三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

富士山フリーク

2009年11月14日 06時05分14秒 | Weblog




晴天率の高い時期に関東を歩くと
必然的に富士山の偉容に接することが多い。
関東は平野が広いので、よりいっそう富士山の美しさが強調されるのか。
まことに見ていて美しいなだらかな黄金比率的形状美。
それが、遠近感が強調されて目に飛び込んでくる。
独立火山なので、まわりに比較対照するものがないことも大きい。
まるで量感の違う存在なので、表情もまったく異質になる。
高さも高いから、たとえばまわりが夜の闇に包まれている時間でも
富士山だけはあけぼのの色合いを写して、グラデーションになっている。
そんな美しさを、「富岳百景」というような表現で描いた北斎の気持ちがよくわかる。
こういう光景に接すると、まったく次元の違う存在という
そういうものがこの世にある、ということを理解させてくれる。

っていうようなことでして、
まぁ、日本人なら当たり前ですが、
わたし、富士山フリークであります。
どんな場面でも、富士山が見えると「あ、富士山だ」
というわけで、目が少年のようになってしまうのですね(笑)。
織田信長が、生涯富士を見たことがなくて
武田氏を滅ぼしたあと、徳川氏領土を威力偵察した折りに
その願望を初めて実現できた、というようなくだりが
司馬遼太郎の著作の中にありましたが、
そんな気持ちがよくわかるような気がしていました。
実証主義的な人格らしく、「本当に富士は美しいのか?」と
多くのひとに確認した、という記述もありました。
残忍な側面もあったかれから問われて「いや、まことに美しゅうございます」
と、背筋に冷気を感じながらも、正直に感想を述べたひとびとが
多かったのだろうなと、推測が沸き起こります。
で、実際に富士を見て、そういうひとが処刑された記録はないので
たぶん、織田信長も、簡潔に「美しい」と感じたに違いありません(笑)。

この山と生き続けてきた日本人、
それと、基本的にこの山を見ることができない畿内地域文化と、
関東を中心とする、この山を日常的に見続けてきた文化圏と、
その違いが、あるいはその融合が、
日本の基軸的な感性を育んできた部分は大きいのだろうと思います。
いつ見ても楽しい富士山、大好きです。






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