三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

飛騨高山について-1

2013年09月01日 16時49分45秒 | Weblog



飛騨高山は、戦国期に近江の佐々木氏から枝分かれした
「三木」氏という氏族が勢力を広げていた歴史があります。
同姓ということで、親近感を持って妄想世界を膨らませていたことがあります。
なんですが、仕事生活を始めてからは、
東京・関東や東北、たまに関西、中部、中国、九州というような場所には
出張機会はまずまずあるけれど、
中部山間や北陸、山陰、四国といったところはなかなか縁遠い。
そんなことで、今回の取材旅行ではじめて訪れることができました。

ほとんど予備知識がない状態で、
ただ、なんとなく世界遺産に登録されている白川郷にほど近く
「小京都」といわれる古い街並みを持っていること程度の知識しかありませんでした。
しかし、やはりどんなことも自分の目で確かめてみなければなりませんね。
最初に足を運んだのは、江戸時代の代官所がそのまま残っているという
「高山陣屋」です。
写真は、その玄関を入ってすぐの床の間の様子です。
代官所というのは、今日で言えば県庁くらいの機能を果たしていただろう公共施設。
やたらたくさんの部屋があって、政治経済の中心施設であることが知られます。
終いには「お白州」まであって、裁判所の機能も持っていたようですね。
こういった地方統治システムの建築遺構は全国的にもきわめて貴重なんだそうです。
そうでしょうね、わたしも初めて見た。
なのでたとえば、それ以前、武家政権以前の国府などの政庁も、
この建物の有り様から類推するくらいしか想像力を持てない。
たいへん貴重な施設であると思いました。
写真に戻って、こういう公共施設で国家機構の出先機関として
格式から言って、この地方随一のエントランス装置になります。
流麗な波形の壁紙デザインが来訪者を出迎えている。
建築美術的にも、この時代を考えるとたいへん面白い。

高山というのは、中部山岳地帯で真空のようにぽっかりと
広がった平地に、長い年月の文化の折り重なりがある。
石器時代から縄文時代にも、たぶん、黒曜石などの産地として栄えていたように思われる。
旧市街地には、そういった様子を偲ばせる展示もあった。
市の面積の92%が山林であるということから、
古くから木工技術が有名であり、奈良や京都の建築は「飛騨の匠」の技なしでは成立しなかった。
律令制度の発足当時にすでに
飛騨国には、税制としての調と庸が免除され、
その代わりに建築技術の提供が求められたという記録が正史に残っている。

長くなりそうなので、また続けます。


コメント
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