きのうは父母のそれぞれ33回と27回の年忌供養。
たくさんの親戚一同が集まって、にぎやかに行いました。
もう90近い長老から、生まれたばかりの赤ん坊まで
39人ほどが集合いたしました。
33年も経つと、どんなに生々しい体験でも、それは
歴史に近い出来事になっていく。
父母への感覚というのは、たぶん一生その包み込まれているものから
逃れることは出来ないのだと思います。
自分がそれと同じ立場になっても、結局はひとりの裸の人間になってみれば
その父母の愛の世界から離れて存在することは出来ない。
しかし、確実に歳月は過ぎていって、
限りなく輪廻は繰り返され、ひとの生き死には継続し続けていく。
その瞬間を切り取って
こういう年忌の機会が巡り来たって、いっときの邂逅があるのですね。
わたしは6人兄弟の末っ子なので
一番上の兄が家長として仕切ってくれているのに便乗していればいい、
まことに気楽な「おじさん」でいられるわけで、
長兄にはほんとうにご苦労様です、という思いであります。
また、たくさんの親戚一同にはそれこそ
輪廻転生のさまざまなかたちが一目瞭然で、まことに楽しい。
父と母が作りだしてくれた世界に
どっぷりと包み込まれて、時間の過ぎていくのも忘れておりました。
息子とその同年代のこどもたちの交歓を見ているのは
そのなかでも一番面白い。
自分自身の兄弟の関係がふたたび再現しているような世界で
タイムスリップしていて、そのなかに混じって
歓談している瞬間って、時空間がゆがんでくる楽しさみたいです。
やはり人間にはルーツがあり、
そういった関係性の繭の中に、わたしたちの実存はあると実感します。