12月のうららかな日曜日。
同僚が駅伝に出場するというので、応援に行く。
愛知県某所。
親会社のスポーツ施設にて。
駅伝初観戦。
各部署からの大応援団がランナーの士気を鼓舞する。
名前を呼びかけたり、アドバイスをしたり、
タイムを読み上げたり、応援スタイルは様々。
我々の応援団の直前で、足がつってしまったのか、座り込んでしまうランナーがいた。
沿道の応援者も「がんばれ!」と声をかけることしかできない。
マラソンなら自分のレースについて自分の意思で決めることもできるのだろうけど、
スタートラインで待つ、次や、次の次と後に続くランナーを思うと、
自分の意思で容易に棄権とすることができなかったのだろう。
そのランナーは、レースを断念することも、立ち上がることもできず、
辛そうな表情のまま、ただその場でひたすらもがき続けていた。
結局、しばらく休んでのろのろ歩き始めたが、最終的にどういう結論を出したのかわからない。
駅伝。
できる限り次のランナーに迷惑をかけないよう、
できる限り次のランナーの負担を減らすよう、
後工程のことを考え、
自分のベストを尽くし、次のランナーにたすきを託す。
この時代、
自分(の仕事)はやったよ、でも他の人は知らない、
ってなりがちだけど、
この、たすき渡しの精神こそ、今私達が忘れがちなことかと。
常に後工程を考え業務を実践、または行動する。
心臓破りの坂で表情をぐちゃぐちゃにしつつも必死で走るランナーを眺めつつ、
改めて、業務の『工程』について考えた日曜の午後。
スポーツは生で見るとやっぱいいねぇ。
みんな、おつかれさま。