方々の実際に学んだその学び舎に
行かねば!いや行くのだ!と、

傍から見ると異常なテンションの上がりまくった状態で

息子は「よっぽど行きたかったんだね・・・。よかったね」
と、なんだか棒読みみたいに気のせいか比較的冷たい目で言うんですが、
でも、このブログに来られる皆さんならわかってくれますよね?

さて、江田島というのは、実際に島なので、呉から行くのにはフェリーに乗ります。
小用港というところから、20分くらいかな。
そういえば、この小用という地名は、兵学校関係の本で何度か目にしたことがあります。
昔ははしけのようなものだったのでしょうか。
今は、普通に通勤に使われているらしく、バイクや車が結構のりこんでいました。


このフェリー、その名を古鷹といいます。
港に着き接岸数秒後に「がっちゃん」と黄色と黒の部分が降りて、そのまま車がそこをすいすいと乗り降りします。
島民の足、って感じですね。
ちょっとウケた船内の注意書き。
悪影響・・・・。
心臓のペースメーカーかなんかのことなんでしょうか。
勿論、会話の内容が不愉快だったり、物々しかったり、物騒だったりで
「悪影響」を及ぼす、ということではない、と信じたい。

このフェリーには、行きも帰りも制服の自衛官が何人か乗りこんでいました。
黒ジャケットの士官、セーラー服の水兵さんもいましたが、女性自衛官も。
女性自衛官は、制服でしたが、バッグはシャネルをお持ちだったり。
別に官製のものでなくてもいいんですね。

現在、海自に女性自衛官は今1500名いるそうです。
最高位は旧軍でいうところの「少佐」で、そう大きくはないものの、一国のいや一艦の艦長だそうです。
ああ、いいなあ、女性の艦長。
「おもかーじ、よーそろー」
って、かけ声かけてみたい!
ついでに、高角砲なんかちょっと命令して撃たせてみたい!←おい

それにしても、当たり前ですが女性自衛官も制服を脱げば一人の若い女性、
やっぱりシャネルのバッグなんか持ったりするんですね。
(*^_^*)

小用を出てすぐ見える島。
これが噂の軍艦島ってやつでしょうか。
なんだか、見るからに秘密基地のような施設で、格納庫らしきものが見えたりしました。
呉の昭和13年ころの地図を見ると、港の部分が「軍機により割愛」されています。
当時こういう島には何やら重要な秘密があっても不思議ありません。

大和は全くの極秘で作られていて、上から見えないようにむしろで覆われていたそうです。
(兵学校出身者談)

 

さて、江田島の港に着いたら、バスに乗り、わずか数分で兵学校に着きます。
しかし、この道は結構な山の坂道で、バスで数分でも歩くのは大変そう。
兵学校ではバスに乗っていいのは一号生徒だけだったそうですから、
休暇の際はお土産の入った重い荷物を下げて、この道を歩いたわけです。
行きは嬉しくてそんなこと全く苦にはならなかったでしょうが、休暇が終わって、兵学校に戻るとき、
皆何とも言えない
「ああ、また今日から訓練と修正の日々が・・・」
という、サザエさん症候群のどんよりとした気持ちで、この道を辿ったものでしょう。

行きはよいよい、帰りは怖い。
兵学校出身者にとっては、学校と港までの坂道が行きと帰りでは全く違う景色に見えていたに違いありません。

さて、いよいよエリス中尉、その人生の欲望の最終地、海軍兵学校へ・・・・。
待て次号!