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江田島を去るとき

2011-02-28 | 海軍

エリス中尉IN江田島海軍兵学校シリーズの第三回です。
いつまでやるつもりやねん。
と、かすかにうんざりされた方、もうそろそろネタもなくなってくるだろうと思いきや。
まだまだ参ります。覚悟して付き合われよ。


画像は、ご存知教育参考館。
向こうに見えているのはアメリカに捕獲されてのち帰ってきた特殊潜航艇です。

ここは東郷元帥の遺髪を始め、兵学校出身者の遺品などを展示しており、
勿論兵学校時代から生徒が礼拝していた「聖堂」ともいえる場所です。
昔は皆靴を脱いで階段を上がっていましたが、今は赤い絨毯が敷かれ、
訪れる見学者はまず階段を上って遺髪を収めた部分と対面、それから回廊のように続く展示を見て回ります。

当然なのですが・・・彼らがその昔遺品と対面し、自らも国家にに命を預けることを誓ったその場所には、
その後自分たちの遺品が、そして特攻死した全員の氏名が刻まれて水が供えられた壁が、
戦後新たに加えられました。
このように自分の名が死後ここに刻まれることを、若い純真なかれらは夢見たのでしょうか。

飯田大尉の靴。六十期学生の寄せ書き。松尾大尉の手袋。遺書。軍帽。短剣。
そしてなぜか特殊潜航艇内に残されていた小さな小さなキューピーの人形・・。


まだ幼さのかすかに残るその頬に、微笑みすら浮かべながら死して護国の鬼となっていった彼らの魂の平安を、
わたしは彼らの母親の気持ちになって祈らずにはいられませんでした。

 


教育参考館をもって見学コースは終わります。
わたしが一つ一つの遺品に見いって外に出たときには、ツアーの人たちはもう一人もいず、
案内のおじさんは「時間だから」と迎えに来ていました。

ここはやはり特殊な場所なので、ツアーのコース以外に入りこんだり、勝手に海に出たり、
グラウンドの土(あ、その手があったか)や桜の枝を持って帰ったりしないように、
ツアーガイドはちゃんと最後まで見届けなくてはいけないようです。

しかしツアー後は入口近くのレストランや売店、コンビニ、さらに自衛官の制服を扱っているお店など、
そのあたりなら何時間いても大丈夫です。
ここで売られている自衛官の服、特に黒のセーターなど、普段にも着られそうで、ちょっと欲しかったんですが、
「自衛官専用ですのでご理解ください」
つまり、一般には売れないってことね。

でもせっかくなので一般人が買えるグッズの中から、桜に錨のペンダントと携帯ストラップを発見。
記念に何か欲しかったので、どちらも購入。

そしてお腹がすいたという息子とお待ちかね、敷地内のレストランに行きました。
お昼にはそれこそ売るほどの士官候補生の皆さんがよりどりみどりで?ご飯を食べているのでしょうが、
もうこんな時間だったので、さすがに誰もいません。
ここでいただいたのが海軍カレーと、ラーメン、フライドポテト。
息子は私が頼んだカレーが気にいって、ほとんど食べてしまいました。さすが美味しかったですよ。

カレーといえば以前「金曜日はカレー曜日・・・・なのか?」と書いたところ、
「そんなことは常識です」というコメントをいただきました。

そうですね。漫画「ジパング」では最初の頃のシーンで護衛艦「みらい」のみんなもカレー食べてました。
しかし、その理由については初耳だったのですが、
「フネのなかで過ごすものには、この日は金曜日、とはっきりわかる『カレー曜日』は、
生活にリズムをつけるため必要だから」ということで、思わずなるほどねえ、と納得。
月月火水木金金な毎日にカレーで区切りをつけるわけですね。

その後、お土産ショップに突撃。
「たくさん買ってくれたから」と、紙袋をサービスでいただいてしまうくらい、それこそ山のように買い込んで、
桜に錨マークのエコバッグに詰め込み、江田島を後にしたのでございます。 



それにしてもこんなに買い込んで、そもそも誰も甘いもの、特にアンコものに手をつけない我が家で、
江田島羊羹二本も買い込んで、いったいどうやって消費するつもりなのだろうか。
もしかしたら、わたしはブログにアップするためだけにこういうものを買い込んだのではないだろうか。
これをホテルのベッドに並べているとき、ふと冷静になってこのように自問してみました。
(それにしても、兵学校のカレーって名前、そそりません?たまには混ぜ召しライスカレー、っていうあれですね)

と言うことなので、これからしばらくの間に、エリス中尉と面談の予定のはいっている方、
羊羹やらせんべいを押しつけられる覚悟で来てくださいね。

名残惜しくも、帰る時間が来てしまい、バス停まで戻ると、そこには・・・・
                     (T_T)
    


いや、別に泣かなくたっていいんですが、兵学校見学して、時おり遭遇する未来の士官の姿なんか見て、
感銘を受けつつバスに乗ろうとしたら「君が創る!!」と熱く誘われて、思わずふらふらと電話をしてしまう、
などというパターンを想定してのことですね。
これで、かつて何人か応募があったのでしょうか。
一応、こんな電話番号もありますよ、とここでも掲載しておきますね。
どこで番号をお知りになりましたか?ってアンケートには、ぜひ、このブログの名前を答えてね。

と、相変わらず真面目なんだかふまじめなんだか分からない潜入記ですが、こうやって茶化さなくては
とてももたないくらい、もうずっとそこにいることで身体がしびれるような、胸が潰されそうな、
わあっと叫び出したいような、何とも言えない気持ちに苛まれっぱなしだったのです。

階段の踊り場に、桜の木の下に、グラウンドの光の中に、そして生徒館の窓辺に、
写真でしか知らない、兵学校のころの彼らの姿がありありと見え、歓声や笑い声が聞こえるような気がして。


そんな思いを胸にしたままついに江田島を後にして振り返ると、フェリーの船尾からそこはこんな風に見えました。