KOFUKUの家から

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南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

夢というもの

2009-06-07 | KOFUKU日記
皆さんにとって「夢」とはどんなものですか?

夜眠って見る夢は儚いもの。けれど人生の目的とする夢は違います。
私は夢と言うものをイコール現実だと考えています。
そう、夢は自分の中に生まれた時から叶えるべきものなのだ、
と思っているのです。
それは、私の夢が「役者」と言うものであった事も大きいのかも知れません。

小さい頃に抱く夢と言うものは、この世で一番の確実性を持った
世にも漠然としたものではないでしょうか?
それは自分が憧れを抱くものへの道のりを考えず、
それになりたいイコール思えばなれるものなのだ
と本当に根拠無く信じていられるからでしょう。

そんな間違いの無かった夢も、少しずつ時が過ぎてくると、
お父さんやお母さんや周りの大人たちからの声に形が変ってきます。

「○○になりたければもっと勉強しなくちゃ無理よ」

とかね(笑)
そして、年月を追うごとに夢に到達するには
そこまでの「道のり」が必要なんだと知るわけです。


さて私には家族と変らないくらいに愛する「魂の家族」が居ます。
まあ一般の人には理解されない世界かもしれませんが。。。(笑)
その魂の家族である一人の少女が人生の岐路に立ちました。

私は人を年齢では判断しませんし、職業や地位や財産では計りません。
ですから年齢が若い方の中にもたくさんの尊敬すべき仲間が居ます。
彼女はそんな尊敬すべき人の一人でもあります。

そんな彼女は生まれて18年、人生の目的とすべき夢を
一生懸命に探して歩き続けてきました。
そしていくつかの葛藤の末、ある選択をするつもりだ
と、私に話してくれ、いろいろ相談してくれました。

夢は現実にして初めて手に出来るものです。

私と彼女は場所こそはなれていましたが、
夜も寝ないで2日間、その夢が本当に夢になりえるものか、
クールに、そして熱く語り合いました。

そして、夕べ、彼女は一つの答えを出しました。

夢の思い描くのは簡単です。
けれど夢に答えを出すのは容易ではありません。
現実に出来ないと悟った場合はなおさらです。
本当に勇気の居る事です。

彼女はある職業を目指したいと思っていましたが、
プロの目から見れば、それは厳しい結果を伴うものでした。

当初、彼女はバイトでお金をため、お金を借りて、
可能性を知る為に学校に行き、あとは努力で何とかなるかも
と考えていたようです。

しかし、そ現実を見たとき、その努力をする為には
彼女を取り巻く環境整える必要がありました。
その為にはお金や時間と言うものが必要になってきます。
けれど彼女にはその為のサポートが殆どありません。
普通であれば、家族などが請け負ってくれるところを
彼女は自分で作っていかなくてはならないのです。
つまり、生活の全てが彼女にかかってくるという事です。

彼女がもし、どこかで怯めば、夢はそこで終わりです。
「アー、やっぱりダメだったー」
といって笑って引き返せるほど気軽な状況ではありません。

万一、失敗したとする。やった事はそりゃあ、なんだって学びです。
けどそこまで行くのに作ったお金、借りているお金、失くした時間、
そこから他の先に進むにも、それらの負債は自分にかかり続けます。
また新しい何かをはじめるとなれば、
その新しいものの為にお金を作りながら、
過去に使った分も返しても行かねばならない。

事は簡単ではなかったのです。

私に言わせれば、「精一杯やってみれば?」なんて言えるのは、
相手がその環境を備えていると知ってる場合だけじゃないかと思いますが、
これが単純に人事で済ませられたら、大体の人が夢見る人に言うように

「頑張ってみなよー、頑張れば大丈夫だよー」
「何でもやってみれば?やらないよりいいんじゃない?」
「やって為にならないものはないよ」
「失敗もポジティヴに考えて、良い軌道修正になったとか考えれば?」

などと、もっともないい分であたたかそうだけど、
実は相手の立場も状況も考えず、相手には答えにはならない、
どうでもいい無責任な言葉を投げかけていたかもしれない。

実際、よっぽど深く考えてくれるヒトでも居ない限り、
殆どの人に相談しても、そういう「他人事」の返事が返ってくるだけです。

だって、そういう事を口からさらりと言う人ほど、
何かが起こったって助けちゃくれない場合多し(^^;)

「失敗しても身になったんだからいいんじゃない?」
ってもっともな意見を言うくらいでしょうね。
ほら、嘘っ子占い師とか飲み屋のママさんとか皆そんなでしょ?
当たり障りなーく、良いこと言うのよ(笑)

私は基本的にポジティヴ、ネガティヴという事自体が好きじゃないです。
だって、ネガティヴで何が悪いのさ?(笑)ってかんじ?
実際、その彼女もネガティヴなところが一杯あります。
が、私はそれをおかしいとか悪いとか、
直すべきと思った事はこれといってありません。
思うのはそのことで人様に被害が出た時くらいですか(^^;

なぜなら、人の持つ基本的な性格が、
いま持っている才能を育てているからです。
例えば、彼女の落ち込みやすい、不安定な性格があったとします。
でも、その繊細さが、彼女の感覚なのです。
その感覚が彼女から生まれくる才能に繋がっている。
大事にしなくちゃいけないところでもあるのです。
それを取ったらその人じゃなくなってしまう。
特に芸術の才能を持つ人はそうです。

私たち、演出やプロデュースや指導に当たるものは、
その彼らの中にある、深いところに在るものを見つけ出し、認め、
そしてそれを愛することが必要だと思っています。
そのマイナスとも取れる部分を、マイナスではなく、
どう彼らの美しさとして引き出し、周りの人に渡すことが出来るのか。
それが大事なところだと私は思ってます。
中には「それじゃダメだよ」と自分のイメージからはなれてれば
いきなり言い切っちゃう人も居ますが、そういう人は
人を演出出来てるんじゃなくて、自分を演出してるだけじゃないのか?
とすら、私は思ってます。

だからこそ、本人じしんが自分を良く見て、向き合って、
自分を良く良く知って、向き合うことでその一つの出来事の両面をみて、
向き合う出来事や人に対して一番良い状況で居られるように
コントロールできるようになることが必要なんだと私は思っています。

ネガティブもポジティヴも大事なのだよ、才能には、って感じでしょうか?
エゴも無きゃ、思いやりも無いってば、ってことかしら?(無理やりでしょうか^^;)

話は戻りますが、こういう岐路に立った時、人に聞きたい意見は
自分の夢が現実に出来るか、否かの答えになることだと思います。

私は彼女に他人事のようには答えることはできませんでした。
今、ここで出す答えは、彼女やわたしのように、
人によってはものすごく重要だからです。
だからこそ、始める前から夢を判断する事は酷とは思いましたが、
一緒に深く考える必要があったのです。

私も18の時に夢を叶えるべく東京に出てきましたが、
私は今の彼女の何倍も先を見据えるのが大変な環境でした。
わたしの兄弟は全て自分で学費を稼いで学校をでています。
ぶっちゃけ義務教育からです。
そんな私が自分の夢の叶えるには、自分の力で環境を作ることが必要でした。
生活費も、食費も、家賃も、学費も、全てを自分で作らなくてはなりませんでした。
口で言ったり、書くのは簡単ですが、その苦労は並大抵じゃないです。
自分が苦労しながらやってきたことだから
その大変さが誰よりもわかるのです。
ましてや彼女が選んだ世界はとどまることなくお金が必要になってくる場所。
ある意味、それがないと努力すら出来ない厳しい世界。

確かにね、その夢が本物なら頑張れる。自分に確信があるならば。
決して迷いも後悔もしないし、そこで生まれた不幸だって幾らだって背負える。

けど、かけらでも迷いがあったら別です。
そこで迷いがあれば、必ず先で後悔が生まれます。
だって迷って落ち込んだからって「可哀想にねぇ」って
人生が哀れんでくれて生活環境が楽に変るわけじゃないのです。

もしくは夢をかなり現実化するのが不可能に近い場合、
そこで生まれるリスクをどう対処して行くのか
状況次第では、周りにまで迷惑をかけることにもなりかねません。
つまり後先考えず、やることに意味があるのよね!
中途半端になっちゃって後悔するのも嫌だし~、
って思いのままに走ったとしましょう。
しかし、本人は基本的にそういう責任が取れない現状がある。
現実にそうなって生まれてくるものは????

わたしの愛する魂の家族は夢を選ぶ過程でそういう問題に直面しました。

そこで私は彼女をプロの目から判断し、評価をし、可能性を考え、
その率直な意見を彼女にぶつけました。
知りえる限りの彼女の性格的なところも話し合ったし、
そこから考えられる将来もいろいろと想像して見ました。

そして彼女は痛みともなるような事柄に真摯に向き合った。
そして2日。
彼女は自分自身に自分で答えを出しました。


がむしゃらに頑張って出来るようになることもあるけれど、
そうでないものもあります。
幾ら好きでも、向いてるときもあれば、絶望的に才能が無い時もある。
人生とは甘辛く、すっぱいもんです。

けれど、決して忘れてはいけないのは、必ず「自分だけの華」ってものがあるって事。
時には望む場所にその華は咲かないかもしれない。
だからって自分はダメだとか、価値が無いなんて思っちゃ行けない。
絶対に、誰より輝くものをみんなが持ってると思う。
それがきらきら輝く世界がどこにあるのか、
自分は一体何に大きな価値をもって生きることが出来るのか?
それを知ることが才能を知る一歩かもしれない、と私は思います。

彼女と考えた2日間。大きな実りのある時間でした。
彼女が何より素晴らしいのは、自分と言う人間が何を愛せるのか、
周りの人とどのように関わることが出来るのか、
それを夢の中に見出せていることです。

ともすれば、若いうちは自分の思いだけで一杯で突っ走りがちです。
(年取ってもそういう人は一杯居るけど)
でも彼女は自分の居る場所を見渡すことをして、
一緒に歩んでいく人たちのことも考えられる事ができた。

そして何よりも自分自身にとって、
今一番辛い決断を自分に与えることが出来た。
それは決して、決して、決して簡単な選びではない。
簡単な覚悟で出来ることではない。
世の中で何かを「諦める」時ほど辛い時は無い。

でもそれを選べたのは、彼女が本気で人生を選んで
生きようとしているからだと私は思っています。

これは決して夢を中途半端にしたわけではないと私は思う。
それどころか、きちんと結果を出したことに感動しています。
そして、そういう彼女を私は心から尊敬してやみません。

これからたくさんの未来の中を進んでいく彼女が、
彼女にとって最も美しい場所で自分の花を咲かせられる様に願っています。
その時彼女は誰より輝いていると思います。

幸せのお福分け

2009-06-07 | KOFUKU日記
私は横浜のある町の駅のすぐ近くのマンションに住んでいます。
うちのマンションはこの辺では一番古いマンションで、
おじいちゃんやおばあちゃんも多いです。
そのせいか、昔ながらの自治会なんてのがあったり、
マンションの周りにたーくさんの季節の花を植えて育ててくださり、
エントランスにはお花が絶えたことがありません。
それも飾ってあるのは全てマンションで咲いているお花です。

ここのお花好きの皆様は本当に素敵な方々で、
マンションに添っている沿線の線路脇に群生しているお花を鉢に入れて、
説明付きでエントランスに飾ってくださったり、
年に一度数時間しか咲かないお花などを時間を細かく書いて
皆で楽しめるようにと置いてくださったりします。

時にはたくさん咲いているものを間引いた時はバケツに挿して、
エントランスでどなたでもお持ちくださいと分けて下さるのです。

今朝も早くからぱちん、ぱちんと花ばさみの音がするので、
あー、今日もお手入れしてくださってるんだなーと思いつつ、
ぴーちゃんとポストに郵便を取りに言ったところ、
いつものように大きなバケツに紫陽花がいっぱい挿してありました。
薄青い大輪の紫陽花です。
その上には「ご自由にどうぞ」の張り紙。
早速頂いてきました。

ラベンダー色のカバー類を使用中のお手洗いに飾ってみるとあら素敵(^^)
残りはキッチンに。きっちんの花瓶はきれいなブルーのびんを使用。
これまた素敵なカラーコーディネイションとなりました。

お花のおばちゃま方、いつもすてきなお福わけをありがとう。

ってことで、皆様にもお福わけです(^^)