長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

分身宇宙人ガッツ星人 への遠い道のり 宇宙人日本にあらわる!

2011年02月07日 23時14分04秒 | 特撮あたり
《前回までのあらすじ》
 ガッツ星人のすばらしさは、異星人と地球との歴史をひもとかずには語ることができない。さぁ、数多くの異星人たちの汗と涙にまみれたチャレンジをふりかえる旅に、興味のある人だけ出発するとしよう!


2、宇宙人アメリカにあらわる
1951年9月 『地球の静止する日』(ロバート=ワイズ 監督)

 19世紀末、「侵略」という衝撃的な目的で地球人とのファーストコンタクトをはたした異星人。その時に現れた火星人は、その高度な科学力にもかかわらず、地球という惑星自体の意外すぎる「抵抗」によって一蹴されました。
 しかし、それから半世紀の時がたとうとしていた1951年。ついに新たなる異星人がその姿を見せる事件が発生します!
 場所は、第2次世界大戦の「真の勝者」とも言えたアメリカ合衆国の首都・ワシントンDC。そこに1機の空飛ぶ円盤が飛来しました。20世紀後半に、イギリスにかわって世界の覇者となることとなったアメリカの首都に飛来した円盤の意図とは?
 円盤から地球に降り立ったのは、地球の白人男性そっくりの異星人・クラートゥが1人と、その護衛の人間型ロボット・ゴートが1体だけ。あら、ひょっとして今度は侵略じゃないの?
 そうなんです。半世紀ぶりに出現した今回の宇宙人の目的はなんと、「地球人への警告」だったのです!
 クラートゥの母星は、最近とみに核兵器の開発などで軍事力を拡大させ、「そろそろ宇宙にも進出しちゃおっか。」などという野心も持ち始めていた地球という惑星に強い危機感をいだいていたのです。
 そのため、軍事力を拡大させる原因となっていた当時の東西冷戦体制と、それによる地球人の自滅を止めるために、その星はクラートゥを全権大使として派遣するという処置をとったわけなのです。

 しかし、クラートゥが宇宙人であることは認めたものの、アメリカ政府は彼の持つ不可解な科学力をただ恐れるだけで、彼の語る警告に耳を貸すことはありませんでした。
 ここはいっちょ強硬手段といくしかねぇか、と判断したクラートゥは、30分だけ地球全体の電力の循環を停止させるという実力行使に出たのですが、政府はますます彼を危険視するようになり……というのが、事件の大筋です。

 この事件で地球に現れた宇宙人・クラートゥは、地球文明そのものの機能を静止させるという超絶科学力を有していたのですが、地球に母星のメッセージを伝えるためだけにおとずれた典型的な「友好宇宙人」だったのです。おそらくは、友好タイプのあらわれた史上初の事例だったのではないでしょうか。
 クラートゥは護衛のために、身長240センチほどの大男型ロボット・ゴートも随伴させていたのですが、アメリカ軍のいかなる攻撃も受けつけない頑丈な金属物質でできてはいたものの、あくまで護衛のための存在であったために、かつての「火星人ロボット」のように地球全体の脅威になるようなものではありませんでした。
 しかしまぁ、宇宙人に忠告されるほどアブない感じになってたのね、当時の地球って……でも、この事件もつい最近の2008年に『地球が静止する日』とビミョーにタイトルを変えてリメイクされているんですから、21世紀になってもあんまし変わってないのか!?
 ともあれ、20世紀になって初めて発生した地球規模の「宇宙人事件」は、きわめて友好的な宇宙人との遭遇だったわけなのです。平和の使者のはしりだったのね、クラートゥ!

 余談ですが、この事件の記録映画を監督したロバート=ワイズ監督は、のちに『ウエストサイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』を手がけることととなったアメリカ映画界の大巨匠です。ホラー映画の世界では『たたり』という「幽霊屋敷」ものの超名作の監督としても知られており、その才能はこの『地球の静止する日』でもぞんぶんに発揮されています。モノクロの味わいもあって、作品全体に流れる静かな緊迫感がいいんだなぁ!


3、宇宙人日本にもあらわる
1956年1月 『宇宙人東京に現わる』(大映 製作)

 1951年の『地球の静止する日』事件以来、アメリカでは無数の宇宙人の目撃例が報告されるようになったのですが、地球飛来の目的が友好であれ侵略であれ、その事件の規模はおおむね「町の通り魔」か「村の変態」レベルに縮小されていく傾向にありました。
 ところがそのいっぽうで、超常現象関連の事件の規模だけが異常な速度と頻度で拡大していくというアメイジングな国が極東アジアに勃興しました。

 ここ、ここ! 日本だよ、おっかさん。

 もう、1954年の大怪獣ゴジラ上陸による、復興したてホヤホヤの首都・東京の壊滅あたりから、この国はなにかに憑かれたように不運な超自然災害に見舞われるようになってしまいました。アンギラスだのラドンだの……こわいねぇ~。
 そして、そういった一連の現象のアツさに注目したのか、ついに全宇宙の異星人たちも、この日本を活動の拠点に選ぶようになってくるのです。日本を制する者は、地球を制す!

 しかし! 意外なことに、日本に最初に到来した宇宙人もまた、あの火星人のような侵略者ではなく、クラートゥにまさるとも劣らぬ「友好宇宙人」だったのです。
 時は1956年初頭。日本の首都・東京に現れた宇宙人・パイラ星人は、日本政府を介して全世界に「核開発の中止」をもとめるメッセージを訴えかけようと努力します。内容はクラートゥと同じなのですが、ならばなぜパイラ星人はアメリカでなく日本を選んだのか?
 日本にした理由は2つありました。1つは、日本が世界唯一の被爆国であったため。そしてもう1つは、日本の物理学者・松田博士が水爆以上の破壊力を持つ新元素「ウリウム101」の開発を進めていたためだったのです。松田博士の研究を止めなければ、核開発競争は激化して、地球は破滅してしまう!
 パイラ星人は「宇宙道徳」にのっとり、地球人に対する忠告をすべく宇宙船を駆ってはるばるパイラ星から日本に飛来します。知らず知らずのうちに絶滅の危機に瀕していた地球人を見過ごしておけなかったとは……パイラ星人に惚れた! これが宇宙の漢気(おとこぎ)だぜ。
 さて、そんなわけで地球人に対して説得活動を開始するパイラ星人使節団だったのですが、彼らには頭のいたい大問題があった。

 パイラ星人の容姿が地球人と違いすぎるため、地球人がこわがって話を聞いてくれない!

 これは大変だ。パイラ星人の姿形は、全長2メートルほどの5本足のヒトデが立ち上がって、腹のど真ん中にデカい目が1つついているという、地球人側にとっては実にアヴァンギャルドなものだったのです。芸術はバクハツだ!
 やむなくパイラ星人は自慢の超科学によって日本人の外見をコピーし、それをもとに変身して松田博士への接触をこころみます。ところがここで、風雲急を告げる大イベントが勃発!
 なんと、90日後に謎の天体Rが地球に激突するという事態が判明したのです。この事件、あの「天体衝突ものSF」の名作『妖星ゴラス』の7年先をいってます。『アルマゲドン』から見たら40年ほど先どりです。

 ここからがパイラ星人の真骨頂なんですが、彼らはこの事実が判明した途端に、あんなにやめろやめろと言っていた松田博士のウリウム101開発を逆に後押ししはじめ、できあがった新型爆弾を天体Rにぶつけて木っ端微塵にし、地球を天体衝突の危機から救うのです。
 いやー、よかったよかった……のか? 核開発が結局、地球の役にたっちゃった。
 
 ここね! 核開発をとめようとしたパイラ星人が最終的に核開発を認める行動をとってしまった。この矛盾は、もしかしてあのクラートゥならば容認できないほどの転向だととらえて悩んでいたかもしれないのですが、パイラ星人はなんなく方針転換してしまうのです。
 なぜか? それは、「地球人の役に立ちたい。」というおおもとの精神に関してはなんのブレもない方針転換だったからなのです。なんておおらかなんだ、パイラさん!

 つまり、同じ「地球人への警告をおこなう友好宇宙人」ではあったものの、クラートゥは「調子にのって軍拡されたら迷惑なんだ。ダメなものはダメ!」と指導する親のような立場だったのに対して、パイラ星人は「自滅するかもしれない宇宙の友人をとにかく救ってやりたい。見返りなどはいりません。」というまったく感触のことなる立場をとっていたのです。うーん。なんか、それぞれの宇宙人の降り立った国の「宇宙人観」がすけて見えるようで、とっても興味深い。

 ヒトデみたいな容姿だと気持ちわるがられながらも、地球人のためだけを思って活躍したパイラ星人。
 残念ながら、この事件以後の地球とパイラ星との交流の記録はいっさい残されていないのですが、21世紀の地球に生きることができている私たちは、半世紀前のパイラ星人の業績を決して忘れてはいけないでしょう。
 ありがとう、パイラ星人~! その正義の精神はしっかりと、別の宇宙人に受け継がれているぞ~。

 最後に、またぶっちゃけた話をしてしまうのですが、この映画『宇宙人東京に現わる』は、日本史上初のカラーSF映画でした。この作品はのちにあの『ガメラ』シリーズを製作する映画会社・大映が手がけたものだったのですが、一方で『ゴジラ』シリーズを製作した特撮映画の老舗・東宝が初めて製作したカラーSF映画は、『宇宙人東京に現わる』と同じ年の暮れに公開された『空の大怪獣ラドン』(12月)です。パイラ星人にはじまり、ラドンで終わった1956年。う、うらやましすぎる! 今じゃ考えられない特撮バブル時代ですよ。しかも「バブル」じゃなくて「粒ぞろいの名作」ばっかりなんだからこまっちゃう。
 ちなみに、パイラ星人のデザインを担当したのは、当時まだ40代なかばだった世紀の芸術家・岡本太郎! パイラ星人は「太陽の塔」の14年も前につくられた作品なのですが……確かに太郎の子だわ。目ヂカラがちがうもの。


《次回予告》
 アメリカと日本。20世紀後半の復興を象徴するそれぞれの国に初めて現れた宇宙人は、くしくも両方ともが「友好宇宙人」だった。このまま地球と宇宙との関係は円満になっていくのだろうか?
 答えは「否」だった!
 1956年後半、束の間におとずれたおだやかな空気をあざ笑うかのように、世界に無数の空飛ぶ円盤が飛来する。目的は……半世紀ぶりの「地球侵略」!

 「異星人と地球との歴史」、次回はいよいよ侵略宇宙人の登場だ~。
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