らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

中国地方の旅(その13)萩市・菊屋家住宅

2010-04-23 | 旅行

中国地方の旅シリーズ13回目は、萩市の「菊屋家住宅」をご紹介します。

菊屋家は、摂津の国(現大阪)住吉大社の歴代宮司、津守(摂津守)国量朝臣を祖とし、中世期大内氏に随身して山口に住み、同氏滅亡後は武士を捨てて町人となった家柄です。
町人となった菊屋家は、毛利輝元が萩城築城の際には有力町人として萩に入り、町造りに尽力しました。
菊屋家は、関が原の戦いくらいまでは津守姓でしたが、後に石川姓・菊屋姓に改めたようです。

菊屋家住宅は江戸初期の建築で約400年の歴史があり、現存する商家としては最古の部類に属し、大型の町屋としてその評価はきわめて高いそうです。

・白壁が美しい「菊屋家住宅」す。


「菊屋家住宅」は萩藩の御用達を勤めた豪商「菊屋」の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として本陣にあてられました。
従って、先祖代々、常に御用屋敷としての体面整備に配慮して、屋敷建物を維持してきたようです。
この住宅の主屋は極めて古く、全国的に見ても最古に属する大型の町屋としてその価値が高く評価され、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財に指定されています。

・菊屋家の御成門です。


菊屋家は慶長9年(1604年)毛利輝元の萩入国に従い山口から萩に移り、城下の町造りに尽力して呉服町に屋敷を拝領しました。
また、阿古ケ浜に藩士や足軽衆のために家を建てて住まわせたので、それ以降、阿古ケ浜を菊ケ浜と称するようになたそうです。
その後、菊屋家は代々大年寄格に任命され、藩の御用達を勤めてきたそうです。

・菊屋家の長屋門です。


約2000坪の敷地のうち、現在約3分の1が公開されていますが、この庭もその一部です。突き当たりの土塀の向こうには広い庭が残っているようです。

・菊屋家書院の庭です。


美術品や貴重な資料等が数多く展示されています。

・主屋の書院です。


この古びた柱時計は、伊藤博文が初洋行の際のアメリカ土産だそうです。
130年以上経っている今も週1~2回ゼンマイを巻くだけで正確に時を刻むようです。



菊屋家に伝わる500点余りの美術品、民具、古書籍などが展示されており、往時の御用商人の暮らしぶりが偲ばれます。



今でも使えるといわれている江戸時代の古地図が展示されています。



菊屋家住宅は、御上使の本陣を命じられたり、藩の御用宅に借り上げられたりした、歴代藩主の信任が大変篤い住宅だったようです。

歴史の街「萩市」には、まだまだ数多くの観光スポットがありましたが、スケジュールの都合上、私達の旅は次の津和野に行きました。
明日は津和野をご紹介します。