原宿・夢の街
大きな尽力と理解があると信じて、私たちのすべてをつぎ込み、すべてをかけた場所でした。
大事に大事に一つ一つを自らの手で創りあげて行き、まだ完成にも至っていなかったあの場所。
まったく予期しない状況で閉店・解体が決まった時のショック。
それに加えて会社清算決定後の経営者とその弁護に廻る方々の「経費を会社のためだけに使ったなんて信じられない」などと言う、誠心込めて、時間も持ちえるものも、すべてをささげ、仕事をしてきたものへの侮蔑とも取れる言葉をはじめとする暴言による、無意識な言葉の暴力。
本当にここまで一緒にやってきて、誰より状況を解っているのによくもそんなことが言えたもんだなー、と今も思います。
ほんの少しでもこちらへの思いやりを持って考えてくだされば、それがどんなにひどい言葉なのかわかると思うけれど・・・
信頼の名の下になされていた事業や、それぞれが差し出したものを侮辱し、ないがしろにし、やってきたすべてを汚す様な心無い数々の言葉への憤りは、多分いつまでたっても私たちの中から消えることはないのでしょうね。
けれど運命の輪は廻り始め、そこからは別の場所で新しい人生が始まりました。
原宿のことは言われてることもされてることも、悲しくも悔しくも在りますが、起こったことのすべては弁護士さんにお願いした時点で手放し、(憤ることはきっとこれからも多々あると思いますが、、ーー;)新しい道を歩み始めようと思ってます。
だって原宿の夢の街は本当にすばらしい場所だったから。
閉店に至るまでの美しい時間の思い出を大事にしたいと思っています。
そして憤りを手放した以上、向こう側にいる元経営者様方にも新しい道が開けておられればいいなと思ってます。
まあ、よく、どの辺を怒ってるの~と聞かれるのでかいたんですが、上記のような理由ですね。
自分たちの誠実を知りながら、それを疑いの言葉で汚されたからです。
それは信頼に対する一番の裏切り行為だったからでしょうね。
昨日もカンナちゃんと話してましたが、「ホント、良くそんなこと言えるよ」って感じなんですもん(笑)
つまり、私たちの一番大事にしている「真実」や「愛」や「信頼」をぼろぼろにされたからでしょうね。
でも、もういいんです。ほっときます。
だから皆さん、心配しないでくださいねー(^^)
私のやるお店ってのはお金はたくさん儲からなくても良かったんです。
いつかトントンになってけば。それには時間もかかるんです。
それよりもまず大切なものをはぐくむ場所でなくてはならないと思う。
本当は原宿もそんなところだったはずでその事は理解されてたはずなんですけどね。
今も残念でなりませんが。まあでも仕方ないですね。
相手の心持がそんな感じだったんでしょうから。
それは私たちにはわかんないですからね。
実際、洗足では原宿でやっていたような資金がなくては出来ないことは何一つ出来ません。
本当に出来ることを出来るだけやっていく感じで、今の状況は事業とも仕事やるともいえないです。
でも原宿でやるべきだった、そしてやりたかった本当に大事なことを進めて生きたいと思ってます。
愛と真実と調和。その融合。
昨日、その一つの愛の形が生まれました。
これらを形にしていくには、私の中の想いというものがはずせません。
きっと、ここには私を応援してくれたり、リトルマーロゥに集ってくださる方が多く訪問してくださると思うので、そんな気持ちをお話したいと思います。
しっとりした雨も振ってますしね(^^)
これは自分のなかにある感覚のことなんですがー。
あくまでも私の感覚だけに寄るんですけど、大事にしてる事があるんです。
私が大事にしていること、それは物に対しても、心や行動に対しても、自分の美観を信じること、その世界観を愛する事なんです。
だからと言ってその美観に関する強要と言うものはまったくありません。
よく父が言っておりましたが、芸術とは批判や評価をするものでなく、天に向かって両腕を広げ、その世界を抱きしめることだ、と。
決して判断や評価をしてはならない、その時、それは芸術でなくなる、と。
つまりは、技術的な良いか悪いかで観ずに、心のなかの琴線をはじいてただ感じよ、と言うことだと私は受け止めております。
私は自分の美しいものを信じ、そして自信を持って発信することに意味があるなあと思っています。
その感性からやりたいことも、創りたい物も生まれます。
そしてそれをベースに何かを創りあげていきます。
原宿夢の街も洗足リトルマーロゥもそうですね。
ただだからと言って自分の感性を一番にしろとか、理解しろ~とかは言いませんよ(^^;)
特に今回でいいますとね、レッスンクラスに参加の皆様は親子さん共々、まず場所の空間美を感じる事よりも『心の解放』を行う場所との遭遇、と言うような大事な意味があると私は感じているので、空間の美しさなどに気付いてもらう事は二の次でいいと思ってるんです。
(みんな、すぐ気がついてくれますけどね^^)
原宿夢の街の説きもそうでしたが、小さな子どもやピュアな魂たちを迎える以上は私たちも置いてあるものを時にはぐちゃぐちゃにされたり、壊されたりをある程度、覚悟の上で置いて置いたりしているんですよね。
なんせ子どもたちは触りたい盛りだし、そこにあるんだからまずは触りたくなっても仕方ないですもんね(笑)
多分、私が子どもだったら絶対そうだし。
それをただ「そんなことしちゃ駄目だ!」と言うのは、うちのぴーちゃんに「ワン!」って言うなってのと同じですからね。
それは酷ってもんです。
でも大事なものがある、と言うことを繰り返し伝えます。それは絶対に。
それはぴーちゃんにもそうです。
それはいつか「これは大事にしなくちゃいけない、だから壊しちゃいけない」って認識になると思うんです。
大事なものがある空間、壊れるものがなかったら、それらの大切さはわからない。
壊すことから壊さない大切さが理解できるし、人を傷つけるからこそ思いやれる。
私はそういうものを大事にしたいのです。
本当に大事なものは出さなきゃいいのですよ。うん。
そんな中で、それでも空間美をまず最初に創ろうとするのには、やっぱりコレも私の中に想いがあるからなんです。
自分の周りにある美しさや静けさや調和と言うような安心出来る空間(環境)というものは自然と心や身体に染み入って、いつしか自分の意思で目や耳や身体、心を使ってそれらを感じたり、受け止められる様になるんじゃないかなーと強く感じているからなんです。
そしてそれがとても大事だなー、とも感じています。
これは私たち子どもに対しての母の素晴らしい在り方と実家全体がアンティークショップを兼ねていた様な家だったこと事に起因します(笑)
でも今はそれがすごく良かったーって思ってるので、私の美観のベースになっています。
またリトルマーロゥに工房の雑貨を求めて来られる方や安らぎを求めて来られる方は、まず空間美に目を留められ、感じてくださり、今度は空間の美しさから心の解放をする事ができるとも思っています。
私は今まで何をやっていてもそんな場所創り、空間つくり、心のあり方ををつねに目指しておりました。
俳優でいるときも、今も変わりません。
そういう意味でリトルマーロゥは本当に最高だと思っています(^^)
本当にこの場を与えてくださった先生や皆様に感謝、感謝です!
またダウン症やハンディをお持ちの皆様の言語に深い造詣もないまま、私自身の経験のみを信頼して頂いてこのような場を頂けました事は本当にありがたいと感謝の気持ちがあふれるばかりです。
私の人生の根底にあるものは『芝居』であり『役者』であることです。
それは生きることであり、愛であり、疑いのない真実でもあります。
私の行う事、思うことの総てはこれと連動しています。
中でも言葉や音楽、ダンスや絵や文学など芸術の存在は大きく、また大きな力を持っていると思い、意識を自然とそこに向けて生活しています。
私はクラスをやっているとき、そして舞台に立っているとき、歌っている時、つまり自分の身体が心底から「芸術活動」を行っている時、もっとも壁のない、開放された状態になります。
つまり嘘が何にもなくなり、やることのすべてが信実になるんです。
それが私の持ってきた才能であると色々な経験から、そう勝手に理解しております(^^)
言葉や声を使う事は特にです。
勝手に理解だけど、確信でもある。
この揺るがぬ理解と想いからから私の手仕事クラスが生まれ、言葉や演劇のクラスが生まれ、ハートセラピーが生まれ、これまで多くの方と一緒に時間をすごしてきました。
どのクラスにも共通することは総てを通して『何かが解放』されること。
つまりは楽しんだり、安らいだり、自分が気持ち良く満たされること。
これはそうですね、「自己への許し」という言葉も当てはまるかも知れませんね。
自分が楽しめると言うことは、苦しみから解放されてるってことだから。
満たされている時、人は幸せだと思います。
だから私は「学ぶ」と言う行動もとても大事だけれど、真剣に遊ぶ事もとても大事なことだと思ってます。
楽しさや喜びから真実に向かっていく。
それが私特有の「学び」の方法でもあります。
なんせ私の座右の銘は「人生それこそがミュージカル。今日も真剣に遊ぼう!」なので、仕事も真剣な遊びだと思ってるんですよ(笑)
だってやりたくない仕事なんかしたことないし。
あ、誓って言いますが、これは「やりたくない事をしたくない」のではなく、仕事受けたからには「それをとことん愛する」って事ですからねー。
でも、喜びを知ることで悲しみを知り、また逆を体験することで多くを知ることが出来ます。
だからこの世の中にはやって駄目なんてものは何もないと思う。
その体験から理解や変化やたくさんのものが生まれるなぁって感じています。
なのでー、私のクラスは小さいこどもたちがいるほど、親子同伴で参加してもらうことが多いです。
一緒に遊んでほしいんですよね。
もちろんこれも強制ではありません。参加しなくても見ていてもらえたら嬉しい。
そうですね、理屈で理解するのはお母さん担当って感じでしょうかねー(笑)
そんでもって親子で楽しんで、スキルを家に持ち帰って、またそこで楽しんでもらう。
私は家族の力や友情の力を信じておりまして、家庭の中を天国にすること「幸せ地球家族増加計画」推進者でありたいと思っていましてー(笑)
こういったクラスはそのプロジェクト推進の一角ともいえますね(^^)
とにかくただひたすら遊ぶんですけどねー。
でも繰り返しの中からきっと何かが身について、遊びの中から発見があると信じています。
こんな想いを持って、クラスを開催させて頂いています。
環境と言うものは多かれ少なかれ人に影響を与えます。
自分の創るものは自分が愛する、揺るがぬ物でありたいと思います。
自分の美を愛し、信じることは、その周りにある違いを知ることです。
決して排除することでも、拒否することでもないと思う。
この地球に私が存在するように。
みんながいて、違いがあってこそ「世界」
そんな世界を私は、私流で愛していく事が、この頂いた生命と言うギフトを生かしていくことだと感じています。
愛と真実。
自分の内に輝く善と美。
それが私の大切なこと。
写真はコトコトバのお話の時間の様子から。
大きな尽力と理解があると信じて、私たちのすべてをつぎ込み、すべてをかけた場所でした。
大事に大事に一つ一つを自らの手で創りあげて行き、まだ完成にも至っていなかったあの場所。
まったく予期しない状況で閉店・解体が決まった時のショック。
それに加えて会社清算決定後の経営者とその弁護に廻る方々の「経費を会社のためだけに使ったなんて信じられない」などと言う、誠心込めて、時間も持ちえるものも、すべてをささげ、仕事をしてきたものへの侮蔑とも取れる言葉をはじめとする暴言による、無意識な言葉の暴力。
本当にここまで一緒にやってきて、誰より状況を解っているのによくもそんなことが言えたもんだなー、と今も思います。
ほんの少しでもこちらへの思いやりを持って考えてくだされば、それがどんなにひどい言葉なのかわかると思うけれど・・・
信頼の名の下になされていた事業や、それぞれが差し出したものを侮辱し、ないがしろにし、やってきたすべてを汚す様な心無い数々の言葉への憤りは、多分いつまでたっても私たちの中から消えることはないのでしょうね。
けれど運命の輪は廻り始め、そこからは別の場所で新しい人生が始まりました。
原宿のことは言われてることもされてることも、悲しくも悔しくも在りますが、起こったことのすべては弁護士さんにお願いした時点で手放し、(憤ることはきっとこれからも多々あると思いますが、、ーー;)新しい道を歩み始めようと思ってます。
だって原宿の夢の街は本当にすばらしい場所だったから。
閉店に至るまでの美しい時間の思い出を大事にしたいと思っています。
そして憤りを手放した以上、向こう側にいる元経営者様方にも新しい道が開けておられればいいなと思ってます。
まあ、よく、どの辺を怒ってるの~と聞かれるのでかいたんですが、上記のような理由ですね。
自分たちの誠実を知りながら、それを疑いの言葉で汚されたからです。
それは信頼に対する一番の裏切り行為だったからでしょうね。
昨日もカンナちゃんと話してましたが、「ホント、良くそんなこと言えるよ」って感じなんですもん(笑)
つまり、私たちの一番大事にしている「真実」や「愛」や「信頼」をぼろぼろにされたからでしょうね。
でも、もういいんです。ほっときます。
だから皆さん、心配しないでくださいねー(^^)
私のやるお店ってのはお金はたくさん儲からなくても良かったんです。
いつかトントンになってけば。それには時間もかかるんです。
それよりもまず大切なものをはぐくむ場所でなくてはならないと思う。
本当は原宿もそんなところだったはずでその事は理解されてたはずなんですけどね。
今も残念でなりませんが。まあでも仕方ないですね。
相手の心持がそんな感じだったんでしょうから。
それは私たちにはわかんないですからね。
実際、洗足では原宿でやっていたような資金がなくては出来ないことは何一つ出来ません。
本当に出来ることを出来るだけやっていく感じで、今の状況は事業とも仕事やるともいえないです。
でも原宿でやるべきだった、そしてやりたかった本当に大事なことを進めて生きたいと思ってます。
愛と真実と調和。その融合。
昨日、その一つの愛の形が生まれました。
これらを形にしていくには、私の中の想いというものがはずせません。
きっと、ここには私を応援してくれたり、リトルマーロゥに集ってくださる方が多く訪問してくださると思うので、そんな気持ちをお話したいと思います。
しっとりした雨も振ってますしね(^^)
これは自分のなかにある感覚のことなんですがー。
あくまでも私の感覚だけに寄るんですけど、大事にしてる事があるんです。
私が大事にしていること、それは物に対しても、心や行動に対しても、自分の美観を信じること、その世界観を愛する事なんです。
だからと言ってその美観に関する強要と言うものはまったくありません。
よく父が言っておりましたが、芸術とは批判や評価をするものでなく、天に向かって両腕を広げ、その世界を抱きしめることだ、と。
決して判断や評価をしてはならない、その時、それは芸術でなくなる、と。
つまりは、技術的な良いか悪いかで観ずに、心のなかの琴線をはじいてただ感じよ、と言うことだと私は受け止めております。
私は自分の美しいものを信じ、そして自信を持って発信することに意味があるなあと思っています。
その感性からやりたいことも、創りたい物も生まれます。
そしてそれをベースに何かを創りあげていきます。
原宿夢の街も洗足リトルマーロゥもそうですね。
ただだからと言って自分の感性を一番にしろとか、理解しろ~とかは言いませんよ(^^;)
特に今回でいいますとね、レッスンクラスに参加の皆様は親子さん共々、まず場所の空間美を感じる事よりも『心の解放』を行う場所との遭遇、と言うような大事な意味があると私は感じているので、空間の美しさなどに気付いてもらう事は二の次でいいと思ってるんです。
(みんな、すぐ気がついてくれますけどね^^)
原宿夢の街の説きもそうでしたが、小さな子どもやピュアな魂たちを迎える以上は私たちも置いてあるものを時にはぐちゃぐちゃにされたり、壊されたりをある程度、覚悟の上で置いて置いたりしているんですよね。
なんせ子どもたちは触りたい盛りだし、そこにあるんだからまずは触りたくなっても仕方ないですもんね(笑)
多分、私が子どもだったら絶対そうだし。
それをただ「そんなことしちゃ駄目だ!」と言うのは、うちのぴーちゃんに「ワン!」って言うなってのと同じですからね。
それは酷ってもんです。
でも大事なものがある、と言うことを繰り返し伝えます。それは絶対に。
それはぴーちゃんにもそうです。
それはいつか「これは大事にしなくちゃいけない、だから壊しちゃいけない」って認識になると思うんです。
大事なものがある空間、壊れるものがなかったら、それらの大切さはわからない。
壊すことから壊さない大切さが理解できるし、人を傷つけるからこそ思いやれる。
私はそういうものを大事にしたいのです。
本当に大事なものは出さなきゃいいのですよ。うん。
そんな中で、それでも空間美をまず最初に創ろうとするのには、やっぱりコレも私の中に想いがあるからなんです。
自分の周りにある美しさや静けさや調和と言うような安心出来る空間(環境)というものは自然と心や身体に染み入って、いつしか自分の意思で目や耳や身体、心を使ってそれらを感じたり、受け止められる様になるんじゃないかなーと強く感じているからなんです。
そしてそれがとても大事だなー、とも感じています。
これは私たち子どもに対しての母の素晴らしい在り方と実家全体がアンティークショップを兼ねていた様な家だったこと事に起因します(笑)
でも今はそれがすごく良かったーって思ってるので、私の美観のベースになっています。
またリトルマーロゥに工房の雑貨を求めて来られる方や安らぎを求めて来られる方は、まず空間美に目を留められ、感じてくださり、今度は空間の美しさから心の解放をする事ができるとも思っています。
私は今まで何をやっていてもそんな場所創り、空間つくり、心のあり方ををつねに目指しておりました。
俳優でいるときも、今も変わりません。
そういう意味でリトルマーロゥは本当に最高だと思っています(^^)
本当にこの場を与えてくださった先生や皆様に感謝、感謝です!
またダウン症やハンディをお持ちの皆様の言語に深い造詣もないまま、私自身の経験のみを信頼して頂いてこのような場を頂けました事は本当にありがたいと感謝の気持ちがあふれるばかりです。
私の人生の根底にあるものは『芝居』であり『役者』であることです。
それは生きることであり、愛であり、疑いのない真実でもあります。
私の行う事、思うことの総てはこれと連動しています。
中でも言葉や音楽、ダンスや絵や文学など芸術の存在は大きく、また大きな力を持っていると思い、意識を自然とそこに向けて生活しています。
私はクラスをやっているとき、そして舞台に立っているとき、歌っている時、つまり自分の身体が心底から「芸術活動」を行っている時、もっとも壁のない、開放された状態になります。
つまり嘘が何にもなくなり、やることのすべてが信実になるんです。
それが私の持ってきた才能であると色々な経験から、そう勝手に理解しております(^^)
言葉や声を使う事は特にです。
勝手に理解だけど、確信でもある。
この揺るがぬ理解と想いからから私の手仕事クラスが生まれ、言葉や演劇のクラスが生まれ、ハートセラピーが生まれ、これまで多くの方と一緒に時間をすごしてきました。
どのクラスにも共通することは総てを通して『何かが解放』されること。
つまりは楽しんだり、安らいだり、自分が気持ち良く満たされること。
これはそうですね、「自己への許し」という言葉も当てはまるかも知れませんね。
自分が楽しめると言うことは、苦しみから解放されてるってことだから。
満たされている時、人は幸せだと思います。
だから私は「学ぶ」と言う行動もとても大事だけれど、真剣に遊ぶ事もとても大事なことだと思ってます。
楽しさや喜びから真実に向かっていく。
それが私特有の「学び」の方法でもあります。
なんせ私の座右の銘は「人生それこそがミュージカル。今日も真剣に遊ぼう!」なので、仕事も真剣な遊びだと思ってるんですよ(笑)
だってやりたくない仕事なんかしたことないし。
あ、誓って言いますが、これは「やりたくない事をしたくない」のではなく、仕事受けたからには「それをとことん愛する」って事ですからねー。
でも、喜びを知ることで悲しみを知り、また逆を体験することで多くを知ることが出来ます。
だからこの世の中にはやって駄目なんてものは何もないと思う。
その体験から理解や変化やたくさんのものが生まれるなぁって感じています。
なのでー、私のクラスは小さいこどもたちがいるほど、親子同伴で参加してもらうことが多いです。
一緒に遊んでほしいんですよね。
もちろんこれも強制ではありません。参加しなくても見ていてもらえたら嬉しい。
そうですね、理屈で理解するのはお母さん担当って感じでしょうかねー(笑)
そんでもって親子で楽しんで、スキルを家に持ち帰って、またそこで楽しんでもらう。
私は家族の力や友情の力を信じておりまして、家庭の中を天国にすること「幸せ地球家族増加計画」推進者でありたいと思っていましてー(笑)
こういったクラスはそのプロジェクト推進の一角ともいえますね(^^)
とにかくただひたすら遊ぶんですけどねー。
でも繰り返しの中からきっと何かが身について、遊びの中から発見があると信じています。
こんな想いを持って、クラスを開催させて頂いています。
環境と言うものは多かれ少なかれ人に影響を与えます。
自分の創るものは自分が愛する、揺るがぬ物でありたいと思います。
自分の美を愛し、信じることは、その周りにある違いを知ることです。
決して排除することでも、拒否することでもないと思う。
この地球に私が存在するように。
みんながいて、違いがあってこそ「世界」
そんな世界を私は、私流で愛していく事が、この頂いた生命と言うギフトを生かしていくことだと感じています。
愛と真実。
自分の内に輝く善と美。
それが私の大切なこと。
写真はコトコトバのお話の時間の様子から。