KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ひとやすみ、ひとやすみ

2006-09-15 | KOFUKU日記
今のところで働き始めてからもう五ヶ月目になる。
金曜日、土曜日と休んでしまった。。。こころの調子が悪くて。
体調が悪かったり、用事があったりしてお休みを頂いた事はあったが、どんなにメンタルな部分が苦しいと思っても、歯を食いしばって頑張ってきた。
でも、今回は駄目だった。別段PTSDの症状があまりにもひどく出たとかではない。
ただ、静かに静かに日の差さない水底にいるような、そんな気持ちでいる。
静かな悲しみとでも言うようなものがさざ波のようにせまってくるその波に足止めをされて動けなくなった。
いつもなら「ここで休んだら…」とか「お金が…」とか考えていっていたと思う。
でも今回は違った。ただ静かに「今日は行かずにおこう」と思った。

私は3年半前、命よりも大切な人を突然死という形で失った。
嘘みたいな出来事だった。
その人は、私にとって、誰よりも私を理解し受け止めてくれた人だった。
その頃も、たぶん今も、たった一人、恋愛とか親子愛とか、形ではなく、本当の意味で心から私を愛してくれた人だった。
そうして、私にとっても、向けられる愛を疑いなく信じることの出来た人だった。
その人が亡くなった時間のほんの3時間前まで、私たちは話をし、一緒にお弁当を食べて笑っていた。
眠る間もないくらい忙しかったその頃、その人は最後まで私の身体を気遣ってくれて、すこしでも眠るようにと、その夜、わたしのしていた仕事を引き継いで変わってくれたのだ。
私たちはその頃、やっと念願の夢を現実にする場所を手に入れて、そこで一生懸命に私たちの信じる世界を作っている最中だった。
そこはこの世で一番わたしの好きなものがそろっている「天国」で、そこ以上の場所はなかった。
大好きな人たちがいて、大好きな仕事が誰にも邪魔されず、思う存分出来る。
それを喜んでくれる人が集う、愛にあふれたところだった。
その天国でわたしの一番大切なもののなかの一番愛したものが一瞬にして消えてしまった。
ソウルメイトはその店の舞台の上で突然に命の終わりを迎えた。
最後に会って3時間後の事。
それから、わたしは10日ちかく眠らなかった。全然眠くならないし、苦しくもなかった。ある日、いきなり目の前がゆがんでくにゃくにゃに見えて、初めて「あ、身体がもう駄目なんだ」と分かった。でも全然辛くなかった。
生きる気力がないとき、(その時はそんなことも何も考えなかったけど)、人間は痛みや苦しみは感じないものなんだなあと思った。
それから何も感じなくなった。感情はある。でも心はなにも感じていない。だから何を見ても聞いても本当にきれいだと思うことも、嬉しい事も、楽しい事も分からなかった。
ただ、生きているから笑ったりする機能を使ってただけで。
実は悲しい事も最初の一年は上手く分からなかった。上手く言えないけど。
ただ、その大切な人と共通するものには触れることが出来なくなった。
10年という長い年月を共にしたその人だったから、この住んでいる場所で思い出のないところなんてなかった。私は街を歩けなくなってしまった。
そして大切な人と一緒に、それまでの自分も失ってしまった。
命も仕事も名前も何もかも。
そして、わたしは全く知らない土地に移り、暮らすことになった。
でも、もともとやれることしかやってこなかったから、ただ生きてると、あたしって本当にそれしか出来なかったんだなあって事がよおく自分で分かった。
それしか出来ないんだから、そこに帰らなきゃいけないって漠然と思って、東京に帰ってきたのだった。
そこでしか生きられないって分かったから。
でも帰ってきたけど、生き方はやっぱり同じで、思いはあっても大切なものには全く触れる事が出来なかった。
何よりも大好きなのに、大切なのに、見ることも触る事も出来ない。
悲しかった。ただ、痛みと深く暗い悲しみが訪れるようになった。
今も良くあることだが、朝起きるとなぜここにいるのかさっぱり分からない。
この現実はどうしても想像しなかったところにあって、全く持って理解できない。
何故?と思っていると、失ったものを思い出す。それらが今は手元にない事に気が付いてしまう。
すると次は真っ暗な孤独と悲しさが恐ろしい勢いでせまってくる。
なにもかも失ってしまったという孤独は壮絶なものだ。
ひたすらに孤独と恐怖が襲ってくる、だれも助けてくれない。助けてくれることの出来るたった一人の人はもういないのだから。
なによりそれが怖かった。そしてそれらは今もわたしの傍にある。

このブログを書き始めた頃位から、悲しい、寂しい、怖いと思ってる自分が見えるようになった。
周りの人々が自分を助けようとしてる事も理解できるようになった。
だから、きっとこれじゃあいけないんだ、と思い、ネガティヴなことは書くまいと、優しい気持ちで穏やかに暮らしたいと、このブログを書き始めた。
そうするとなぜか穏やかな暮らしが待っていた。たぶん望んでいるものではなかったんだけど。でもそれに気づく余裕もなかった。
不思議だが人を信じたりすることも出来るようになった。
信じるというか、心を少し開けるようになったと言うことだろうか?
失くしてしまったと思った感情がある一瞬だけは戻ってくるという衝撃的な出来事にも恵まれた。
すると今まで生きてきて誰にも言えないで来たネガティヴなことや悲しい事が、特定の人には少しづつ話せるようになった。
その代わり、時折訪れる深い悲しみや孤独や痛みがもっと分かるようになった。それは本当に苦しかった。
そんな時間が一年と少し続いたある日、わたしはやっと話せるようにまでになった心許した人から信じられない様な言葉と行動を突きつけられた。
その人はわたしの病状を受け止めてくれた数少ない人だった。
人を信じられない自分だが、それでももともと「信じることからはじめよう」とする性格で一度信じたらそれは絶対だった。
だからそういう人が心変わりすることは心の奥底でかなりショックだったらしい。
それがきっかけでPTSDの症状が顕著に現れるようになり、やっと取り戻したかに見えた通常の生活が出来なくなった。全く人と関われなくなってしまったのである。
人様に話せば、なんだそんなことか、人なんてそんなもんだよって事かもしれないが…。
実際、そういう状況は辛かった。生活がどんどん脅かされていく、恐怖だった。
でもそこから一年、いろんな人の手助けがあって、やっと動けるようになり、問題を抱えたままながらも仕事まで出来るようになった。
閉ざしていた心もまた少しづつ開けるようになって来たところだった。
ところが、だ、この中休みである。
恵まれて、この状況で仕事を得て、ここまで来た。その間、いろんな人に出会い、協力を受けて、もともとやっていた世界にももう一度帰れることになった。
ああ、これで、迷惑をかけてきた人にも「元気になってきました」って言える。
やっと働けるようになってきましたっていう事が出来る、って思ってた矢先の今日。
この中休みの原因は、客観的に言うなら、もちろんわたしの弱さにあるんだろう。
今の職場でわたしはとても良くしてもらっている。
そうして、わたしはそれをとても嬉しいと感じていた。
だから自分に出来る一生懸命さを持って誠実に頑張ろうと思ってきた。
わたしは病気を抱えている。その状況は自分ではどうしようもない事もある、だからその事を伝えてきた。
その流れの中で、聞かれるままに自分の事を話した。出来るだけの誠意を持って正直に。
なぜならわたしの病気の原因がその人生の中にあるからだ。
自分でも特異すぎて対応できず病気になるくらいの歩みなのだから、他人からすれば夢のような嘘のような話であることも分かっている。だから理解されない事も疑われる事も知っている。
それでも、相手の笑顔にわたしは希望を持って話す。そうしなければ話せない。
しかし、信じてもらうことは難しい。最初は誰でも「可哀想に…」と言った気持ちがあるのだろう。話の内容云々よりその気持ちで対応をしてくれる。
受け入れられれば、こちらは安心し落ち着いて行動が出来る、病気の片鱗も見えない。
外科的な病気じゃないから、傷はまったく相手から見えていない。
となると、人はこの人は病気というが本当か?と疑ったりする。傷が見えないから、それを探って見つけようとする。
それでも相手に見えなければ「うそなんじゃない?」「だから精神病は困る」と攻撃してくる。
でも、紛れもなくわたしは傷を持ったまま生きているのだ。
相手に見えずとも攻撃は直接傷に当たった。ましてや攻撃している人は自分が信用した人であるケースが多い。信じている人からの攻撃は痛くて辛い。
何とかして、和解しようとするが、見えない傷には気が付いてもらえない。
じわじわ傷は広がって、血だらけになって、あまりの痛さに立てなくなった。

ある人が「あなたの生き方は通常の理解域の範疇を越えるのだから、理解されようってのが間違いだよ。理解されなくて当たり前と思うようにしたほうがいい」と言った。
分かっている、そんなことは分かっている。十分承知している。
でも、やっぱり信じて欲しい人に信じてもらえないことはとても辛い。わたしにはとても悲しいことだった。
他人にはどううつっても、わたしには実際に起きた現実なのだから。
正直に生きようとしたらそれを伝えるしかないのである。
仕事場でその人はより所だった。理解してもらえずとも、りかいを示してくれているという事が嬉しかったし、安心だった。
ところが昔、精神科のナースであったというその人は「病気=頭や心がおかしい」と考える人なのかもしれない。
「おかしい人」が喋る事は「おかしい事」でしかなかったんだと思う。
たぶんその人にとっては、そう感じ、考えることが当たり前の感情で間違いのない正しい事だから、わたしがその人の言動で痛みを感じているなんて思いもよらない事だったろう。
その証拠に本当によく面倒を見てくださるのだ。もし、傷つけているとか馬鹿にしてるとかそういう意識があったら、そういう風にはしてくださらないだろう。
相手から見たら、いきなり湧いて出た水みたいにびっくりに違いない。
わたしはそのことも良く分かっている。だから感謝もしてるし、頑張れた。
その人はわたしを理解したいといった。自分には良く理解できない事もあるが信じてないというわけじゃないと言った。
人にはそれぞれの人生があり、それぞれの価値観の中で一生懸命生きている、だから人の人生をとやかく言うべきでないと言ってくれた。
それをわたしは言葉のままに受け止めようとした。ところが、この何ヶ月か、その人はそう言った端からわたしの言う事を疑っていた。最初からすべて。彼女自身は気づかなかったろうが、わたしにはそれが良く分かってしまった。
その人は屈託のない性格で自分のすることに非はないと思っているタイプの人だから、本当に何も気づかなかったに違いない。
わたしがはなすと「信じてないわけじゃないけど聞けば聞くほどおかしいのよね。あなた病気だから自分でも言ってる事が分からないのでしょう?」と笑う。
その言葉がわたしをすべて否定している事なんか気がつかない。
「切って治る病気はいい。でも切っても治らない病気の人はあわれだ」とわたしを見て言う。
それがどれだけ病を辛く思っている人間に痛い言葉であるか知らないで。
病状の事で仕事に少しでも不利な事があると、それが病気からくるもので、とても辛い事であるとどんなに説明しても、性格的なものでそうなるとしかとってもらえない。
例えばわたしがとても親しくしている人を知る人が他に居たとして、その人の事を聞かれて話すとしよう。例えばその人の事を聞かれて答える。その人はわたしを信じているといいながら、他から聞いた事と内容が違うと信じてると言う傍から「話が違う、だれだれはこう言っていた」とわたしに言う。何を言ってもわたしの方が嘘なのだ。
信じてもらえないって言うのは本当に悲しい事だった。わたしには。
やっと戻れた自分の世界、やっとの思いで生きていく場所を見つけて、そのために一生懸命生きているわたしに、その内容を訪ねては毎日のように「お金にもならないものに何の意味があるの?」「ただの趣味?」と笑われる。向こうはきっと正しい事を言ってるだけで悪気なんてなければ、それが人を悲しませてるなんて思いもよらないのだろう。だからわたしも何も言わない。
ただその奥底で理解してもらうのは難しいだろうな、と想いながらもやっぱり、この精神状況でやっと得た場所を笑われるのは、汚されるようで悲しい。
生活もいっぱいいっぱいの癖にお金も知名度も気にせず、ただ真っ直ぐに演じていく事でお客様との関係を築いていこう、そういうスタンスで芸術活動していこうとするわたし達の姿は事はとてもこっけいにうつるのだろうとは思うけれど。
そういう言葉の波に揺られているうちにわたしは酔ってしまった。
岸に上がって呆然としていたら、兄ちゃんがまあ一休みしたらいいさ、とにかく酔いをさましなよというので今は防波堤に座って波を見ている。
昨日までは気持ち悪くて寝込んでいたけど。
今は風に吹かれながらわたしを酔わせた波を見ている。
わたしは波に正直に酔いましたと言いました。
波は何も言わずにわたしを船から降ろしてくれました。
だから言いました、酔ってしまったので酔いがおさまったらまた船に乗ります、と。
波がどう思ったかは分からないけれど。
ただもう一回これだけ酔ってしまったので今度は免疫が出来ている事だろう。
きっと今度はもう少し荒波でも酔わずに居られるかもしれない。






911とPTSDと祈りと…

2006-09-13 | KOFUKU日記
昨日から関東地方は寒い日が続いています。
今、フリースを羽織ってちょうどよいくらいの気温です。
一昨日は911(アメリカ、ニューヨークテロから五年目だそうです)のメモリアルディでしたね。
ほんの少しだけ、テレビで特集をやっているのを見ました。
五年前、二機目の飛行機がビルに飛び込み、ビルが崩れ落ちるのを同じ時刻にLIVE中継で見ていた事を思い出します。
一瞬にして人の命が失われていく現実に呆然とした事が思い出されます。
このような悲しい出来事から生まれた病気があります。
戦争、震災、殺人、そのほか多くの非現実的な出来事が生み出す病気それがPTSD(内的外傷後ストレス障害)です。
以下はあるPTSDを紹介するコーナーからの紹介文です。

「PTSDとはPost Traumatic Stress Disporderの略で直訳すると、心の傷となるストレスを受けた後に生じる障害ということです。火災、洪水、台風、地震などの自然災害、戦争、事故、レイプ、などの自分の身に危険が及ぶ体験をした、あるいは他者がそれらの危険にさらされているのを目撃し、そのときに恐怖感や無力感、戦慄を覚え、その体験が強烈なストレスとなり様々な症状を呈し、日常生活に支障をきたす障害をPTSDと言います。
もともとは、ベトナム戦争において極限を超える悲惨な体験をし、帰還したアメリカ兵の多くが心身に様々な症状を呈したことをきっかけに本格的な研究がなされるようになりました。その後、同じような症状を呈する人が戦争体験者以外にもいることが分りました。日本では、阪神大震災や地下鉄サリン事件などの直後にPTSDの症状を呈する人が多く現れ、注目されるようになりました。
また、日常ではありえない恐怖体験をしたときのほか、虐待やいじめ、DVなど日常的に強いストレスにさらされている場合もPTSDになりえます。
症状は精神面・身体面の両方に現れえることがほとんどで具体的には、再体験(情動反応を伴う恐怖体験が思い出される。フラッシュバックとも呼ばれる)、覚醒亢進(興奮状態が持続する)、感情の麻痺(無感動、無感覚)、回避(似たような状況・場所、それに関する会話を避けようとする)が主なものであり、そのほか、不安、パニック発作、退行(幼児がえり)、悪夢、情緒不安定、孤立感、集中困難、不眠、幻覚、ささいなことにも過敏になる、過剰に驚くなどがあります。日常のなかの何気ない光景や物音に反応して、当時の状況が思い出され、そのときの恐怖感とともに、心拍数が上昇する、過度の震えなどの症状を呈することもあります。
また、PTSDは自分が自分でないような感覚に陥る解離性障害と深い関係があると言われています。
PTSD・ASDにはなりやすいという性格特性はなく、誰でも極度のストレスを受ければなりうる障害です。重篤な場合には感情面の麻痺状態から、人格的・社会的にも破綻してしまうこともあります。
また、子どもの場合には、ひどい目にあうのは自分が悪い子だからだ、と自罰的になることもあります。」

私はこのPTSDという病気を持って生きています。
文章で見ると現実にはありえないようなことばかりで「へえ~」って感じにしか思えないような内容ですが、実際それを持っている人間にはかなり過酷な現実です。
この病にかかると、とにかく「怖い」何がなくとも常に「怖い」のです。
その恐怖感の中にいるとき、自分は必ず「独り」です。だから余計怖いのです。
誰も、何も、絶対に助けてくれないという中での恐怖感なんです。
たとえ周りに人が居ても、フラッシュバックを起こしたら、それはその恐怖が起こった時間の真っ只中に居て、周りの人は見えません。真っ暗な孤独。それがPTSDの恐怖感です。
どんなに時を過ごしても、一瞬にして0地点に戻ってしまう。単に時間では解決できないものです。
いろいろなこの世で起きている悲しい出来事のニュースを見るたび、私は同じ病気を持つ人がまた生まれたんだと思い、悲しくなります。
PTSDという病気はいろんな見解があります。大体治療すれば4ヶ月くらいで良くなると言うけど、それは違う気がします。それは良くなってるんじゃなくて、落ち着くだけ。
こういう見解もあります。「医療では治す事は出来ない」
私はそれが一番正しいと思う。なぜならどんなに薬を飲んでも「起こった事実は消えない」から。
それが自覚できない患者さんは薬などに依存しすぎてオーバードースなどで亡くなる場合もあると聞きます。
じゃあ、方法はないのか?というと私には正直分かりません。ただ、自分が経験してる事のなかでいうと、「あたらしい事実を作ることができる」、とは思うんですね。
忌まわしい過去は消えないけど、それを上回る現実が出来るとだいぶ楽になる気がします。
でも、それを感じられる様になるまでが長い長い道のりなんだと思う。私がいまもそうであるように。
そこの部分が回復しないとその新しい事実は作れないし、それを信用出来ない。
もしかしたら起こった出来事より、実はそれがPTSDの一番辛い部分なのかも知れません。
PTSDの状態、それはたぶん「死」だと思います。
自分が死んじゃう。壊れて、死んじゃう。殺される場合もあるし、自死するばあいもあると思う。なのに肉体は生きてるから、辛い。
私の感覚で言うと、PTSDになる瞬間、人は死ぬんだと思うんです。中身が。
たましいが壊れて、死ぬ。それなのに身体は生きているから苦しむんじゃないかなって。
PTSDの人はその「死」の瞬間をずーっと現実、今、ここの状態で生きているんだと思います。
死んでる状態からたましいを甦生させるにはかなりの呪文と薬草と力が必要でしょ?ゲームでも。
実際それは難しい事で、だから深刻な病気なのでしょう。
死んでるんだから、何にも出来ないし、感じないし、動けなくなるんだもの。

先にお伝えしたように、PTSDになるにはいろんな原因があって、原因が一つの人も居れば複数の人も居ます。
PTSDになって過敏な心になってから、周りの言動によって原因が増え、悪化する事もあります。
原因が多いという事は、たましいが死んでしまうような経験がたくさんあったという事です。
ちなみに私は大きく3つの原因を抱えています。
一つは幼い時から与えられてきた環境によるもの(DVや虐待など複数の体験)、二つ目、三つ目は人の死に関係するものです(他人の死の目撃、自分が他人によって死をもたらされる体験など)
これらの原因に関すること(人の言動や関係するものの目撃など)が発端(トリガーと言います)になって、先に書いたような症状を引き起こします。
私の場合、単純に一番怖いのは人の争う声や波動、大きな物音などで、ひどくなると恐怖のため家から一歩も外に出られません。
家族がイライラしてたりすると、家族が怖いんじゃなくて、そのイライラが怖くて、涙ボロボロになり、部屋のすみっこに隠れたまま一歩も動けません。テレビも何もかもいつ怖い原因が出てくるか分からないから真っ直ぐ見られない。思い出す曲は聞けない。道も歩けない。電車も乗れない。人とも話せない。一人だと怖くて泣いてばっかり。それが日常です。
何か怖いなと感じると思考が麻痺して何も考えられないし、分からなくなって、誰かと話すのも、仕事をするのも困難になってしまう。たとえそれが信頼する人であっても、その恐怖を抱えているときは不可抗力なんです。
そうなると周りに「自分に力がないから」とか「自分のせいでこうなるのでは?」と思わせてしまい、悩ませてしまう。愛する人たちのその苦悩する姿にまたショックを受け、症状が悪化するという悪循環。
PTSDは家族や愛する人がこの病気になったとき、本当の、真実の愛の強さを問われる病気かもしれません。
ところがこのPTSD、発作が起きなければ外からは分からない病気です。
発作が起きたって、「何、この人、やばい人?」くらいの認識しか持ってもらえません。
そしてPTSDになる人は、常々我慢強い人が多いようです。
中身死んじゃってんのに生きてるくらいだから、ある意味では強い?んでしょうか。
だから迷惑かけたくない人の前とかではかなりの確立で症状を我慢できちゃうのです。
というか、そういう人の前ではあまり大きな症状が出ない。
常に怖いのは消えないから、軽い発作症状の真ん中で暮らしてるわけです。
(本当にフラッシュバックとかに陥ったら不可抗力なのでもうお手上げですが。)
だから、本当に理解してもらえません。さらにその原因は大抵人様に話せないような内容、もしくは思い出したくないことなので誰にも相談も出来ない。
完璧におかしくなってから病院に駆け込むというケースが殆どかもしれませんね。
私はこうやって書いたり、話したり出来るようになっただけましなほうでしょう。
以前は本当に何もかも駄目でした。なにも分からないし感じなかったから。
だから人の言葉にもすぐ傷つきました。
特に「時間が解決するよ」(事実は消えないのに)
「心が弱いからもっと強い意志をもたないと」(起こったことは不可抗力だったのに?意思で避けられたら避けてます)等々の言葉の数々には。
そんなこと出来てたらPTSDになってないんですよね、みんな。
でも、今は受け止められるかどうかは別として、その言葉の裏側に心配とか慰めとか愛ってものが見えるようにまでなりました。

今日、なぜこんな事を書いているのかと言うと、今、稽古しているお芝居でPTSDを扱っていて、日々、自分と向き合わざるを得ず、葛藤しているからです。
そのせいで不安定になることも多々あります(^^;)
でも、その分、考える事で見えることもたくさんあって。
なんとなくそれを伝えたいと思って。
この日々の中で、先に書いたように、過去を消す事は出来ないけど、生きている限りは新しい時間を作れることにも気が付きました。
そして、たぶん、この病気を癒せるのは「愛」だけじゃないかってことも。
たぶん、薬はそれしかないと思う。経験上で感じたことですが。
何に愛を感じるかは人それぞれと思いますが、それが少しでも感じられたとき、今も生きている悲しい現実をたぶん「思い出」に出来るのだと思います。
悲しい現実を思い出にできればきっと、新しいところを歩けるのでしょう。
たぶん、かなりの確立で行ったりきたりするとは思うけれど。
この病に苦しむ多くの人が、はやくその愛を見つける事が出来て、そして今度はそれを失うことの無いように願っています。
(見つけた愛を失う事はあらたな、それも更に重度のPTSDを引き起こすから。私がそうなので、そうなるとかなり深刻です)
そうして、また以前のような笑顔と世界を取り戻せるように願っています
この病気には周りの方の愛と理解が不可欠だと思います。
そうして、周りにいらっしゃる多くの人がこのような病に苦しむ人と愛を分かち合える瞬間を持ってくださる事をこころから祈りたいと思います










 

眠れる森の美女

2006-09-10 | KOFUKU日記
今日は久しぶりのお休みでした。
でも、仕事がわんさかあるので休んでいられない状況なのですが、
ご招待を受けてクラシックバレエの公演に行ってきました。
公演といってもお教室の発表会と聞いていたので、
あまり期待せずに向かったのですが、行ってびっくり
公演会場は素晴らしく大きなホールで、お客様も満員。
そして出演者の生徒さんの多い事!
一部はちいさな生徒さんから大人の方までそれぞれの小作品。
ちいさなバレリーナさんたちの可愛らしい事ったら!
そして二部は「眠れる森の美女 全幕」(3時間!)
とにかく生徒さんのレベルが高いのです。
主役を演じたまだ十代の女性は若手バレリーナの登竜門、
ローザンヌバレエコンクールで賞を取った方だとか。
まだ小学生というのに誰よりもうまかった女の子は
やっぱり全日本のコンクールで賞を受賞しているそうです。
男性ダンサーも若手の人気ダンサーの方ばかりだそうで
とても素晴らしい踊りをなさっていました。
バレエはチケットが高いのでなかなか見る事が出来ないのですが
今日は素晴らしい踊りを見る事が出来て良い時間でした。

実は私が一番最初に見た舞台芸術はクラシックバレエでした。
一瞬にしてとりこになり、小さい頃の夢はバレリーナだったのです。
残念ながらお稽古をする機会はありませんでしたが、
とにかくバレエが大好きで、TVなどでやるときは欠かさず見ていました。
本やビデオなどもいっぱい持っています。憧れの世界でした。
そうして劇団○季に入って初めてバレエをお稽古する事になったとき、
私は迷わず、小さい頃から憧れていた「真っ白なタイツ」を買いました。
大人になると大体ベージュのタイツをはくんですが、
どーしても白いのがはきたかったんです~(^。^;)
白いタイツ、紺のレオタード、ピンクのバレエシューズ、
同期には「幼稚園生のお稽古じゃないんだから」とからかわれましたが
それだけで嬉しかったのを覚えています。
やっぱりバレエはきれい。好きだなあ~

ポートレート撮影

2006-09-08 | KOFUKU日記
昨日は六本木まで写真撮影に行きました。
その写真館は六本木でも有名なフォトスタジオです。
たくさんの著名な人や俳優やタレントさん、
ホストやキャバクラの女の子、そしてファミリーまで、
はばひろーい撮影をしています。
昨日は俳優二名、女優1名とともに撮影に挑みました。
まずはヘアメイク。役に合わせてプロのメイクアップアーチスト達が
見る見る間に俳優たちを変身させていきます。
一時間後、すっかり俳優たちは作品の時代の人たちに変身。
スタジオに入るとカメラマンの木村さんが登場。
写真のコンセプトを話し、衣装を決め、背景を決めて写真撮影がスタート!
木村さんの軽い声かけで、俳優たちは役の顔になって行きます。
あっという間に150枚ほど撮ってしまいました。
デジタルですから大画面にぽんぽんと写すたびに映像が映ります。
デジカメってすごい~。
それからみんなでベストショットを選んディスクに入れてもらって撮影完了!
聞けばデジタルだから、痩せたり太ったり修正も簡単なんだそうです。
本当にデジカメってすごい~~。
昨日撮影した写真は今度はチラシに変身します。
一昨日の夜から夕べ遅くまでハードだったけど楽しかった。
チラシの出来上がりが楽しみです(^^)

損して得(徳)せよ

2006-09-06 | KOFUKU日記
みなさんはNHKの朝のドラマ「純情きらり」をご覧になったことありますか?
私はテレビは興味のある番組以外はドラマなど全くと言っていいほど見ませんが、
この朝の連続小説と大河ドラマだけは見られるときには拝見しています。
特にこの番組は、戦前戦後の混乱期の中、芸術を志す人々が主人公で、
頭の固い日本の風土からは周りの理解が得られず、
苦難の中それでも自分達の心を信じ、希望を持ち続け、
道を歩んでいく姿が自分達の心ととても共鳴するのです。
特に音楽、絵、に深く関わるこの作品の映像や
バックミュージックは美しく、本当に楽しみに見ています。

以前こういうシーンがありました。
現実の世界に深く関わっているキャラクターの人は
生活力がなく、家族が苦難にあっても絵を描き続ける
その人の事がどうしても理解出来ません。
それで、いつも「そのあり方はどうか?」と意見をするのですが
あるときその人が出征する事になります。
みんなは命を大切に、と言いますが、その人は
「お国のために、そんな事を言ってる場合じゃない」
と答えるのです。
その時、その画家の人がこういいます。
「君の大学の専攻は何か?何を研究している?」
相手は「水滴の研究です」と答えます。
それを聴いて画家は微笑みます。
すると相手は何がおかしいとおこるのです。
画家は答えます。
「君がしている事は俺が絵を描くのと同じ。
傍から見たら何をやってるのか全くわからない。
長い年月をかけて、いつか誰かがそれに目を留めてくれたとき
初めて、ああこういうものだったかと判るものだ。
それがいつくるかも判らない。それならば
長生きしたほうがいいんじゃないか?」って。
私はこのシーンがとても好きでした。

同じように私の生活の中でも、私のしている事はなかなか認められません。
理由は「お金になっていないこと」
「人に知られていない(相手にとってメジャーでない)こと」
の二つだと言い切ってもいいと思います。
毎日「何のためにやってるの」
「お金にも出来ないものに意味あるの」
「どうせ趣味なんでしょう?」
等々、最初っから馬鹿にされる口調で言われます
そういう方の価値観では語れば語るほど理解されないので
あえて詳しく語ることはありません(笑)
だって、そういう人の芸術の価値観は、
自分が感動せずとも画集に載ってる絵であるとか、
テレビでレギュラー持ってるとかなんだもの(^^;)
それやってない私たちは最初っから話になんないわけです。
でも、面白いものでそういう人も居れば、
とても理解してくれる人も居ます。
昨日もそういう方がおりまして、元気をもらいました。
仕事場で、私にいつものごとく、私の生き方を嘲笑する発言がありました。
すると、横にいらしたお客様が言いました。
「Rayeちゃん、損して得しろ、だよ」
「損して得しろですか?」
「そう。いいかい、あなたに今、暴言を吐いた人間はね(笑)
この言葉を文字で書けって言ったら、絶対に損して得すると書く。
あの人種は得てして「損と得」でしか生きてないからだ。
けれど、あなたはね、「損して徳する」と書ける人間であると覚えておきなさい。
どちらが正しいと言ってるんじゃないけどね。
Rayeちゃんはこの嘘の飛び交う場所で嘘をつかない。
それをまわりは馬鹿だって言うだろう。
でも信念もって馬鹿をやれるってのは勇気がいる事なんだ。
周りはそれをやる勇気がないから言うんだよ。
そういう人はお金のために仕事をする、商売をする。
欲しいのは「得」だから。
でも、働くというのは、傍に居る人が楽になること、
商いというのは、自分の仕事を飽きずに続けられる事、だよ。
そこから得られるものは「徳」
「得」は使っちまえばおしまい、あの世にも持っていけない。
けれど「徳」は一度手にしたら消えない。
あの世にも持っていける財産だ。
だからあなたは何を言われても、徳を得る人になりなさい。
あなたは芸術をやっているんでしょう?
それも、それが本当に好きなんだね。それがとても判る。
それは選ばれたって事なんだから誇りを持ちなさい。
何が大切かを決めるのは自分だよ。
その自分を一生懸命生きられなければ芸術にもならない。
あなたが一生懸命生きられるからこそ、それが認められるときも来る。
今がそうじゃないからって意味がないとしか判断できないような
感性のない人はあなたが認められてもそれを理解する事は不可能なんだから、
なんにも気にしなくていい。
そんな事を気にするより、常に笑顔でいなさい」
と、ありがたいことに五時間くらい励ましてくださいました。
その方は科学者でいろんな発明をなさっていますが
なかなか大きなお金には結びついていないようです。
そして、やはり言われる事が奇抜で深いので
軽く話をする人には「変わってる人」なのですね。
だから、私にいろいろ言う人から見たら
「頭はよくても、お金に出来ないんだから駄目な人」で
「類は友を呼ぶのね~」って言われて終わりなんですけどね
でも、この「徳」という言葉は深く心に残りました。
私に与えられた使命と才能を使って、
自分が仕事をするときに、自分も他の人も幸せになれるように、
徳を拾って歩ける人間になりたいものです(^^)