与謝野晶子の画像を探していて思ったのですがこのひとって・・・
志茂田景樹に似てませんか?
いえ、似た映像ではなく、どうせ描くならと一番美しい頃のお写真を書かせていただきましたが。
幼少の頃、家には「漫画日本の歴史」がありまして、結構繰り返して読んだものだから
「清少納言は紫式部を苛めてたんだ」とか、
「関東大震災のときに無実の朝鮮人が殺されたんだ」とか、
まあいまにして思えばどっぷりと偏向バイアスのかかった歴史観を
子供心にマンガで楽しく植え付けられてしまったような気がしますが、それはともかく、
その日露戦争の項でこの与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」がでてきました。
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
という「反戦歌」ですね。
日教組始め「戦争反対」「憲法9条を守れ」みたいな論陣の
テーマソングのようになっているこの歌です。
マンガではこのように歌った晶子に軍服を着たおっさんが(誰?)
「この非国民」といい、晶子が
「心(歌だっけ)は自由ではありませんか」
とたんかを切る、というエピソードで、これもまた子供心に
おおーかっこいい、軍に逆らってこんなこと言うなんて、と思ったものですが。
こうやっていろんなことがようやく見えてきて、この歌をあらためて全部読んでみました。
「そうでしょうとも」
以上、感想でした。
昔々、イラクの自衛隊派遣のときに、野党の議員が
「牛歩戦術」を使ったのを覚えていらっしゃいますか?
エリス中尉実はあんまり覚えていないんですが(笑)
因みにその後、自分が政権を取ると強行採決を執行したのは
この社会党出身議員出身者のなれの果て民主党です。
そのときに街で拾ったインタビューの声というのが、
「子供を持つ親として絶対イヤですね」「厭です絶対」
なんていう主婦みたいな答えばかりだったような記憶があるんですよ。
今にして思えば、思いっきりマスコミは反対してたんですね。
この「君死に給うことなかれ」にも
「絶対厭です!自衛隊派遣なんて」
と全く同じ匂いがするなあ、と思っていたのです。
弟よ、戦争で死んだら嫌だ、死なないでほしい、
二十四で人を殺して自分も死ぬために親はアンタを育てたんじゃない
以下延々と同じ調子で「いやだいやだ」が続くわけです。
もちろん文学作品ですから格調高くリズムを持って。
それはあくまでも「心情」であり「感想」であるわけで、そもそもこれは文学作品。
反戦歌を書こうとして書いたわけでもない与謝野晶子のことを責める気にはまったくならないけど
少なくともそれを旗印にして平和運動を展開する、というのはあまりにも底が浅すぎる。
人が人を殺すのは悪い、戦争は殺し合うから悪い、こんなことは自明の理です。
どんな国だって戦争を望んではいないのです。
しかし現実として世界のどこかで必ず戦争が起こっている。
利害、民族、イデオロギー、宗教、生活、慣習、それこそあらゆる要素がぶつかって
起こしたくなくても起こってしまうのが戦争というものです。
戦争に行くのもそこで死ぬのも皆厭にきまっているが、だからといって
このような感情的な文章を旗頭に、国が平和を守りぬけるわけがないではないですか。
ジョン・レノンの「イマジン」だってそうです。
私はビートルズの4人では一番ポールが好きですね。
音楽的に優れていると思いますから。
(解散してからの、特にエボニーアンドアイボリーはカスですが)
あの曲は楽曲としては悪くないけど、それをテーマソングにする「ある一派」は胡散臭く思う。
だいたい、ジョンは思わなかったんだろうか。
たった四人のビートルズですら仲良くできなかったのに、
世界中の人が仲良くなんてなれるわけないって。
こういう「とにかく戦争は嫌だ」を「女子供の理想」というのだろうと、
最近女であるというそれだけの理由で不当な勘違いをされた(気がしている)わたしは
ふと思ってみるのです。
私事ですが。
最近観た映画で言うと、こういう「女子供」の典型的な例が、「戦場のアリア」の
「慰問についてきて夫を脱走させ亡命する美人(馬鹿)歌手」ですかね。
日教組の平和教育というのは、要するにとにかく戦争を起こした当時の日本は悪である、
という審判の高みにたって、この「君死に給う」とか「イマジン」のような
文字通り空想(イマジン)やきれいごとに拍手することしかしていない。
こちらが武器を放棄さえすれば、誰も国に攻めてこない、
たとえ攻められたところで相手を殺すなら殺されて死んだ方がいい、と、
ガンジーの無抵抗主義をまったく恣意的に曲げて解釈したような理論を振りかざす。
無抵抗主義が、形を変えた攻撃なのだと、民族の意志を示すための武器なのだと、
九条信者の誰が知って言っているかって問題です。
相手が攻めてきたら、黙って列を作って一人ずつ殺されていく覚悟でもあるのでしょうか。
「近代社会は欲望人の社会である」とはマルクスの言です。
リゾート地で札束を振りまわしながら豪遊する成金ロシア人や中国人を見るにつけ
マルクスよ、あんたの理想とする社会主義は間違っておったよ、
とつぶやかずにはいられないエリス中尉も、この言葉だけは正しいと認めてあげよう。
かつての社会主義国家、あなたの「タバーリシ」たちは、
たった今欲望人の社会をこうやって享受しています。
あなたが、こちらこそが人間社会の本来の姿と知っていたからこその理想だったのでしょうが。
全ての国が平和のうちにいられる世界なんて、この欲望の存在する限りありえないのです。
その真理に対し「どうあるべき」ということだけを高らかにうたっても
全くそれは意味のないことだと思いませんか?
そもそも、戦争は常に平和を目的に行われる
というメビウスの輪のような絶対の真理に目を向けずして何が平和教育だ、と言いたい。
ご存知のように日教組や九条信者は、自衛隊を軍国主義の象徴のように標榜し、
憲法違反だと糾弾しています。
世界はひとつみな友達なので、武器を捨ててイマジンを歌い
君死にたもうことなかれと唱えれば誰も殺しに来ないのだそうです。
自衛隊の人件費始め、防衛費を今民主政権はどんどん減らしています。
中国のそれが倍々のように膨れ上がっていくのと反比例しています。
しかし、歴史を振り返ると、戦争というのは、必ず国力の不均衡、
つまりバランスが崩れたときに起こるのです。
パワーバランスの不均衡をはかるゲージが危険ゾーンに来るのは
もうすぐではないかと怖れているのはわたしだけでしょうか。
さて、この「よさのん」のおばあちゃまですが、
実は潜水艦事故で亡くなったあの佐久間艦長にこんな歌をささげているのです。
勇ましき 佐久間大尉と その部下は
海国の子に たがわずで死ぬ
大君の 御名は呼べども あな苦し
沈みき船に 悪しきガス吸う
あるいはその後太平洋戦争に参加した四男を激励する歌
水軍の 大尉(だいい)となりて 我が四郎
み軍に征く 猛く戦え
なんだー、全然反戦歌人なんかじゃないじゃん。
これは・・・「マンガ日本の歴史」の啖呵切ったって話は、創作だなどうやら。
これらの歌もちゃんと同一の歌人の作品としてセットで平和教育に使うようなら、
少しは日教組やら九条信者やらにに賛同してあげてもいいんだけど。
というわけで、本日も大上段からお送りしてみました。