どうも、こんばんは~! そうだいです。みなさん、昨日と今日はどんな休日になりましたか?
私はねぇ……今日は、いいもん観てきたなぁ。お昼に近所の美浜文化ホールという場所に行って、観てきたんですよ。
「千葉市芸術文化新人賞受賞者出演作品 『美しき浜辺の妖精たちへ 2011』」
いやぁ、どんな作品がそこで上演されていたのか、ということが言い表せないのが我ながらふがいないのですが、とにかくおもしろかった!! これしか言えません。
タイトルにあるとおり、千葉市の芸術文化新人賞を受賞した10~30代の芸術家たちが一堂に会して、それぞれのジャンルの技量を発揮しあいながら「ひとつの作品」を上演するというこの企画。
舞台の上で繰り広げられたのは、
ヴァイオリンとジャズサックスと箏曲(お琴)と津軽三味線と日本舞踊とバレエとピアノと和太鼓の共演。すげぇでしょ。
でも、てんこ盛りってだけじゃあないんです。8つのジャンルを見事なひとつの作品にまとめあげたのは、演出家としてこの賞を受賞した、私の劇団の主宰です。
おもしろかったなぁ。手前味噌な言い方に聞こえるかもしれませんが、そんなの関係なくほんとに良かったですよ。
演奏やダンスも当然のことながら、作品の構成・演出・照明・音響。いろんな分野の良さがイヤミでなくどんどん目に飛び込んでくる濃密な時間でした。
約350席の美浜文化メインホールは、私が観たお昼の回は満員で大盛況だったのですが、上演されたのは今日の昼と夕方の2回だけ。
っつうことは、たかだか700人ぐらいの人しか、この作品を観ることができなかったってわけなの!? そりゃちょっと、ぜいたくすぎるんじゃないかしら~。
まずもってお忙しい方ばかりでしょうから、いっしょにこんな企画をやれる機会も限られているんですかね。でも、もっと多くの人たちが観られたらいいのになぁ!と思ってしまった、素晴らしいひとときでした。
ほんとにねぇ、観る人に感動を呼び起こすものというのは、1人1人の神がかり的な技術も必要なのでしょうが、それよりも「何かの目的」に向かって多くの人たちが自分のできるかぎりの能力を持ち寄って集まる、そのさまなんじゃないでしょうか。
そんなことも考えてしまったわけなんですが、はからずもそれは、今回私が取り組んでいるこの企画「ガッツ星人のすばらしさとは何か」にも通じることだったんですよ。
まぁまぁ、「こいつ、ついにおかしくなったか。」的な目で私を見るのはやめて、まずは話を聞いてくだせぇ。
もともとは、『ウルトラセブン』に登場する、私の大好きな分身宇宙人ガッツ星人の魅力をたたえようとして始めた今回のブログだったわけなんですが、ガッツ星人の魅力はなにかといえば、それはもちろん、前回にあげたようなキュートすぎる外見や行動もさることながら、まずまっさきに思い浮かべなくてはならないのは、
「あの(ほぼ)無敵の戦士ウルトラセブンを、公開処刑寸前までに追いつめた超強敵」
という、その業績でしょう。
愛してやまない『ウルトラセブン』全エピソード中、いやさ、「ウルトラシリーズ」全エピソード中の私ベストだと言い切ってもいい第39話『セブン暗殺計画 前篇』は、まさにガッツ星人の完璧な勝利で終わるという、前代未聞の物語でした。まぁ、次の『後篇』では、地球人をシカトしすぎていたことが災いして、すべての計画はガラスのようにもろくも崩れ去ってしまうわけなんですが……
それにしても、『前篇』でガッツ星人が遂行したセブン暗殺計画のパーペキさは、「全人類の見ている前で十字架にかけたセブンを処刑するんだから、暗殺じゃねぇだろ。」というネーミング上の難点をのぞいては、非の打ちどころのないものだったのです。
あのウルトラ戦士が敗れ、ついに地球が異星人のものになってしまう!!
この大ニュースのセンセーショナルさは、地球全体、いや、宇宙全体を揺るがせる規模のものだったと言っても過言ではなかったでしょう。
「1968年の6月、ガッツ星人ウルトラセブンをやぶる」の報が、それまでに地球に侵攻をしかけて敗れ去っていった多くの異星人達の喝采を呼ぶものだったであろうことは、想像にかたくありません。
言うなればこの事実は、「ガッツ星人がウルトラセブンに勝った」というケンカレベルの話ではなく、「ここ数十年、けっこうな数の異星人が挑戦したのに誰ひとりとして成功しなかった地球制服に、ついに王手をかけた奴がキター!」という大事件だったのです。
そうなんです。ガッツ星人の偉大さは、ウルトラセブンに完勝したという彼個人の才能も大前提ながら、それ以上にガッツ星人が登板するまでに数多くの異星人たちが地球制服にのりだして失敗していった、るいるいたる屍の山の上に立ったものであるという事実を知ったうえではじめて、その燦然たる真の輝きをはなつものなのです。無数の失敗があってこそ引き立つ成功のすばらしさ! ガッツ星人の握りしめた赤いこぶしは、地球人やウルトラ戦士に敗れていった多くの強敵(とも)の涙をおもい、常にふるえていたという……モガー!(ガッツ星人の鳴き声です)
ということで、ガッツ星人の『セブン暗殺計画 前篇』だけを説明しているのでは意味がない! ここはひとつ、1968年6月のガッツ星人襲来にいたるまでの、
「地球と異星人の歴史」
をひもといてみることにいたしましょうよ! 私もヒマねぇ~。ついてきてもらえると、うれしいなぁ!
※始める前に無粋なことをあらかじめ断っておきたいのですが、宇宙人の登場するSF作品の中には、「作中に設定された宇宙人出現の事件発生時期」があいまいだったり、意図的に作品の発表時期と違う時期(近未来など)に設定されているものが数多くあります。
(例 『宇宙戦争』が「20世紀初頭」の事件だったり、『怪獣大戦争』が「196X年」の事件だったり)
しかし、それらを尊重してしまうと具体的な時期が特定できなくなってしまうため、今回はすべての作品を「発表時期に発生した事件」として扱わせていただきます。
1、はじまりは火星人
1897年『水晶の卵』と1898年『宇宙戦争』(ハーバート=ジョージ=ウェルズ)
地球にはじめてやってきた異星人は、やっぱり超有名な、100年たってもみんなの頭にパッと浮かぶ強烈なインパクトを持った「タコみたいな火星人」だった!
1898年、イギリスに謎の巨大人工物体が墜落し、その中から全高10メートルの巨大な3本足ロボットが複数出現、首都ロンドンを焼き尽くす破壊活動を突如開始します。
建物を破壊する怪力をそなえ、毒ガス、熱光線などをくり出すロボット軍団だったのですが、結果としては、イギリス軍の決死の抵抗と「意外すぎる天敵」の登場によってあえなく機動停止。ロボットに搭乗していた火星人たちは全滅してしまいます。
まさにこれこそが! 人類と異星人とのファーストコンタクトだったのです。19世紀末ですよ!? はやいねぇ~。まだシャーロック=ホームズがロンドンでピンピンしてた時期よ。ホームズはロボットに対してどんな抵抗をしてたんだろう!
自動車なんか、やっとガソリン車が実用化されたような時代ですよ。
しかし、記念すべきファーストコンタクトが「戦争」だったとは、哀しすぎです。それにしても、当時の世界帝国イギリスの首都を狙った火星人の計画は、それなりに的確だったような。ただ、戦闘ロボットの耐久性と火星人本人の体力が、地球を征服するにはちょーっとチャチすぎたわけなんですが。
実は、1898年の「宇宙戦争」事件には序章があり、前年1897年に、ロンドンの古道具屋で「火星と火星人の情景が見える不思議な卵形の水晶」が発見されたという報告がなされていました。
この「水晶の卵」はどうやら「向こうの火星側からも地球の様子が見られる」機能を持っていたらしく、火星人がこの映像通信機器からの報告をもって翌年のイギリス襲撃を決断したことは想像にかたくありません。
いやぁ~、ぶっちゃけた話(ほんとにぶっちゃけるけど)、「SFの父」ウェルズはほんとに偉大だわ! 22歳の時に書いたんだって。しょっぱなからこんな名作つくられちゃったら、後続も困っちゃいますよね。戦闘ロボットと、身を挺して一般市民を守ろうとするイギリス駆逐艦「サンダーチャイルド」との決戦なんかもう、最高ですよ。ウルトラ兄弟のある意味でのモデルが、もうすでにここに登場していた!
とにかく、あの超有名な「意外すぎる天敵」の発想が、うまいんだねぇ~。
この「宇宙戦争」事件はそののち世界中に重大な影響をあたえ、第2次世界大戦が勃発する直前、1938月10月のアメリカでは、この事件をもとにしたラジオドラマが実際のニュースのような演出をまじえて放送されたところ、「すわ、今度はアメリカか!?」と聴取者がパニックを起こしてしまうという事件に発展してしまいました。
それだけ、物騒な空気に満ちたピリピリした時期だったんでしょうね。ま、今もそうだけど。
1938年のこういった騒動にくわえて、1953年のカラー映画化、そして2005年の記憶に新しいスピルバーグ監督による映画化と後年にさまざまな影響を与えた19世紀末の「宇宙戦争」事件だったわけなのですが、なぜかそれ以後、20世紀が始まってからの50年ほどは特に目立った異星人とのコンタクトも途絶えてしまいました。
まぁ……そのころの地球は世界中で戦争をやってて、宇宙人どころじゃなかったですからね。宇宙人も、そんな地球ほしくなかったでしょ!
ということで、再び宇宙人が地球に接触をはかるようになってくるのは、世界がぼちぼち第2次世界大戦による被災からの復興をはたすようになってきた1950年代からのこととなります。
はい! じゃあ次回は1951年の9月にアメリカで発生した『地球の静止する日』事件からだーい。
だからぁ! ガッツ星人は、いつやれんの!?
私はねぇ……今日は、いいもん観てきたなぁ。お昼に近所の美浜文化ホールという場所に行って、観てきたんですよ。
「千葉市芸術文化新人賞受賞者出演作品 『美しき浜辺の妖精たちへ 2011』」
いやぁ、どんな作品がそこで上演されていたのか、ということが言い表せないのが我ながらふがいないのですが、とにかくおもしろかった!! これしか言えません。
タイトルにあるとおり、千葉市の芸術文化新人賞を受賞した10~30代の芸術家たちが一堂に会して、それぞれのジャンルの技量を発揮しあいながら「ひとつの作品」を上演するというこの企画。
舞台の上で繰り広げられたのは、
ヴァイオリンとジャズサックスと箏曲(お琴)と津軽三味線と日本舞踊とバレエとピアノと和太鼓の共演。すげぇでしょ。
でも、てんこ盛りってだけじゃあないんです。8つのジャンルを見事なひとつの作品にまとめあげたのは、演出家としてこの賞を受賞した、私の劇団の主宰です。
おもしろかったなぁ。手前味噌な言い方に聞こえるかもしれませんが、そんなの関係なくほんとに良かったですよ。
演奏やダンスも当然のことながら、作品の構成・演出・照明・音響。いろんな分野の良さがイヤミでなくどんどん目に飛び込んでくる濃密な時間でした。
約350席の美浜文化メインホールは、私が観たお昼の回は満員で大盛況だったのですが、上演されたのは今日の昼と夕方の2回だけ。
っつうことは、たかだか700人ぐらいの人しか、この作品を観ることができなかったってわけなの!? そりゃちょっと、ぜいたくすぎるんじゃないかしら~。
まずもってお忙しい方ばかりでしょうから、いっしょにこんな企画をやれる機会も限られているんですかね。でも、もっと多くの人たちが観られたらいいのになぁ!と思ってしまった、素晴らしいひとときでした。
ほんとにねぇ、観る人に感動を呼び起こすものというのは、1人1人の神がかり的な技術も必要なのでしょうが、それよりも「何かの目的」に向かって多くの人たちが自分のできるかぎりの能力を持ち寄って集まる、そのさまなんじゃないでしょうか。
そんなことも考えてしまったわけなんですが、はからずもそれは、今回私が取り組んでいるこの企画「ガッツ星人のすばらしさとは何か」にも通じることだったんですよ。
まぁまぁ、「こいつ、ついにおかしくなったか。」的な目で私を見るのはやめて、まずは話を聞いてくだせぇ。
もともとは、『ウルトラセブン』に登場する、私の大好きな分身宇宙人ガッツ星人の魅力をたたえようとして始めた今回のブログだったわけなんですが、ガッツ星人の魅力はなにかといえば、それはもちろん、前回にあげたようなキュートすぎる外見や行動もさることながら、まずまっさきに思い浮かべなくてはならないのは、
「あの(ほぼ)無敵の戦士ウルトラセブンを、公開処刑寸前までに追いつめた超強敵」
という、その業績でしょう。
愛してやまない『ウルトラセブン』全エピソード中、いやさ、「ウルトラシリーズ」全エピソード中の私ベストだと言い切ってもいい第39話『セブン暗殺計画 前篇』は、まさにガッツ星人の完璧な勝利で終わるという、前代未聞の物語でした。まぁ、次の『後篇』では、地球人をシカトしすぎていたことが災いして、すべての計画はガラスのようにもろくも崩れ去ってしまうわけなんですが……
それにしても、『前篇』でガッツ星人が遂行したセブン暗殺計画のパーペキさは、「全人類の見ている前で十字架にかけたセブンを処刑するんだから、暗殺じゃねぇだろ。」というネーミング上の難点をのぞいては、非の打ちどころのないものだったのです。
あのウルトラ戦士が敗れ、ついに地球が異星人のものになってしまう!!
この大ニュースのセンセーショナルさは、地球全体、いや、宇宙全体を揺るがせる規模のものだったと言っても過言ではなかったでしょう。
「1968年の6月、ガッツ星人ウルトラセブンをやぶる」の報が、それまでに地球に侵攻をしかけて敗れ去っていった多くの異星人達の喝采を呼ぶものだったであろうことは、想像にかたくありません。
言うなればこの事実は、「ガッツ星人がウルトラセブンに勝った」というケンカレベルの話ではなく、「ここ数十年、けっこうな数の異星人が挑戦したのに誰ひとりとして成功しなかった地球制服に、ついに王手をかけた奴がキター!」という大事件だったのです。
そうなんです。ガッツ星人の偉大さは、ウルトラセブンに完勝したという彼個人の才能も大前提ながら、それ以上にガッツ星人が登板するまでに数多くの異星人たちが地球制服にのりだして失敗していった、るいるいたる屍の山の上に立ったものであるという事実を知ったうえではじめて、その燦然たる真の輝きをはなつものなのです。無数の失敗があってこそ引き立つ成功のすばらしさ! ガッツ星人の握りしめた赤いこぶしは、地球人やウルトラ戦士に敗れていった多くの強敵(とも)の涙をおもい、常にふるえていたという……モガー!(ガッツ星人の鳴き声です)
ということで、ガッツ星人の『セブン暗殺計画 前篇』だけを説明しているのでは意味がない! ここはひとつ、1968年6月のガッツ星人襲来にいたるまでの、
「地球と異星人の歴史」
をひもといてみることにいたしましょうよ! 私もヒマねぇ~。ついてきてもらえると、うれしいなぁ!
※始める前に無粋なことをあらかじめ断っておきたいのですが、宇宙人の登場するSF作品の中には、「作中に設定された宇宙人出現の事件発生時期」があいまいだったり、意図的に作品の発表時期と違う時期(近未来など)に設定されているものが数多くあります。
(例 『宇宙戦争』が「20世紀初頭」の事件だったり、『怪獣大戦争』が「196X年」の事件だったり)
しかし、それらを尊重してしまうと具体的な時期が特定できなくなってしまうため、今回はすべての作品を「発表時期に発生した事件」として扱わせていただきます。
1、はじまりは火星人
1897年『水晶の卵』と1898年『宇宙戦争』(ハーバート=ジョージ=ウェルズ)
地球にはじめてやってきた異星人は、やっぱり超有名な、100年たってもみんなの頭にパッと浮かぶ強烈なインパクトを持った「タコみたいな火星人」だった!
1898年、イギリスに謎の巨大人工物体が墜落し、その中から全高10メートルの巨大な3本足ロボットが複数出現、首都ロンドンを焼き尽くす破壊活動を突如開始します。
建物を破壊する怪力をそなえ、毒ガス、熱光線などをくり出すロボット軍団だったのですが、結果としては、イギリス軍の決死の抵抗と「意外すぎる天敵」の登場によってあえなく機動停止。ロボットに搭乗していた火星人たちは全滅してしまいます。
まさにこれこそが! 人類と異星人とのファーストコンタクトだったのです。19世紀末ですよ!? はやいねぇ~。まだシャーロック=ホームズがロンドンでピンピンしてた時期よ。ホームズはロボットに対してどんな抵抗をしてたんだろう!
自動車なんか、やっとガソリン車が実用化されたような時代ですよ。
しかし、記念すべきファーストコンタクトが「戦争」だったとは、哀しすぎです。それにしても、当時の世界帝国イギリスの首都を狙った火星人の計画は、それなりに的確だったような。ただ、戦闘ロボットの耐久性と火星人本人の体力が、地球を征服するにはちょーっとチャチすぎたわけなんですが。
実は、1898年の「宇宙戦争」事件には序章があり、前年1897年に、ロンドンの古道具屋で「火星と火星人の情景が見える不思議な卵形の水晶」が発見されたという報告がなされていました。
この「水晶の卵」はどうやら「向こうの火星側からも地球の様子が見られる」機能を持っていたらしく、火星人がこの映像通信機器からの報告をもって翌年のイギリス襲撃を決断したことは想像にかたくありません。
いやぁ~、ぶっちゃけた話(ほんとにぶっちゃけるけど)、「SFの父」ウェルズはほんとに偉大だわ! 22歳の時に書いたんだって。しょっぱなからこんな名作つくられちゃったら、後続も困っちゃいますよね。戦闘ロボットと、身を挺して一般市民を守ろうとするイギリス駆逐艦「サンダーチャイルド」との決戦なんかもう、最高ですよ。ウルトラ兄弟のある意味でのモデルが、もうすでにここに登場していた!
とにかく、あの超有名な「意外すぎる天敵」の発想が、うまいんだねぇ~。
この「宇宙戦争」事件はそののち世界中に重大な影響をあたえ、第2次世界大戦が勃発する直前、1938月10月のアメリカでは、この事件をもとにしたラジオドラマが実際のニュースのような演出をまじえて放送されたところ、「すわ、今度はアメリカか!?」と聴取者がパニックを起こしてしまうという事件に発展してしまいました。
それだけ、物騒な空気に満ちたピリピリした時期だったんでしょうね。ま、今もそうだけど。
1938年のこういった騒動にくわえて、1953年のカラー映画化、そして2005年の記憶に新しいスピルバーグ監督による映画化と後年にさまざまな影響を与えた19世紀末の「宇宙戦争」事件だったわけなのですが、なぜかそれ以後、20世紀が始まってからの50年ほどは特に目立った異星人とのコンタクトも途絶えてしまいました。
まぁ……そのころの地球は世界中で戦争をやってて、宇宙人どころじゃなかったですからね。宇宙人も、そんな地球ほしくなかったでしょ!
ということで、再び宇宙人が地球に接触をはかるようになってくるのは、世界がぼちぼち第2次世界大戦による被災からの復興をはたすようになってきた1950年代からのこととなります。
はい! じゃあ次回は1951年の9月にアメリカで発生した『地球の静止する日』事件からだーい。
だからぁ! ガッツ星人は、いつやれんの!?