KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

みんなおなじ いきているから

2011-03-26 | KOFUKU日記
♪みんなおなじ いきているから
ひとりにひとつずつ たいせつないのち♪



我が家のおチビさん達、この混乱の中にも日々成長中です。
一緒に暮らして一カ月と10日が経ちます。

はい、こんな感じで同じ場所に居られるようになりました(*≧∀≦)



まだまだ、仲良くってわけには行きませんが
神経質で怖がりなピーちゃんには快挙です!

それはそれは恐ろしい程の勢いでタックルと噛みつきを繰り返す妹に
かなり恐れ、ビビり気味の姉ピーちゃん(;^ω^)



《写真は妹ピピのタックルをかわす姉ピグちゃん》

信じられないほどの食いしん坊な妹ピピにオヤツも狙われて
ピグ姉ちゃんは必死の形相で守ります(;^ω^)


でもぴーちゃんはお姉ちゃんの自覚がすごくありまして
ピピを小さい妹だと思っています。
なのでそれなりに怒るものの絶対にキレたりは致しません。

タックルの恐怖にかなりビビりつつも攻撃をかわし続け、
それでも朝晩、匂いを嗅いでは確認をして
お腹をなめてあげる優しさを持っておられます。
今ではピピも舐めて~と転がるようになりました。

そんなピーちゃん、10歳と1カ月でございます。
高齢ですから心配な病気もあり、近々手術もしなくてはならないのですが、
いまのところはなんとか症状もでずにおり、お元気です。


《写真は仏のような姉、ピグお嬢様》


もちろん、恐れ知らずの妹ピピちゃんの方と言えば
相手の気持ち構わず遠慮なく突っ込んで行くわけですが…(^^;)


《今こそ姉に飛びかからんとするピピ》


そんなピピちゃん、一昨日の24日で3カ月になりました。
先日の検診では850グラムに成長。おっきくなっております。
明日は3回目のワクチンです。

先天性のいろいろな心配な持病もいくつかありますが、
いずれも今は症状が出ていませんので
大事にして行ってあげようと思います。

ま、まあ、見た目と行動は「どこが持病もちやねん!」
と突っ込みたくなるほど元気過ぎてあたしは傷だらけです。。。。

ピピさんはあたくしが横になると視線が自分の目線に来るのが非常に嬉しいらしく
飛びかかって来て、顔じゅうなめまくった上に噛みつきます。。。(゜∀゜ ;)タラー
普通に顔を見合わせてても、なぜか鼻に噛みついたりします…
しかも穴付近を狙ってくるので、恐ろしいです。

そんな妹ピピちゃんの最近のお気に入りは「骨ガム」
食べつくす勢いです。




寝てる時だけは天使なんですけどね(;^ω^)


二人とも、お手製の薄手セーターを着て節電に協力してくれて
さらに私の心をあたためてくれる良い子達でございます(^^)



今日は60 EARTH HOURでした。
世界中の国と繋がって、同じ時間に1時間電気を消して地球温暖化に取り組むエコ活動です。
この日はエッフェル塔もNYの灯りもいっせいに消えます。
今年は開催前に同じ時間に日本の為に世界中の人が祈りました。

今の日本は毎日が計画停電でアースアワーな感じですが(´-∀-`;)
もちろん今年も個人参加表明をして参加しました。

地球は、自然も人も一つの家族という意識で始まった活動。
人も自然も私たちは命を持つ同一のもの、助け合っていかなくてはならない。


いま、被災地の避難所でワンちゃん達も一緒に避難していると聞きます。
飼い主様もワンちゃんもご苦労だろうなぁと思う反面、
一緒に避難していると言う現実がとても嬉しくもあります。

人に飼われる立場の動物たちも同じいのちの持ち主だからです。
そのいのち達が困難な中、助け合っているのは素敵なことです。


私の実家は昔、捨てられた犬や猫、小動物が一時期は100匹くらいいました。
中には引っ越しで置き去りにされたセントバーナードや
仕事を終えても帰る家と飼い主を失った警察犬だったシェパード
罠にかかってけがをしてしまったタヌキとかもいました。

噂を聞きつけて、面倒見切れない動物を家の前に捨てて行く人もいました。
でも、母や父は「うちに来る運命だったのだ」と言って面倒を見ました。
神様がここなら大丈夫、面倒見てあげなさいと預けてくれたんだろうって。
父や母は同じように生きていて、自分の力だけでは生きていけないのだから
人間が助けてあげないといけない、と言って全部面倒見てました。

ご飯はパン工場から商品にならない、型崩れのパンをセメント袋で買ってきて、
私も含め(笑)みんなで分けて食べました。

外犬たちは縁の下で子どもたちを産み、育て、
歩けるようになると私たちの前に連れて来てくれました。
親の後を一列になって縁の下から這い出して来る
コロコロの赤ちゃんワンコたちの姿を今でも忘れることはありません。

猫たちも子どもを産み、中には育児放棄した猫も居ましたが、
子猫たちは眼が開くと庭のうさぎ小屋で生まれたウサギにまぎれ
うさぎちゃんの間にもぐってウサギとして育ちました(笑)
キャベツをかじり、走らずにぴょんぴょん飛び回り可愛かったです。
嘘のようですが本当の話で、なんと新聞にも載り話題になりました(笑)

本当に貧しい暮らしになった時も、我が家では動物を捨てることはなかったです。

弟は学校の通学途中に箱に入れられ川に流された子猫を
川に飛び込んで助け、ランドセルの中身を河原にほおり出し、
体操服でくるんで即座に家に連れて帰ってきました。
それでも親も家族も良い事をしたと怒らなかったです。
逆にそんな弟が誇りでした。

妹達も自分にぶつかって怪我をした小さなコウモリを
虫を捕まえたりして、自分で面倒見たりしてました。
喧嘩で目がつぶれて売り物にならなくなったマルチーズを
保健所にやらないでと引き取ってきて育てたりしてました。

私たち家族にとって、動物は家族だったのです。
同じかけがえのないいのちを持つ仲間でした。
お互いの間には深い愛情がありました。


そのおかげでしょうか。
うちはどんなに生活が辛くても、なんとか歩んでいけるのです。
そんな時、必ずちいさないのち達が支えてくれるのです。

母が昔、
「動物が家に入ってくると言うのは、そこが安心する場所だからだ。
家に来た動物たちはみんな神様の幸せのお使いなんだよ。
だから動物が集まってくれるのは良い事なんだ。
うちはいろんなことはしてやれないけれど、
ここで出来る限りの事をしてあげないとね」
と、言っていました。
私はその考え方が好きでした。


世の中には犬は犬、動物は動物、と思っている人も多いと思います。
何か困難があったら、人のいのちが先だと言う人もいます。
その言葉通り、人間の基準から考えて
小さな命を見捨ててしまう人もいっぱいいます。

人が動物を食べているからそう考えてしまうのかもしれませんね。
動物なんて、植物なんて、と。
ましてや足の下に在る土なんて、と。

私たちがいのちを思う事は大切だと思います。
だから、生き物からいただく食材すべて、
食べる時、私は自分と共に生きて頂くつもりで食べたい。
祈りと感謝が無くてはならないと思います。

人にも、動物にも、植物にも、地上にある全てのものは
意味があってそこに居るのだそうです。
食べられてしまう事も飼われることも
究極我々が同じいのちであることを理解するように出来ていると。

そして天は見ているそうです。
同じいのち同士として種族を超えて愛を見つける助け合う様子を。

犬であれ猫であれ、植物、鉱物であれ、相手に理不尽なことをすれば、
カルマは生まれ必ず返さねばならないのだそうです。
負は負を産み、愛は愛を産む。
だから種族の別なく、互いのいのちを尊び愛し合わねばならない、と。


確かに困難や苦労の多い時、自分の事だけを考えてしまうのが人間。
でもそういう時だからこそ、どの生命もあきらめてはいけないと思うのです。
愛し合わなくてはいけないと思います。

無理をしろというんではありません。
その人が出来ることを精一杯やってあげることが大事ではないか、と。


うちのチビさん達はどちらも死に直面した持病を持っています。
それはそれは心配だし、お金だって大変です。

でも、どんな事があっても私は決して見捨てない。
それだけはしてはいけないと思います。
どんなものであれ、いのちを見捨てる権利は私にはないから。
誰にだって、そんな権利はない。
だから貧しくとも私の出来る精一杯の事をしてあげたいと思います。
出会ったからには責任はあるのです。

神様からお預かりしたいのちです。
相方さんが私になら大丈夫と導き預けててくれたいのち達ですから。
彼らが幸せであるように努力をしたいと思います。



あるネイティヴアメリカンの酋長は言いました。

「私たちはこの自然という織物の一本の糸にすぎない」
「私たちはいのちの輪でつながっている」
「自然は我々の兄弟姉妹だ」


辛い時、自分が困難な時、人はそれを理由によくないことを考えたり、
そうして当然なのだ、こんな時なんだから仕方ない、
とこじつけてしまう事がよくあります。

でも、本当はそうじゃない。
そう思って、そうするのは、そう思った人の心です。
同じ環境であっても、しない人は決してそんなことはしない。
心の弱さを何かの、誰かのせいにしてはいけない、とおもいます。

それは自分自身の弱さ。
困難な時だからこそ捨ててはいけない心があると思う。
私はそう思うのです。

でも、弱くても、またやり直せるし、チャレンジできる。
人間はどんな環境でも愛を育てることをあきらめなければ愛は育てられるからです。


私たちは「自然とおなじいのち」
それを忘れたくないと思います。


命からがら逃げてきて、食べ物も飲み物も何もないところで
「動物なんかにやるものはない、人間の命がさきだ!」
と、なっても当たり前かもしれない感情の中で、
同様に生き残った小さな命をいつくしみ、守り、
喜びの中で衣食住を分かち合っていらっしゃる方々に感謝します。
きっと必ず、そのご苦労は喜びとなって帰るはずです(^^)


なぜなら私たちは一つの輪の形に置かれたドミノのようなもの。
何かアクションを起こせば、それは必ず自分に帰ってくる。
善きものは善きことで、悪しきことは悪しきことで。
しかも輪につながっている全員に人に影響を及ぼしながら。


だから、自分が行う事に責任があるのでしょう。
つながった輪が全て善き波紋となって巡るように
こんな時こそ善きアクションを起こしたい。そう思います。