
『ベロ号』
それは相方さんの愛車の愛称です。
某・大手ミュージカル劇団に彼が在籍していたころ、
彼はLキングと言う作品でハイエナの「エド」と言う役を演じていました。
相方さんはLKに連続600ステージ出演の記録を持ち、
ジュリー・テイモア来日時のジャパンベストキャストのエドであり、
ナイナイの岡村さんがハイエナを演じたときのエドも彼でした。
劇団の人たちからも、他の方が演じるのとは違い、
彼特有の愛僑ある演技によって作られるキャラクターゆえに
「愛しのエド」と呼ばれて愛されていました。
その「エド」のマスクはいつも舌をべろんと出しています。
彼が劇団を卒業して、ある山間の町でもう一度絵に打ち込んでいた時期に
そのエドを演じて稼いだギャラで購入した車だったから
「ベロ号」という愛称なのだそうです(笑)
彼の車はジムニーという、とても古い型の小さなジープです。
ちょっと珍しい車でマニアの人には人気があるみたいですね。
我が家では「ベロくん」と呼ばれて愛されていました。
ベロくんが我が家に来たのは、相方さんと暮らすことになって初めての御休みの事でした。
その頃ベロくんはM市に住んでおられた相方さんのお兄さんの家に置かせてもらっていました。
最初に住んでいた家から相方さんのバイト先は遠くて、
駐車場もあいていたので、車で通う事になったのがきっかけです。
それからベロくんは我が家の一員になり、
晴れの日も、雨の日も、風の日も、私たちを乗せて走りました。
彼が闘病中の退院時も最後の日まで毎日走らせていました。
引越しをする時もこの車を何回も何回も走らせて荷物を運び、
自分たちの公演も劇場建設からなにから、
全てこの車一台でこなしてきました。
相方さんが実家に帰るにも、キャンプに行くにも、
お友達のお家に行くのにも、全部この車でした。
まるで相方さんがベロくんのようでした。
ベロくんはバイクと同じエンジンだから、エンジン音がうるさくて、
おしゃれな乗用車みたいに乗り心地は良くありません。
窓だって手動だし、時々、壊れてあかないし、
エアコンもうまくつかないし、クーラーをつけたり
雨が降ると助手席の方は水が流れてきて水浸しになるし(笑)
仲間内でも「あんな車、女の子は乗れないよ」と相当評判悪い車でした(;^ω^)
けど、私は親の仕事柄、幼いころから毎日2,3百キロ、
自然の中を車にゆられて育ったので、
おんなじように自然を走るベロ号にのるのが大好きでした。
ピーちゃんもベロくんに乗るのが大好きで、
相方さんが「ぶっぶ、いく?」と聞くとそれは喜んで(^^)
どんな激しい道も怖がったことも酔ったこともありません。

自然が大好きだった相方さんは休みごとに私とピーちゃんを乗せて
このベロ号で近県の山や海を走りました。
北海道にもこの車でした道だけを走って行きました。
地図も何も持たず、方位磁石だけを頼りに森を抜けたり、
多くの地図にもないような林道を走りました。
闘病中、最後に入った林道は今世紀最大の難関で(;^ω^)
道がなくなって川になってて、それを超えて進んだり、
どんどん日が落ち、真っ暗になり、あわや森と心中…
というところまで行きました(無事脱出しましたが・笑)
また古いので良く壊れる車で…(笑)
道路で立ち往生したり、二人で押しがけしたりとかしょっちゅうでした。
公演後にいろいろなものを処理するためにリサイクルショップ巡りをしていたら
荷物の積み過ぎがたたって、ギアが駄目になり、
なんとか人が軽く走るくらいのスピードにしかギアが入らず
そのまま、遠距離を家までもどり、止めたらそこで動かなくなると言う事で
家の前で荷物とピーちゃんを担いで飛び降りろ!と言われ…(゜∀゜ ;)タラー
もちろん飛びおりましたとも!(*ノ∀゜*)
ベロくん、そのまま入院2カ月、治療費50万なり…(o゜ω゜)チーン
それでも相方さん、ぴーちゃんと私の為に修理を決意!
ところがその後もですねぇ、このベロくんは古さもあって不調が続いて。
走ってるときにブレーキやアクセルのワイヤーがぶっちぎれたり、
一回なんか、めっちゃ車の多いある道路で、ギア完全に折れる∑(゜ω゜ノ)ノ
しかも、警察のまん前でぇ~。もちろんポリスに助けを求めましたが(笑)
それでもそれでも、修理して、修理して、今日までまいりました。
車検だって自分で調整して通してました。
そんなですから、激しいハプニングは当たり前(´゜∀゜`;)
ある時、妙高高原の森の中に在るお家から丸太を頂いて、
新潟経由で家に帰ることになったのですが、
途中の渋い小さな港町で相方さんがひなびた材木屋さんを発見!
そこで欅の大きな一枚板に遭遇。そして購入。
荷台には丸太やいろいろな材木がぎっしり。
そして車の天井に欅の1枚板を男二人でなんとか乗せて固定。
そして東京へとひた走る事になったわけです。
が!夜になって、高速に入ったとたん、突如豪雨に見舞われました。
そしたら、なんと、ワイパーが雨の重圧に耐えられず止まった!
夜の高速、しかも豪雨、前は全然見えません。
持ってったタオルを総動員して、窓を開け、
ぐしょぬれになりながら、運転する相方さん。
もう絶体絶命かと思いましたが、なんとかパーキングに到着。
ついたときには2人と一匹でもうぐったり、とか。
この古い車に乗るってことは、こういう事だったので
まあ、普通のレディであれば耐えられない車環境だったかもね(笑)
でも私たちはこの古い車が大好きでした。
俳優とプロデューサー兼マネージャーとか仕事を共にしていたり、
お互いがプロとしての強い意識や今後の目標や、
仕事仲間と友達が同一だから公私混同しないようにとか、
いろんな理由あって、内にも(これは暗黙の了解な部分もあったけど)外にも
私たちの仲は親しい人にもちゃんと公表してなかったので、
本当に家の中と車の中と誰も居ない自然の中だけが私たちの自由な場所でした。
ベロくんは相方さんにとってもう一人の自分だったと思います。
私とピーちゃんにとってはもう一つの我が家でもありました。
家に居て起きてる時間と車に乗ってる時間とそんなに変わらないんじゃないか?
と言うほどに、私たちはこの車に乗って過ごしていました。
楽しいことも、悲しいことも、この車の中で語りました。
車の中の距離感は私たちにとって心地のいいものでした。
毎回、車中泊をするような遠出ばかりを繰り返していたので
一度乗ると何時間もピーちゃんをお互いの膝に肩を並べて走ります。
そんな中でなんど魂に触れるような深い話をしたことか。
そんな大事で輝くような愛情深い時間を私たちにくれた車でした。
相方さんの友人たちも、
「あの車は彼そのものだ」とおっしゃいます。
私もそう思います。
そのベロくんがもうすぐこの家から旅立ちます。
出来ることなら、朽ち果てるまで、一生傍に置いておきたかったです。
でも私にはその権限と力が無くて、、。
せめてたまに見に行ける人のところにお譲りしたかったなぁ。
仕方ないことだけど、とても残念です。
なんだか、もう一度、彼を失う様な気分です。
ベロくんは彼が最後に乗ったままに駐車場に置いてあります。
彼が最後に飲んだ缶コーヒーの缶もそのままに。
闘病中、病状が不安で家に居るのが居たたまれなくなると
ぴーちゃんと二人で動かない車に乗りました。
「早く皆でぶっぶに行けるといいねぇ」と話しながら。
つい、この間の事の様です。
闘病中の一時退院をしているときも毎回ドライブに行きました。
病気なんだから控えたら?と言いましたが、
どうしても彼が行きたいと言って聞きいれませんでした。
それで、最後に私とぴーちゃんと車で山に入った時の事です。
彼は突然、ある場所でベロ号の写真を撮り始めました。
「どうしてもいま撮っておかないといけない気がする」
そう言って何度もシャッターを切りました。
ただ車体を撮るだけでなく、いつもはそこまでしないのに
「いいから並んで、撮りたいから」と言っては
私やピーちゃんをベロ号に乗せたり傍に置いて撮りました。
手元のデータにはカメラやケータイでベロくんの細部まで
細かく撮った画像が残されています。
ナンバーやホイールやドアの取っ手や鍵穴まで。
亡くなる一、二年ほど前から、相方さんは家の中のものや
身の回りに在る大事なものを写真に収めるようになりました。
理由は解らないけど、撮っておきたいんだーって言って。
亡くなった後の彼のカメラやケータイのデータには
家中のあらゆるものが、本当に小さなものまで写してありました。
知らなかったけど、ピーちゃんだけでなく、私の寝顔や寝姿までも…。
多分、彼も気がつかなかった彼の中の何かは、
彼がもうすぐ天国に行くことをちゃんと解っていて
彼の愛した物を忘れる事のないようにファインダーを通して
本当はフィルムではなく、彼の心に焼きつけていたのだと思います。
ベロくんは写真を何枚も何枚も撮って残したいほどに、彼が愛した車でした。
今日の写真はその山に入った日に
彼が「いま写しておかないといけない気がする」と行って
夢中になって森の中で写していたものです。

世の中にはいろんな感覚の人がいると思いますが、
ある人にとっては「物」はただの「物」でしかありません。
そう言う人にとっては「物」である事の価値にしか興味を持てないものです。
でもある人にとっては、たとえそれが木のかけらや鉄くずで出来ており
話をせずとも動かずとも、まるで人間が生きているかのごとく、
愛情を寄せ、気持ちを寄せられる「魂」そして「いのち」あるものになり得ます。
もちろん、どういう感性持っているかが良いとか悪いと言うはないでしょう。
どんな感覚もその人がその人の人生を生きる為に在るのだと思うからです。
のんびり生きる為にその感覚や性格なのかもしれないし、
それはそうでいてはいけないから変える為にそうなのかもしれません。
ただたとえば芸術家と凡人というカテゴリーがあるとすれば
違いがあるのだとすれば、表れるのはそこではないでしょうか?
良い悪いではなく、何となくそう感じています。
芸術家と言う要素がある人は、普通の人と違って
「物」をただ「物」とは受け止められないのではないかと思います。
彼らは光に、自然に、音に、色に、言葉に、
全ての言葉なきものに、たましいを、命を感じるからです。
そして、その言葉なき言葉と当たり前に語ろうとします。
それが他の人よりも大きな感覚として
精神と体にそして魂に存在しているんだと思います。
そしてその感性と肉体的な賜物によって出来上がるのが、
絵であり、音楽であり、詩であり、文学であり、
ダンスであり、歌であり、演技なのではないでしょうか。
それを世の中にいる同じようにそれらをいのちとして感じたい
と思う感性を備えている人たちに「芸術」として愛されるのでしょう。
そう言う感覚が無い人には、芸術すらただの「物」です。
絵はただの綺麗な絵であって、上手という技術でしかありません。
芝居を見ても聞こえてくるのは美しい音声やしぐさのみです。
芸術を本当に受け止める人というのは、
きっと「いのち」を「ひかり」を感じるのだと思います。
そして、それを感じて自分の中に取り込み輝かせる、
それが「センス」というものではないでしょうか。
感動や芸術における理解力や読解力というものは、
この感性の事を言うのだとわたしは思っています。
それは技術や理屈では解らず、得られないものです。
人間の作り上げた概念では解読できないもの。。。。
そういう繊細な光を受け止め表現するのが芸術、
そんな風に感じるのです。
この世で人間の作り上げた概念によってのみ
芸術は美しく、価値あるものと考えるか、
あふれくる目に見えない光を受け止めるがままに、
わが身の魂の震えるままに美しいと感動するか、
そこが大きな差ではないかと思うのでした。
相方さんは間違いなく後者でありました。
ただ純粋にひたすらに芸術に生きた人でした。
私の言葉でいえば「真に芸術に愛されるべき人間」だったのです。
その愛すべき感覚は彼の芝居を生み、絵を生み、彼の日常の生活を生みました。
そんな彼の「物を心底から愛した」という行動の真実の意味は、
そう言う心の持ち主にしか解らないかもしれません。
相方さんの「物」に対する意識は「いのち」への憧憬そのものでしたから。
彼のそばにあった「物」はただの「物」ではなく、
彼にとっては「いのちあるもの」だったのです。
だから彼は何物をも繊細に大事に扱ったのだと思います。
私は、そんな相方さんの感性と生き方を心から愛してやみません。
だから残されたものの一つ一つを彼の感性と共に愛したいと思っています。
さて、私に伝えられた天の法則によれば、
「思考こそが行動」なのだそうです。
そしてその思考とはいのちそのものだそうです。
この世で生まれる全ての「物」たちは、
全て天にある大いなる力と連動して生まれるそうです。
天にある思考がこの世に居る人に伝わって、
発見となり、発明となり、物質となり生まれるのだそう。
考えたものが形になる。つまり「思考こそ行動」です。
そして、その思考はいのちの表れ。
つまりは「生きている」という事です。
実は物はただの物質でなく、たましいある生き物とも言えるのかな、と。
この世に生まれる人間はどんな人にも大きな使命があり、
いのちである、全ての人と関わっているそうですが
生まれてくる「物」もまたしかり、なのだそうです。
意味があり使命あってそこに在る、という事でしょう。
と、なれば、命ある私たちと同じようなもの。
物にはいのちを感じて当然なのかもとも思います。
逆に人間以外に対しては何物にもいのちを感じられない人の方に
ほんとうは大きな問題があるとも言えるかもしれませんね。
ベロくんは相方さんの目の前に大きな使命を持って現れ、
そして私たちにとっても大きな大事な存在でした。
彼は私たちの家族の一員でした。
車といういのちを持って生まれたたましいあるものでした。
ベロくん、どうもありがとう。
ほんとうにありがとう。
あなたに会えなくなるのは本当に寂しいよ。
でも、またいつか、あなたのたましいと一緒に
相方さんとわたしたち小さな家族全員で
自然の中を走る日が来ることを心から願っています。