三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

被災地での企業存続

2011年09月08日 05時35分46秒 | Weblog






きのうは、1日宮城県、岩手県の被災地を回っておりました。
何度か、訪問しておりますが、
今回は住宅関係の企業を中心に歩いた次第です。
気仙沼、北上と回って、最後は石巻へ。
石巻の中でも、それこそすぐそこが海という
もっとも津波被害が甚大だった工業地域の中心地です。
広大な敷地の中に、さまざまな工場施設が点在しているのですが、
お伺いした事務所建物も、1階部分は構造のみを残して流失。
2階はかろうじて壁と天井が残っているという状況。
津波水位は10m近かったということで、
工場施設も壊滅的な打撃を受け、
ふたたび操業できるのかどうか、
普通であれば、事業停止もやむを得ない状況だったようです。
ご存知のように、国の施策では事業者に対しての支援は、
補償というものはありません。
被災しても事業用途の資産については、保険支払もほとんどない。
不動産賃貸のアパートで、住んでいる借り主は補償金を受けられるけれど
そのオーナーは多くの場合、建て替える資金を保険では受けられない。
契約内容によるということで、
津波、という保証項目に同意しているかどうかで別れるのですね。
まぁ、大体において、そのような状況になっている。
そうすると、再建しようと考えればその必要資金は、現実的には
ほとんどすべてが銀行からの新たな借入ということになる。
新規投資に近いような工場設備への投資。
それも、被災した多くの取引先を抱え、
その資金回収もメドが立つかどうか、検討するゆとりもないなかで、
事業をどうするという、待ったなしの経営判断が迫られる。
幸いにして、従業員のみなさんからの犠牲者はなかったということですが、
その家族には、多くの犠牲者も出ている。
本当に考えるだに恐ろしいような状況が一気に来る。
そういうなかで、再建するという選択をして、
そこから半年、いま、必死の努力を日夜続けられています。
まだ、事務所には電話も通じてはいない。
インターネットもまだ接続できる環境にない。
こういう厳しい状況の中での経営者の決断には、
本当に、深く敬意を抱く次第です。
やはり、一番大きな動機は、従業員の雇用を守る、
という1点だったろうと推察いたします。
多くの市内企業が閉鎖や休業のやむなきに至っています。
被災した多くのみなさんは、努力する場も喪失してしまっている。
これから生活を再建したいと考える多くのみなさんにとって、
雇用の場が確保されている、ということほど貴重なことはない。
すべては、生きていくための収入基盤があってこそ、なのです。
しかし、かれらの生活を守る企業経営は本当に待ったなしの状況の連続。
取引先の支援や、従業員の頑張りがあったとしても、
円高とか、市場環境の悪化などの不可抗力も襲ってきたりする。
わたしは零細企業ですが、同じ経営者として
本当に頭も下がり、深く心を打たれる気がいたしました。
あくまでも自己責任という事業経営の絶対局面を生きながら、
それでも従業員の日々の仕事の場を確保して、
それこそ戦場のような半年を経過してきている。
まったく先が見えない状況の中でも、前を向いていく姿勢に
自分自身も、なにができるのか、という
深い内語と対話するような時間を過ごさせていただきました。

<写真は、仙台空港。もうすぐ電車も再開とか。ですが、この事業主体も宮城県からの大きな資金支援を受けなければ再開できなかったそうです。>
コメント
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