らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

中国地方の旅(その9)萩・伊藤博文旧宅

2010-04-19 | 旅行

中国地方の旅シリーズ9回目の今日は、初代内閣総理大臣となった、伊藤博文の山口県萩市にある旧宅をご紹介します。

・初代内閣総理大臣 伊藤博文別邸の案内板です。


伊藤博文の旧宅は元萩藩の足軽、水井武兵衛(のち伊藤直右衛門と改名)の居宅です。
1854年(安政元年)、伊藤博文14歳の時に、父十蔵が家族を連れて萩藩の中間(足軽)伊藤直右衛門の養子となり、この家に住むことになりました。

・国の史跡に指定されている伊藤博文の旧宅と門です。


伊藤博文は天保12年(1841)に周防国(現在の山口県)熊毛郡束荷村(現在の大和町)の百姓 林十蔵の長男として生まれ、安政4年17歳の時に近くの松下村塾に通って吉田松陰の教えを受けました。
1862年(文久2年)には久坂玄端らと共に公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺を画策し、また品川・御殿山のイギリス公使館を焼き討ちするなど尊皇攘夷の志士として活躍しました。
また英国への留学など、明治元年(1868年)新政府に出仕するまでの14年間はここを生活の本拠としていたそうです。

・伊藤博文が14歳から28歳まで14年間暮らした家です。


伊藤博文が28歳まで暮らした旧宅は、木造茅葺平屋建て、総建坪29坪の小さな家で、風呂場と便所が屋外にある典型的な下級武士の家だったそうです。

・伊藤博文旧宅の間取り図です。
 居宅各室は6畳1室、5畳半1室、4畳半1室、3畳3室、2畳1室、それに玄関と土間です。


伊藤博文は明治憲法制定の任に当たってその功を遂げ、初代内閣総理大臣に就任するなど政府の要職を歴任しました。

・伊藤博文の両親と夫人です。


伊藤博文は参議を経た後、初代の内閣総理大臣、枢密院(すうみついん)議長、貴族院議長、韓国統監となりました。
内閣を四次組成し、明治の元勲といわれ政府の最高指導者となりましたが、明治42年10月26日極東問題で赴いた満州ハルピン駅頭で、韓国統治に反対する安 重根の凶弾に倒れ、69歳の生涯を終えました。

・伊藤博文の銅像です。


・伊藤博文の旧宅全景です。