KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

“姫”なリトルマーロゥ

2009-06-30 | 夢の街手しごと工房
仲良しのダウン症キッズ、裕王子は私やカンナちゃん「姫」とお呼び下さいます(^^)

でもね、実はそれには理由がありますの(笑)

夢の街では壁に米澤さん手作りの聖画の入った額なんかが飾られていたり、マリア様グッズが売られたり、製作品のモデルにもなっていました。

裕王子はそれを観て「姫」とおっしゃるんです。
マリア様ってお姫様な感じだったんですね~。
で、そこに居た人だから、あたしたちは「姫」なわけ(笑)

夢の街の環境がそのようなイメージを与えていたんですね。

特にシュタイナー教育を取り入れていますと、天使さまや神様って言葉が一杯出てくるので、店内の雰囲気とあいまって、ときどき皆様から「キリスト教なんですか?」と聞かれたりすることもあります。

そうかと思うと、季節を大切にしてますから、盆も正月もあるわけで、ましてや、ニックネームが「あんじゅ」だと、「仏教なんですか?」と。。。(^^;)

そのような質問があることがあるので、皆様のご安心のためにご説明申し上げさせてくださいね。

えと、夢の街カンパニーの企画のなかに「宗教」はまったく入っておりません。
どの宗教を擁護することも、勧めることも、否定もいたしません。

それぞれの真理を求められるお姿や思い、また理念などには、深い尊敬を持って見つめております。

それらからにじみ出てくる愛を持つ方々と、宗教や人種やたくさんの愛すべき違いを超えたところで生まれる、人間的な、地球的な、宇宙的な、あたたかな愛の交流を大事にしたいと思っています。


「夢の街カンパニーではそれぞれの持つ美しさの基準を大切にしている。」

これは昨日も、そして何度もブログにも書かせていただいたこと。
この、私らがきれいだな~って思うことの中に時々、宗教的なかほりが漂っちゃったりすることも確かにあります。

それは、本で読んだ、聖なる人々のお話からの感動であったりもするし、その聖なる存在そのものにも興味を引かれたり、きれいーと思ったりします。

私やカンナちゃんはマリア様や天使の存在が大好きだし、反面、観音様や美しいお地蔵様を観ても、その優しいまなざしに感動します。

ですから夢の街てしごと工房のブランドでは「マリア様」「聖人」をテーマにした作品やアクセサリーも作られています。
けれど、宗教的意義とつながるものでは在りませんし、ましてや勧誘などのためにあるものではありません。

それは美であり芸術的意識の上に存在するものです

私たちは聖画やキリスト教系グッズも仏教系の楽器なんかも大好き。
ネイティヴアメリカンやアイヌなど、伝統的な神様などの存在にも心惹かれますし、何よりもそこから生まれた数々の文化を愛しています。

リトルマーロゥの中に入って、そんな宗教的なかほりのするものを発見しましたら、

「あら、ここは何か宗教やってんのかしら?」

とご心配なさらず、

「こーいうのが好きなのねえ」「アラ、きれい」

とシンプルにご覧くださいませー(ぺこり)


日本は、美しいものであふれていて、その上にそれぞれの美しいと思うものを身に着けたり飾ったり出来るようになって、ほんとに素敵な平和な国になりました。

たくさんのものがあふれてるのは、それだけそれぞれの存在に対する疑念や問題や差別などという壁がなくなってきたからだと思います。

たくさんの思想や宗教も、大きな星の中での、それぞれの文化として、美しさとして感じられる、そんな私たちで在りたいと夢の街では願っています。


ちなみに写真は、米澤さんの作った白い額と聖母子の聖画
宗教より以前に、慈愛と美しさを感じます。

私たちはこのような美を愛しています(^^)

何でもやっとくもんですな(^^)

2009-06-30 | KOFUKU日記
今日は日本ダウン症協会の事務局まで封入のお手伝いに行かせて頂きました。
こんな私にお声かけ下さる、事務長の中塚さん、そして大坪さんに心から感謝しております。
本当にありがとうございます~。

さてさて、封入作業ですよ~。
封筒に書類入れて~、表にシール貼って~、そして封してぇ。
私、こういうチマチマっ、もくもくっとした仕事が大好きなんですよね~。

「もー、こんな単調な仕事なんかやってらんない!」

っとかおっしゃる方多いんですけど、あたしはめっちゃ楽しい(笑)
一人作業って別世界に飛んで行けるし、最高でございますー。

ま、たぶんにコレは幼き日の環境に起因するかと。。。(またか^^;)

えー、うちの実家は私が幼いころは珍味を専門とする製造卸販売の会社をやってました。
ピーナッツ屋さんですね~。
ピーナッツ屋さんと言えども、働いてる人が50~100人居たみたいですから結構大きな会社だったんですね。

ところが運命とは不思議なものでね~、いいときもあれば悪い時もめぐってきちゃったりねえ(^^;

父が一番目をかけていた社員さんで、父の親友さんが居たんですよ。
その人が独立することになりましてねー。
父は喜んでお店を出してあげたわけです。ハイ。
そしたら・・・・・
そう、知らない間にお得意さんを全部持っていってしまった。
つまり乗っ取りですねえ~(--;)

まあ、そう言う事があって、親に先立たれ、親戚からいじめられ、もともと苦労に苦労を重ねて生きてきた父は、自分で仕事を始めてやっと人を信じられる様になったのでしたが、結局、その「信頼」と「友情」を利用されて、一番信用していた友に裏切られたわけです。

結果は「無気力になり働けない」、
「創りあげたプライドを下げられず、誰にも頭を下げられない」、
そして「誰も、家族すら信じられない人」の誕生でした。

そんなこんなで会社の規模はみるみる小さくなり家内工業になっていくわけです。
そして珍味に加え、同居のおじいちゃんがやっていた菓子製造業(駄菓子屋さんへの菓子卸行)へと転身。

そして、父が働かないですから、当然家族が働かなきゃいけません。
おかげさまで私の職歴は小学校からです(マヂですよー)

珍味って言うのはデスね、最初はおっきい缶に入ってるんですよ。
それを袋に入れて、そしてはかりで計って、それからシーラーって言うアイロンみたいな機械で封をするのです。
このシーラーがねえ、うまく押さないと、ビニール袋が解けちゃって大変なのです。
失敗すると解けたところがチーズみたいにびょーんってね(笑)


菓子製造業って言うのは、主に綿菓子を製造してました。
あ、でも縁日とかでやっているテキヤさんとは違います。
なんせ父が「社長」だったってプライド下ろせない人でしたから(^^;)
製造した綿菓子を小さな袋に入れて、駄菓子屋さんにおろすんですよ。
でもまたコレが大変でしてー。

まず砂糖を買ってくるのが大変なんですよ。
ざらめをね、10キロとか20キロとか買うわけですから。
当然、うちら、子どもたちが買いにいかされるんですな。

アタシ、3000人居る、当時日本で一番大きかったマンモス校の小学校きってのチビでしたからねえ。
(本当です。ランドセルが一人で背負えず、5歳で作ったワンピースが5年生まで着られたという筋金入りのちびっこ)

いや、重いっつか、歩けないっつのー!(^^;)

そして、綿菓子製造機を回すわけです。
そっから2,3時間たちっぱなしで棒にくるくる綿菓子を巻き取っていくわけですよ。

皆さん、綿菓子ってどうやって出来てるかわかります?

綿菓子機械の真ん中は小さな穴の開いたおなべみたいになっているんです。
そこは常に火で熱されていて、それが高速で廻ってます。

そこにざらめを入れますと瞬時に溶けて押し出されるわけです、穴からね。
それが冷えてあんな風に糸状になるんですね。
それで綿みたいになる。

つーまーりー、穴から飛び出た時は溶けたロウみたいなもんですわ。
そこに手を突っ込んでー、巻き取るわけですよ。

時々、暴れん坊のお砂糖君が居てー、手を襲撃するんです。
例のメルトシュガーが。
熱いっつーの!!(笑)

それをね、均等にきれいにね、受け取って、即座に袋に入れて、シーラーで押して、それを大きな袋に40個くらい詰めるのです。

いやいや、この袋詰めもかなりたいへんなのよ。

だって相手は綿菓子さん。
コットンキャンディーって言うわけで綿みたいなものですから~、力入れるとすぐぺちゃんこになりますんで慎重を要するわけです。
でもスピードいのちだし。
テクがいります。

まあ、そんな仕事を小学校からしてた訳です。
言っときますけどー、「お手伝い」じゃないです。
はっきり言って「仕事」です。

もー、足が痛いとか腰が痛いとかー、何かにつけ仕事をしない父でしたから、替わりにやってたんですもん。
当然学校休んで。
って言うか、身体が弱かったんで、トータルで3ヶ月くらい休む子では在りました。

でも苦しくても仕事はしてました(笑)
だって生きていかなきゃいけないもーん。
親がお金作らないなら、自分で作らないとねえ(^^;)

でも、やっぱりね、なにかと大変でしたねー。
お金稼ぐ、生きてくってのは大変です。
ほんと働く皆様、ご苦労様です。
特に家族を養っている方にエール、送っちゃいます!

話は戻りますが、この綿菓子製造、夏とかは昼間は暑くてお砂糖が機械に入れる前に溶けちゃうんで、夜中に仕事するんですよ。
大体12~1時くらいから3~4時くらいまで。
それで朝日が昇る前に車に積んで出発して、午前中の早い時間に商売をする。

それはさすがに父と母がやってましたけどね。
小学生じゃあ、免許無いですし(^^;)
運転できたらしてたかもしれませんが(笑)

ちょうど弟が生まれたころは、さすがに父が製造して、あたしは毎晩夜泣きするオトートを抱いたり、背負ったりして面倒見てましたね。
他の兄弟はどー言う訳か、一回眠ると起きない体質だったので(^^;)
3年生からは家族のおさんどんをやってまして。
あかんぼからおじいちゃんまで年代別にご飯作って、離乳食作ってー。
ぶっちゃけ、小学校で主婦の苦労は全部終わってますね、アタシ(笑)

それがどういう訳か学校でバレましてー(^^;)
「学校こないで家で仕事していた!それは悪いことだ!」
とか、今じゃあ信じられないくらいの激しさでいじめられましよお~。

でもねえ、そんなこといわれてもね。
こっちも命かかってますからねー(笑)

夜寝ないから、学校で眠くなるわけですよね、当然ながら。
でも、その時の担任の先生が子持ちの女性でいい人だったので
「彼女は毎晩大変なんだから寝かせてあげなさい」と。

おかげで当時のお勉強の内容は何も理解できてませんが、先生には感謝しています(爆)

イヤー、振り返ると大変だったんだなあ~、とか思ったり。

でも、いいことも一杯あった。

あかんぼの弟と見た夜空はめっちゃきれいだったし。
朝日が昇る前の景色を車から見られたし。
毎日、300円で7人分、色々工夫してご飯作って、喜んでもらったしさあ。
アタシが仕事してみんながご飯食べられて、学校にも行けた。
(実際は何とかなってなかったんだけど^^;)
仕事場で毎日、みんなに歌ってと言われて演歌から、懐メロからミュージカルソングまで歌ったなあ~。
おかげでアタシはミュージカル女優になりましたとさ(^^)

そして、一番良かったのは、そんな細かい、単純な仕事が私には何の苦にもならないで居られること。

根気の要る単純な作業ほど自分の中に楽しみを見つけられる。
それは、あの日々があったからだ。

「なんでも経験しとくもんやね」

中塚さんが私を見てそうおっしゃってくだすった。

はいー、私もそう思いますです!
何でもやっとくもんですねえ(^^)

三つ子の魂百まで。
芸は身を助く。

まことにー。

きっと経験は身体と心がずっとずっと覚えてるんだな。
その時、善いことだった事も悪いことだったことも。
そしてこの毎日の中で私がより良く生きるために生かされているんだな。

明日で6月も終わり。
どんな7月になるかなあ~。
そんなことを考えながら今日も楽しくお手伝いできました。

神様、ありがとうございます。
感謝、感謝