ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

クリストファー・ボラス(館直彦監訳)『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』2017・創元社

2024年12月26日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

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 ボラスさんの『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』(舘直彦監訳・2017・創元社)を読みました。

 楽しみにしていた本で、すごくわくわくしながら読みました。

 ボラスさんはアメリカの精神分析家で、じーじもこれまでに何冊かの本を読んでいます。

 『精神分析という経験』(2004・岩崎学術出版社)という本はとてもいい本ですし、『終わりのない質問』(2011・誠信書房)もすごい本です(いずれもブログに感想文を書いていますので、よろしかったら読んでみてください)。

 今回の本は、統合失調症の患者さんへの精神分析的アプローチについて、多くの事例をもとにていねいに論じている本で、表題の、太陽が破裂するとき、はある患者さんの言葉です。

 内容は、事例が中心ですので読みやすいのですが、中味を理解するのはなかなかたいへんです。

 少なくとも、数回、自分の経験などとも照らし合わせながら読み深めていかないと、理解できないのではないかと思います。

 それでも、今回、勉強になったことは、まずは、患者さんの論理構造、思考構造をていねいになぞることの大切さ。

 なぞる、というと、精神療法家の下坂幸三さんの、言葉ですが、同じような細やかでていねいな作業をされているような印象を受けました。

 そういえば、下坂さんも精神分析の勉強から精神療法に入られたかたです。

 何か共通点があるのかもしれません。

 ボラスさんのなぞりはかなり徹底的で、そこに精神分析的な手法や考えが使われます。

 患者さんの一見支離滅裂な言葉から、つながりを見つけ出すその技はすごいですし、感動的です。

 そして、そういう作業を患者さんと一緒にやっていくことが、精神分析の、もの想い、につながり、情緒的体験を可能にするといいます。

 ここまでくると、もう完全に精神分析の世界になりそうです。

 なかなかたいへんな作業ですが、じーじも少しずつでも勉強し、努力をしていきたいと思いました。           (2017 記)

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 2019年4月の追記です

 「精神分析研究」63巻1号に東中園聡さんが本書の書評を書かれています。

 さすが東中園さん、というすばらしい文章で、読み応えがあります。

 じーじがよく理解できていなかったところもわかりやすく説明されていて、勉強になります。

 こんなふうな文章が書けるようになりたいなあ、と思いました。

 まだまだ勉強を深めていく必要があります。         (2019.  4 記)

 

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ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいい、という人について考える-じーじのひとりごと

2024年12月26日 | ひとりごとを書く

 2024年12月のブログです

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 以前、ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいいんだ、という人に出会ったことがある。

 認知症のお母さんが部屋中にうんこをして、その後始末が大変だが、頑張っている、という内容のブログだった。

 介護は大変だな、と思うと同時に、ふと、お母さんのプライドについて考えてしまった。

 それで、介護で大変なのはわかるが、お母さんのプライドはどうなるのだろう?とコメントを書いたら、表題のようなリコメントが来た。

 加えて、認知症の老人が排泄に失敗するのは当然のことで、母も理解しているから、ということだった。

 なるほど、と思う一方で、しかし、やはりお母さんが可哀そうではないか、という想いが消せなかった。

 お母さんが直接読まなくても、まったくの他人の老人がこういう内容のブログを読んだ時に、将来、自分も子どもに似たような内容のブログを書かれてしまうのでないか、という不安を与えてしまいそうに思ったからである。

 確かに、匿名なら、個人の情報は洩れないし、個人の尊顔は守られるのかもしれないが、しかし、だからといって、それでいいのだろうか。

 日記を書きたいのなら、日記帳に書くか、パソコンに書いて保存をすればいい。

 しかし、それを、匿名とはいえ、公開するとなると、誰かが読むわけで、公開をした責任が生じるのではないかと思う。

 家族や親族の悪口を匿名で書いているブログを時々、散見するが、じーじいつも悲しい気分になる。

 内容もそうだが、そういう行為が悲しい気がする。

 匿名のブログの悪い面や欠点がもろに出ている例だと思う。

 思わず愚痴をこぼしたい気持ちは十分にわかるが、匿名とはいえ、悪口やプライバシーの侵害に当たることを公表していいのだろうか。

 そういうことが許されるのだろうか。

 それも言論の自由の範囲内なのだろうか。

 いろいろと考えさせられられる最近のじーじである。        (2024.12 記)

 

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