中国地方の旅の2回目は昨日に続き笠岡をご紹介します。
「農道空港(笠岡ふれあい空港)」
笠岡の農道空港(笠岡ふれあい空港)は1988年に始まった農林水産省の農道離着陸場として整備された空港で、正式名称は「笠岡地区農道離着陸場」ですが、
現在は「笠岡ふれあい空港」と呼ばれています。
・「笠岡ふれあい空港」で模型飛行機の手入れをするラジコン飛行機マニア達です。
この空港は農産物を出荷するために整備されたものですが、他の農道空港と同様コスト高や高速道路によるトラック輸送の優位性により、当初の事業の継続が困難となって2008年8月に行き詰ったようです。
・このラジコン飛行機はアメリカ製で1機数十万円するそうです。
笠岡ふれあい空港は、現在では遊覧飛行や模型飛行機(ラジコン飛行機)の利用がメインとなっており、模型飛行機界では西日本のメッカと言われているようです。
1995年には模型飛行機世界選手権が開催されました。
・空港の概要
滑走路 巾25m 長さ800m 着陸帯 巾18.5m 長さ920m
エプロン 巾40m 長さ50m 誘導路 巾9.0m 長さ37.5m
・離陸したラジコン飛行機です。
「木山捷平生家」
笠岡市出身の木山捷平(1904年3月26日~1968年8月23日)は小説家、詩人で、「私小説」の代表的作家の一人と言われており、短編小説を得意としたそうです。
「私小説(ししょうせつ・わたくししょうせつ)」とは、作者が直接に経験した事柄を素材にして書かれた小説のことです。
・木山捷平の生家です。
「木山捷平文学賞」と「木山捷平賞」
「木山捷平文学賞」とは、小説家、詩人の木山捷平を記念して1996年4月に設置された笠岡市主催の純文学を対象とする文学賞で、2005年の第9回で終了したそうですが、2006年からは公募新人賞の木山捷平短編小説賞(略称は「木山捷平賞」)が設置されて、毎年2月に受賞作を発表し、3月に授賞式を行っているようです。
この「木山捷平賞」の賞金は100万円だそうです。
・「木山捷平」生家の内部です。
「平医山寶蔵院」(井原市東江原町)
平医山寶蔵院は愛染明王をご本尊として天平9年(737年)に創建されたお寺です。
昭和4年に住職を拝命したこのお寺の僧忍住職は”モンテンルパの父”として敬愛されています。
”モンテンルパの父”と呼ばれる経緯
昭和24年に連合軍マッカーサー総司令官の命を受けて、フィリピンの国際軍事裁判講師として単身で赴任し、モンテンルパ刑務所で日本人戦争受刑者と起居を
共にし、4年間に亘って死刑、有期・無期刑囚と苦労を分かち合いました。
昭和26年、戦犯14人の死刑執行にも立会い、残る戦犯囚の助命のための釈放運動を起こしました。
この間ローマ法王、フィリピンのキリノ大統領らに嘆願し、昭和27年春にモンテンルパの戦犯囚全員の釈放の成果を挙げ、翌年7月22日に108人全員と共に帰国
しました。
昭和31年にはアメリカに渡り、巡講しながら米国関係戦争受刑者釈放を嘆願し成功しています。
その献身と苦闘ぶりが広く感銘を呼び、”モンテンルパの父”として敬慕されているものです。
その後、僧忍住職は高野山大僧正に昇補し、勲三等に叙勲されています。
・僧忍住職が”モンテンルパの父”と敬慕された「平医山寶蔵院」です。
昭和27年には、このモンテンルパの囚人たちを詠った渡辺はま子の歌謡曲「ああモンテンルパの夜は更けて」が大ヒットしました。
・「平医山寶蔵院」の本堂です。