KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

平安が訪れます様に…

2011-10-11 | KOFUKU日記


未曽有の大災害から7か月がたちました。

まだどこかで愛するご家族のお迎えを待っている方もおられます。

放射能の汚染は政府の「ただちに被害はない」の言葉によって
今、まさに大きく被害が広がりつつあります。

地震もまだまだ余波が大きく、先が見えません。

被害にあわれた方、尊いいのちを奪われた方、
そして、そのご家族に一日も早く、平安のありますように。

燈火ほどでいいのです。
どうか輝く温かい心の明かりがともされますように。
心からお祈り申し上げています。


それらを思うとき、私はなんて恵まれているのだろうか。
私は早くして愛する人を失わなくてはならなかったけれど
それでも私は見送らせてもらえ、お葬式にも出してもらえた。
彼の愛した小さな命たちを今も預からせてもらっている。

悲しみで病気にはなったが、おかげで田舎の家族のもとに帰ってこられた。
これは奇跡だ。そうとしか思えない。
どうしても帰りたくて、無理をしてまで帰ってきたから
借金だけができてお金はまったく無くなった。
生活は前にもまして大変になるが、
その代り、みんなで助け合う喜びが生まれた。


ほとんどいつも寂しくて悲しくて魂はふと気を抜けば
あっという間に死にそうにはなるけれど、
それは生きているということだ。
あの人が生きていたということだ。
アイガアッタトイウコトダ。
そしてそう私が思う限り愛は続くということだ。
悲しみの向こうにあの人がいるということだ。


時々、私と同じように避難してきて、
田舎のみんなの危機感がない、ああだこうだと書いている方がいる。

その方の寂しさがわからないわけではない。
私も知らない土地に長く一人で生きる経験をたくさんしたから。
わかるが、ただ私は無性に悲しくなる。

だって覚悟をして移動してきたのではないだろうか?
それだけでも恵まれている。

だから、どうか思い起こしてほしい。
そうしたくてもできない人がいることを。
私も2か月前はそういう人間の一人だった。

お金もつてもなかった。
私の家族は貧しくて助けたくてもできなかった。
でも奇跡が起きてここにいる。

奇跡とは愛に他ならないのではなかろうか。
奇跡とはたくさんの人の愛。

天に帰ったあの人がいなかったらこの奇跡は起こらなかったろう。
たくさんの友達や愛する人々の助けがなかったらここにはいなかった。
ここにいられることが許されているのは、みんなの愛ゆえにだと思う。
私はすべての愛に感謝しています。

嘆かれている方。どうか考えてみてほしいと思います。
恐怖から遠く離れた場所で危険が少ないから移動してきたんじゃないのですか?
だったら、その場所で危機感がないのは当たり前じゃないでしょうか?

そんなこと嘆いているよりも誰かとつながる努力や
大切な家族と助け合うことを大切にしてほしいとおもう。

まだ被災地で見つからない方や、放射能や地震の中
その場にいなくてはならない人のためにも。

きっとこれからは、助け合っていかなくては生きていけなくなる。
そんな力を大切にして移住生活を温かくしていってほしいなぁ、
そう思う今日この頃です。

そんな方々の寂しさにも明かりがともりますように。
そしていつか助け合えたらと祈っています。

懐かしい風景

2011-10-11 | KOFUKU日記

《双子みたいな性格のまろとピピ。仲良くネンネ^^》


連休中の夏日が嘘のように今日は秋らしい雨の朝です。

このブログを書こうとすると
「去年の今頃は何をしていましたか?」
と出て、アップした写真が出てきます。
去年の今頃の事は思い出せないほど悲しいので
もっともっともっと昔を思い返すことにしてみました。

さて昨日は甥っ子にくっついて中央駅まで「鉄道の日」のイベントに行ってまいりました。
そこでまず出会ったのは「指宿駅駅長」の亀の小太郎君です。


かなり大きいので駅長の帽子をかぶって歩く姿はなかなかの迫力がありました。
でも駅長帽をかぶって歩く姿がとってもキュートでした。

鉄道の日ということで会場はJR鹿児島中央駅の広場。
いつもは車内にいる「ツバメレディ」さんたちや駅員さんも販売やPRに一生懸命。

さて九州は日本の中でも列車が美しいので有名です。
私が住む鹿児島も真っ赤や赤と黒、マスタードイエローなどのきれいな列車が走っています。
SLや昔の列車風の車体の電車もあって、海や山をかける姿はいいものです。

私の大叔母さんが霧島のふもとの吉松というところに住んでいて
お元気な頃は本当によく遊びに行きました。
山の中の大きなおうちで、母屋と離れがあってお風呂も薪の五右衛門風呂で
納屋には生き物はいませんでしたがお茶を煎る場所がありました。
そのお家沿いに線路があり、私がまだ4,5歳くらいの頃までは
D51、通称デゴイチという蒸気機関車が走っておりました。


《昭和45年ごろ、吉松駅で》

この機関車が入るのをまじかで煙にまかれながら見てました。
大叔母ちゃんのご主人が鉄道員だったのでなおさら思い出深いです。

鹿児島を走る列車はシンプルな色合いで面白いです。

《真っ赤な車体のその名もレッドエクスプレス》

 
《真っ黒でレトロな車内のはやとの風と緑深いキリシマ号》

黄色が鮮やかな「菜の花」とかまだまだいろんな列車があります。

街の中を走るのは路面電車です。


《これは私たちが学生の頃に走っていたレトロ車両です。カーテンがついてます。》

路面電車は今はほとんどが広告車両でたくさんのカラーとデザインのものが走っています。

《市役所前を走る電車》

この小さな路面電車が懐かしいレトロ建築の多く残る街を
トコトコと走る姿はとってもかわいいのです。

私は自他共に認めるレトロ好きですが(実家骨董商だし・笑)
この街には私好みの素敵な建物がたくさんあるのでございます。
では少し懐かしいわたくしお気に入りの建物もご紹介しましょう。

まずは大好きな《山形屋デパート》

まだちゃんと使われております(笑)

違った撮り方でもう一枚。
色はこちらのほうが実物に近いです。
右下を走っているのはレトロ電車。



《私が初舞台を踏んだ中央公民館》

もっともお気に入りの建物「考古博物館」
学生の頃はいつもここで憩ってました。


アップでもう一枚。

いつもこの階段に座ってました。

磯庭園の傍の尚古集成館と異人館(紡績工場)



海の横に立ってる異人館。いつも通ると眺めてしまいます。
自由に中に入れます。


《山奥のちいさな町にある古民家カフェ*ポツリ》

まだまだここには懐かしい建物がいっぱいあります。
早くから西洋文化があったので和洋折衷のレトロ建築が多いです。
また懐かしい木のお家もまだまだいっぱいです。
私もかなうなら、いつか古い古い家に住みたいなぁ。

こんな西洋風な建物を囲むのはとても和的な世界だったりもします。
ちなみに私は文化財の隣に住んでます(^^)
お寺と城跡でしかも、これが庭みたいなもんです。

「慈眼寺公園」(じげんじ)という自然公園なのですが、
地元の人は「じがんじ」と発音します。
春は桜、夏は清流、秋もみじの素晴らしい場所です。


この写真の場所は開けてますが、ほとんど舗装なしの自然道で、
いろんな仏像さんがいたりします。そうめん流しもあります。
川の水、飲めますし。
自然道をさらに登っていくと広いイタリア式庭園や広場があります。

思えば幼稚園の遠足もここだった…。
中学校や高校時代は学校いかないでよくここにいましたなぁ…(^_^;)

ここをさらに登るとさらに出るのがここ。谷山神社。

うちの家の隣がこの公園で、家のちょうど真上に位置するのがこの神社。
この山と森のふもとに我が家はございますのですわ。


家から5分の慈眼寺駅から谷山譲跡を望む。
この山の上の緑のこんもりが城跡。
このこんもりのふもとに我が家があるのです。

昔はただのうっそうとした自然公園でございましたが
今や歴史館なんかもできていて華やかな観光地になっています。
いろいろな体験もできるそうなので、ぜひ一度おいでくださいまし。

今日は南の風と共に懐かしい風景をお送りしました。