KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ココロに響く言葉

2011-10-16 | KOFUKU日記


《がうがうまろたん(笑)》

私は「言葉」がすきです。
生まれ落ちて以来、音と意味は同時にある、と感じています。
ほんと、生れ落ちてすぐからです。

なので言葉との出会いは私にとっては衝撃で、
3歳で本が読めるようになり5歳のころには
大人の本から医学書まで読んでいました。
とにかく毎日毎日本を買ってもらって漁るように読んでいました。

小学校に上がったころには家の押入れ2つ分(計4つ)には
多分、千冊以上の本があったかと思います。
小学校、中学校では図書館の方を読破して
廃本をしまっていた書庫に電気を引いていただいて読んでいました。
高校生の頃くらいまでは月に70冊は読んでいたでしょうか?
そして本を読むたび、そこに書かれた言葉と一緒に、
世界中の色や香りが心の中に入って来ました。

今は体調がしんどくてもうそんな風には集中して本を読めませんが今でも本が大好きです。
こればかりは本が大好きな母と、求めるままに沢山の本を与えてくれた父に感謝せねばなりません。
おかげで私の人生は深く広い土壌を与えられたと思っています。

私は同じ本を時間を空けて何度も繰り返して読みます。
だって本は何度読んでも面白いですから。

なぜなら私のココロは常に変化をしていくもので以前の私のままではないからです。
その時の自分があるように、私の中に新しい理解が生まれていきます。

そして自分の中の変わって行く部分と変わらない部分が本を読むことで理解できます。
読書とは自分も知らない自分や、よく知る自分を、
さらに知ることができる大きな魔法様に感じています。
(芝居をすることも同じ様に感じています)

本は一度読んだらもう読まないとかいう方もいますが
私はなんて勿体ないことをするのだろうかと思います。
私にとっては自分の変化をみすみす見逃すような感じがしてしまうのです。
まあ、その方、それぞれなんですけどね。

そんな読書を通し、ここまでの人生を通して、自分を振り返ってみると
私は割かし「白黒はっきりしている人間である」と感じます。
そして、それは人生のパートナーであった人とも一番の共通点でした。

でも、これはあくまでも自分の中の揺るがぬものに対する感覚に対してですね。
私たちは信じたものに対して、ものすごくストイックになれるタイプだと言えるでしょう。
自分の好きな世界、好きなもの、大事にしている感覚がはっきりしているのです。
だから良くも悪くも、その感覚にまっすぐになってしまいます。

本や言葉の世界と触れるという事は、そんな自分をよく教えてくれます。
なんせ、わたし、好きな世界がほんとにはっきりしているのです。
昔からその世界は揺るがないのです。
だから私が見るもの、聞くものにそれらが現れます。

今みたいに難しい生活状態になって、いろいろできなくなっても、
それらは変わらずにそこのあってくれるので、
じれったい思いをすることはあっても、あまりあわてることはありません。
常にやりたいこと、作りたいものがはっきりしているからです。

そういう部分がどんな状況でも一切散漫にならないので、
ただそれをこなしていくペースの問題になります。

そして、もともと、その感性に正直に製作や執筆をするので
できないわぁ~とか、書けないわぁ~と焦ることがありません。
できるぞ!と思った時が書き時、つくり時だから。
まあ、根っから芸術家タイプでお商売には向いてませんねぇ、って話ですね(^_^;)

相方さんも間違いなくそうでした。
ある意味でゆがみのない、超めんどくさい二人でしたね(笑)
でもそんな自分たちの感性に自信と誇りを持っている二人でもありました。
自分の世界がはっきりあるということは、とてもありがたいことです。
本や自分なかにある変わらない世界観というのは自分を支えてくれる大きな力です。


さてさて、私の実家のお風呂や洗面所は
それぞれ天井高くて二畳以上の広さがあるんですが
お手洗いも一畳からあって、体操ができちゃうくらいなんです。

今まで住んでいたマンションやお家より全然広いので
トイレットペーパー用のアンティーク風ラックとかおいているんですが
その上にお花とかといっしょに本を数冊ずつ置いています。

今は数少なくなった私の蔵書、それでも手元にいま数百冊あるんですが
その中から、適当に選んで月に一回づつ変えて置いています。

先月はアンティークに関する本と国際的な生活を描いた漫画を置いてありました。
今月は庭に小さな生き物がいる我が家の庭にピッタリな工藤直子さんの詩集と
少し懐かしい日本を感じられる本を置いてみました。

その本の一冊「おばあちゃんの知恵袋」はだいぶ昔にちょっとブームになった本です。
そして母と私のお気に入りの一冊、私には思い出の一冊です。

そこに連なる言葉は「わたし」という人間を私に教えてくれます。
同じ本を好んだ母がどんな人であったのか教えてくれます。

そしてココロに響く言葉は
私自身のココロの響きでもあるのだと教えてくれるのです。






《痛い》

すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか

だからこんなに痛いのか


《花》

わたしは
わたしの人生から
出ていくことはできない

ならばここに
花を植えよう

KUDOH NAOKO


暮らしとは自分の手で作り上げていくものです。
手は人間の外に出た頭脳です。
手がコツを覚えて、人間はあらゆる品物を創ることが出来ます。
そしてコツとはコツコツ努力して観につけて行くのでコツと申します。
それを長い人生経験から知っているのが、おばあさんです。
この本はおばあさんの手の深いしわの意味を教えてくれます。

「おばあさんの知恵袋」帯文より、鈴木健二