《今日は雨だからまろぴぴぴ達も一休み…》
こちらは朝から雨になりました。
今日明日と結構強く降るようです。
雨はそのまま、また近畿に行くそうなので水害には十分お気を付けくださいね。
雨が降るたびに秋が深くなりますね。
金木犀の香りも深く、秋だなぁと感じます。
家の裏には二階建ての我が家の倍以上もあるような大きな銀杏の樹もあり
これから秋が深まって色づいていくのが楽しみです。
今週は浄化週間だったのか、週明けから体調が良くなかったので
毒出しの意味もかねて、家でゆっくりと過ごしています。
何しろ心身不調になってからは、物事を行うのが難しく、
今はこうして時間をかけてパソコンに向かうくらいしかできませんので
できることを、と思い、パソコンに向かうことを心がけたりしています。
ほおんと難しいんですよね。
目が急激に悪くなったので、手仕事や手紙を書くのも以前ほどできません。
不安症というのは厄介で、本当に一人では出歩けないものなのです。
特にちび達がいるので、この場を離れている間に何かあったらと思うと
本当にお風呂にすら入れないのです。
30秒以内に走って帰ってこれない場所には出かけられない。
だから、毎日、手紙を書いても出しにいけない。
お手紙を書くことが、ある意味、人とつながること
と思える今の生活ではそれがとっても残念です。
以前は30秒以内のところにポストがあったからよかったんですけどね。
ちび達を抱っこして連れ歩ける場所にショップもないので
週末に家族と出かけるしか方法がありません。
ただ、こういう情けない自分と対面していますと、
最初はへこんでばっかりでしたが震災を経験して以来、変わった気がします。
たくさんの突然の悲劇に同じような方も多いのでは?
と想像するに至り、顔知らぬ方々の心の平和を祈りたい気持ちになりました。
そのおかげで今年はがんばってこれたような気もします。
もともと私は自分に負けたくない人なんです。
自分が決めたことがやれないのが本当に悔しい人。
世の中の人を見ると、なんで「できない」って状態で
平気でいられるのかが理解できない人でした。
だから、できないってことが本当に嫌でした。
ところが今の私は嫌なんだけど、
どんなに頑張っても、どんなに努力してもできない。
それは10年前に当時10年を暮らしたパートナーを突然死で失くしたことにさかのぼります。
すべてを失くしたと思いました。
ぴーちゃんを片手に日本を放浪するしか生きていけない日々がありました。
音も色も見えず聞こえず、感動する心は失くしたんだと思いました。
すると今までできていたことができなくなったのです。
時間が経つごとにいろんな障害が出てきました。
人にはわかりません。自分にしかわかりません。
いつしか不安で何もできなくなった自分がいました。
何をしても心の中の不安は一向に晴れないし、
そんな自分が本当にショックでした(^_^;)
一体どうしていいんだか、全然わかりませんでした。
なんでもやれてた以前を知る人は「一体どうしちゃったの?」って言うし
その頃の私を知らない人はまるで怠け者かなんかの様に言うし、見る。
そして、ああしたらいい、こうしたらいいと、
自分の考えだけを押し付けてきてはそれができないと
まるでダメなものを見るように話をされる。
時には「かわいそうにねぇ、怪我なら治せるのに」と言われたこともありました。
これまた元が人様よりもかなりバイタリティある生き方をしていたので
今の元気なしなしな自分ですら、ちょっとやると人よりもできる印象を与えるらしいのです。
でも、それは、やっぱり以前とは違うので、浮き沈みがあるわけですよ。
そうすると、周りからはまるで努力をしてないように思えるらしいんですねぇ。
ほとんどの人に私の中の葛藤や努力は一向に理解してもらえない10年でした。
そんな10年の間を一緒に歩いてくれたのが昨年亡くなった最愛の相方さんです。
相方さんがいるときが一番ピークでひどい状態でしたが
相方さんは理解の深い人で、そんな私と生活することを選び
私ののために共に仕事をしてくれて
演劇という世界とつなぎ続けてくれた人だったのです。
一人では不安から生きていけないような状況だったので
生活も24時間、一緒にいる生活をすることを選んでくれたのでした。
一人では出歩けないので、毎日車に乗せてくれて
週末は必ず遠出をして自然の中に行けるようにしてくれました。
私は彼にそうしてほしいと言ったことは一度もありません。
逆に迷惑になりたくないので、何度も去ろうとすらしましたが
相方さんの方が、何かしらの理由をつけては隣にい続けてくれたのでした。
深い深い慈愛をもって一緒に生きてくれた人でした。
だからこそ、私も彼に何をお願いされたわけでもありませんが、
自分の才能と人生のすべてを相方さんと生きることに使えたのだと思います。
本当にお互いに支えられた10年を過ごしました。
そんなパートナーがまた突然にいなくなったわけですから
いやもう、どうやって生きていけばいいものか…。
実のところ、いまだにわかっておりません。
ただ、命を受け継がれたんだなと感じています。
だから生きていかねばなと思います。
まだ忘れ形見たちもいますしねぇ。おいていけません。
そう思いますと、この不安症なるものは
それらを守るために与えられた才能じゃなかろうか?
なーーーんて善き風に解釈しちゃってみたりしています(笑)
でもこの状態が10年も続くとさすがにその現実に慣れも出てきます。
10年たってやっと、まあ、しょうがないやぁと思えるようにもなってました。
そう、いまだに「なってきた」ってレベルです。
人間は本当に難しいですが、それでもこうして生きているんでやってかなくちゃいけません。
なので、このところは「やりきるぞ!」という思いを持たないための努力をしています(笑)
いや、私の場合、そうしないと今でもほんとに落ち込むんですよ。
できるはずの事が、本気でできないわけだから。
もちろん以前も完ぺきではなかったですが、私なりの覚悟や達成感があったわけです。
だから最低限、そこまで持ってこないと生きてる気がしないわけです。
「まあ、いいや」
って、いつも思うってのは、私にとっては勇気がいることなのです。
だって悩むじゃないですか?悔しいじゃないですか?
がっかりしちゃうじゃないですか?
自分が決めたところまでできてない、ってことには。
私にはそれが一番ストレスなんですなぁ。いまだ。
でも、いまは「まあいいや」ってレベルで過ごすことにしています。
それでいいと思う努力をしています。
できないことがあっても仕方ないって思うようにしています。
そんなこんなで、今は朝おきたらちび達を連れて、眠る家族を起こし、
送り出しをしたら、今度はお弁当作りをして、片づけをして、
カンナちゃんを送り出したら、ちび達のために庭を掃除して
ちび達の遊び場を確保したら、それから自分のコーヒーを淹れ、
そして手紙を書く道具や本や手仕事のしたくもして
それから電源を入れてパソコンに向かいます。
もうね、これだけでもやんないとダメになっちゃいそうで
どんだけフラフラでもやっちゃうんです。
基本、母性で生きてる方なんで、誰かのことしてないと
自分の生きてることがつかめないタイプといいますか…。
ある意味、生きがい??(^_^;)
そして、できる気分になった時にすかさず本を読んだり、
こうして文章を打ったり、手仕事をしたり、
コーヒーやお茶を飲んだりして過ごします。
何もできなければ、ただそのように過ごします。
ただ時間と一緒に流れます。
最近、時間の具体的な存在というのを忘れていましたが、
(テレビとか見ない人なので)
帰ってきてから庭に種を植えたらば芽が出て
それを見ると、時間があったのだなぁなんて思えます。
ありがとう、植物たちって感じです。
やっぱ、自然は偉大ですね。
そんなこんなでできない事だらけのダメダメな人なんですが
なんとかやってかなくちゃねと思って、考えたり発信したりもしています。
もうすぐカンナちゃんや家族とネットショップも始めるので、
また色々なつながりもできることでしょう。
夕べ、相方さんが久しぶりに夢に出てきました。
いい夢でした。自然で。やっぱり旅をしてて。
私たちらしい夢でした。
相方さんと今も深くつながる愛を感じました。
もうすぐ相方さんが向こうに旅立って一年がたちます。
一年過ぎたとは思えないくらい早いです。
時間が過ぎるほどの寂しさは増し、
写真もじっくり眺められないほどです。
死後の涙は自己憐憫と言われようがなんだろうが
私はそれは愛ですよと思いたい。
そう思って、寂しさを感じてます。
私は療養中の上に、一人で出歩けないから、
一周忌の場に行けるか、まだわかりませんが
どんな場にいても繋がっていることを感じていたいなぁと思っています。
なんとなく、こんなダメな自分のところでも
いまだに変わらず会いに来てくれる相方さんを思い、
今日はこんな記事を書きました。
相方さんのご両親やご兄弟をはじめ、
世界中、そして今年の日本には
たくさんの切ないお別れをした方がいらっしゃいます。
そういう方々がゆっくりと穏やかに生きていかれますように。
今日も天と地を繋いで、相方さんと共に祈りたいと思います。
愛と真実
それだけがすべて
(BY 米澤観児)
すべては愛のなせる業