
町家を所有して住んでいたのは、基本的には都市商工民たち。
日本の基本的な経済は、こうした人々によって担われてきた。
150年前の明治維新でも、大阪の大商人たちが巨額の革命資金を提供して
はじめて政権の転覆が達成したとされている。
日本的な合理主義とか、計数管理というような基本的経済運営思想は、
こうした階層の知恵によってもたらされたものだったのでしょう。
明治の革命は、そういった階層が政治に介在しうる根拠を与えた。
商ビジネスというものは、古くから、というか人間が社会的存在であることと
不即不離の関係性を持って存在し続けてきたもの。
歴史の中で、そのようなありようの痕跡の断片が見えると、
一気に人間的な匂いがそこに漂ってくる瞬間があります。
日本に本格的な中央政権が奈良に樹立されて最初に行われたのが
「交通網」の整備、道路の建設であったという事実からは、そこを通る荷物、
具体的にはコメなどの税・貢納品というような想像力が湧いてくる。
そしてそれを「運ぶ」というビジネスのありようも立ち上ってくる。
手形、という価値の流動化の歴史はかなり古いというようなことからも、
そういった税・貢納品の物流を巡って人々が生きてきた実質が見えてくる。
そういった日本の商、という仕事に携わってきた人々の
生活感・倫理観、道徳観というようなものが、
写真のような「町家」空間には、空気感として遺されていると思います。
江戸期権力からの強制だといわれる街並みの1.5階ぶり。
その強制はむしろ一種のデザインコードとして、豊かな精神文化を生んだ可能性が高い。
また間口の広さを税の収奪根拠としたことから、
それへの対応として間口が狭く奥行きの長い間取り文化が形成された。
そういう都市住宅文化は、緑の希少性を高め、
中庭、坪庭との対話という日本人の基本的精神性にも与った。
茶の湯文化の初期は、この写真のような坪庭に対して
簡易な造作の「茶室」を建てて遊んでいたのだといわれる。
こういった町家のたたずまい、ありようから
精神文化性を抽出させるというのは、科学的には難しいかも知れないけれど、
現代日本のなにごとかの「揺りかご」になったのは間違いないのでは。