三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

窓の開け方

2013年09月10日 14時52分57秒 | Weblog



写真は、あるモデルハウスでのワンカット。
で、いろいろビルダーさんと話していて、窓の開け方の状況を取材。
窓の開け方、といってもカーテンを開けて、窓の取っ手を操作して開く、
という作業方法のことではありません(笑)。
そういう「開け方」のことでは、引き違いが圧倒的に多かった日本の窓に
さまざまな気密部材を使った欧米の考え方の窓が導入され、技術移転も進んで
北海道では、だんだん操作方法がユーザーにも一般化してきた。
わたしが家を建てた頃には(いまから22年前)木製3重ガラス入り窓は
スウェーデンから輸入して入れたので、
その独特の「回転式取っ手」の使い方を、施工店も知らなかった(笑)。
「どうやって開けるの???」
「ニヤニヤニヤ・・・」
というようなウソみたいなことに現実に遭遇した(笑)。
で、無理矢理開けようとして、ちょっと不具合も起こしたりしていた。
いまから考えると呆れるばかりですね。

っていうようなことではありません。
窓というのは、住宅の「デザイン」にとって決定的。
人工的に地球の空間を切り取って住宅とするわけだけれど、
そこには光が必要だし、外界との視覚的コミュニケーションも不可欠。
それを意図して、ある大きさを、ある場所に、機能を特定させながら
開いていく必要がある。
内部にどのような光が導入させられていくのか、は
この窓の開け方にすべてが懸かっている。
普遍的な部分もあれば、流行的な部分もある。
窓の品質とデザインのバランスの問題もある。
主に、最近の流行の「小さな窓」について、
建てる側の論理を、いろいろに取材してみた次第です。

きわめて当たり前のことだけれど、
家の建て方にとって、窓の開け方は最重要なテーマ。
ぜひ、窓の意味合いをいろいろに想像力を働かせて欲しいものだと思います。
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祝・2020 東京オリンピック

2013年09月09日 06時39分30秒 | Weblog



各紙がこぞって号外を出して祝っている。
わたしたち夫婦は、きのう朝から、といっても4時半出発で
高速道路を飛ばして,一路、釧路に向かっている最中。
「あれ、アベシンゾウからメールが来ている・・・」
「え、阿部って、室蘭の???」
「あ、いや、首相官邸の・・・」
カミさんは、「首相官邸メール」を受け取る設定にしてあったようなのです。
とかいって、助手席でカミさんがつぶやきつつiPhoneでメールを読み始めた。
「へぇ~~、オリンピック、東京に決まったんだって!」
「本当か、そうか、そりゃよかったな」
っていうような、単純な国民的慶事祝賀気分にいっとき浸りました(笑)。
「そうか、にしても、安倍さんって、ツキがあるな」
っていうのが、第一印象でしたね。
前・民主党政権のあまりのていたらくにあきれかえった国民的なムードを
上手につかんで、衆議院選挙に圧勝し、
まだなにも着手していないときから
「アベノミクス」という、円安・株高が相場形成されて、
そのムードをしっかり持続させて参議院選挙も圧勝に終わった。
そして東アジア2カ国との外交に手詰まり感が漂い、
欧米では福島原発汚染水管理問題で環境世論が逆風になりつつある中で
今回のオリンピック招致に成功した。
為政者というのは、信条がどうこうも、もちろん第1に大切だけれど、
「なんとなく運を持っている」ということがはるかに重要。
震災時の菅直人さんは、やはり日本政治史上に残るダメ権力者だったと思う由縁です。
しかし、結局、アベノミクスだけでは実体経済には効果は期待できない。
そこに大きな国としての「目標」をしっかりターゲティングできた。
日本という国・国民にとっては、こういう明確な目標が
経済的な発展という意味でも、なによりも大きいのではないかと思います。
具体的な目標像が定まったときのこの国の
達成能力は、たぶん他のどんな地域の社会にも負けることはない。
戦争に負けて、敗戦国という汚名と焦土と化した国土、
そして多くの「労働生産人口」を失ったにもかかわらず、
戦後復興という奇跡的な成功をこの社会は経験してきている。

ふたたび巡ってきたこの国民的な目標機会に
さて、今度はどんな「国のかたち」の夢を、わたしたちは実現すべきなのか。
住宅の世界で言えば、この2020年は、住宅性能基準の「義務化」の年に当たる。
世界に誇る美しい木造技術、在来工法で、
ドイツ環境基準を上回るような性能基準も達成可能な、
それもさまざまな気候風土の国土各地域に根ざした技術を
わたしたち日本の社会は持っている。
そのようなことがとりあえず、この機会に大きく発信できると思う。
多くの知見と経験知を動員して、
もっと大きな目標を具体的に掲げて、
世界に向けて、この社会の将来性をアピールすべきなのだと思う。
それぞれのフィールドで、頑張りましょう。
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ダイエット作戦3カ月

2013年09月08日 05時33分06秒 | Weblog



さて、「65歳までにダイエットできない人は、もうできない」
っていう決定的俗説(!)を聞かされて、
それはやばい、と一念奮起した次第ですが、
開始からほぼ3カ月が経過して、当初体重、あえて申し上げませんが、
そこからは12kg程度落としております。
荒天の日や、やむを得ざる事情以外の日を除いて
ほぼ毎日、早朝の散歩、約40分程度の継続と、
食事の「炭水化物」制限という手法なのですが、
まぁ、要するに自己規制、克己心を総動員するというようなやり方。
おかげさまで、家族のありがたい支援・応援の甲斐もあって
かなり安定的な体重変動範囲で推移しております。
カラダは動かし続けているので、
健康状態はぐっと向上していると思われます。
たぶん、いま「健康診断」を受けたら、
健康優良中高年という認定が軽々と得られそうだと思います。

まぁ、一番の問題は、
出張がやたら多く、1年で100日くらい「外食」で済ませなければならないこと。
たまたま、この3カ月ほどは出張がそうは多くなかったのですね。
たぶん、ペースは通常の半分くらいの出張でした。
写真は、ある出張時の外食の一例。
まず、なるべくたくさんの「野菜などの食材の種類をたくさん摂取する」
という必要があるので、メニュー選択を考えなければならない。
この場合、右上のメインディッシュには、鍋料理。
炭水化物ばかりではなく、食材をたくさん摂取するのは
難しいのですが、鍋料理だと温野菜の量はありそうという判断。
これは大正解でしたね。
鍋の中は、すき焼きだったのですが、キノコ類も豊富でバランスは良かった。
ただ、肉が多すぎてこれは、やむなく半分くらいは残した。
で、左上はひじきですが、これもいいし、真ん中の赤出汁味噌汁も具材豊富でいい。
というメニュー構成。
たぶん、食材は20種類くらいはありそうですね。
で、問題はこれでどうだと言わんばかりの左側の米飯。
とてもおいしそうで、たまりませんね(笑)。
日本のコメって、おいしすぎると思うのです。
とくに外食店舗では、主食を少なくは出しにくいでしょうね。
しかし、ここが「克己心」というか、習慣力でしょう。
この誘惑をなんとか断ち切って、半分以上は残す。
ふだんの「家食」では、この1/10程度に抑えているのですが、
なんとか、この量の3~4割の摂取に抑えた次第。
なるべくたくさんの食材を我慢せず積極的に食べて、炭水化物を抑える。
こういう作戦で外食に臨む次第であります。
一応、今のところはなんとかやっているダイエット作戦のネタバレであります。
ご参考になれば幸いです。ふ~~~、がんばるぞっと。

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日本の木造技術を「ブランド」に

2013年09月07日 10時11分37秒 | Weblog



きのうはJIA北海道大会のメイン懇親会。
たいへん多くのみなさんが札幌のホテルに集まってにぎやかな大会風景。
で、約2時間ほど、全国から見えられたみなさんといっぺんにたくさんお会いできました。
やはりこういう機会はありがたいですね。
人と人とがめぐり会う、顔を合わせることがすべてのきっかけ。
そういう意味で、すこしづつのお話しでも、
得るインスピレーションはたいへん大きいものがある。
きのうは、最近北海道へのエアラインが就航したというタイからの建築家ご一行の姿も。
わたしはあんまり英語は・・・、なのですが、
説明役を買ってくれた建築家の話では、
経済成長の著しい東南アジア圏の人々にとって、
北海道というのは、たいへん魅力的な地域として羨望を集めているということ。
四季の変化が明瞭で美しいという、アジアで稀有の地域ということなのですね。
そしてアジアの中でもっとも「木造技術」が素晴らしいという
そのような印象を持ってくれているのだそうです。
しかも、木造の欠点とも言える「断熱気密性」において、
世界最先端とも言える技術レベルを同じアジア人が北海道では達成している、
というようにも思ってくれているそうです。
一方でタイなどの東南アジア地域は、人口増加も目覚ましく、
建築の需要、そのデザインへの希求も大きいものがある。
そしてヨーロッパ人たちもそうであるように
日本の木造技術への評価は大変高い。
美しくエコロジカルな木造で、ドイツ環境基準をもクリアする建築技術を持っている。
かれら社会が,建築資産をこれから大量に構築していくときに
かれらの「地域の」材料を使って、エコロジカルな建築を志向するとすれば、
日本の社会が獲得している高断熱高気密にいたるまでの
木造技術資産は、大いに活用できる可能性を持っている。
ヨーロッパがいま、エコロジーの観点から木造に注目しているように、
これから社会発展する地域からも、そのような視線が注がれている。
まさに、目からウロコが落ちるような思いが致しました。

そうか、規格大量生産型産業技術ではないけれど、
そうした木造技術を、これから発展する地域に役立ててもらう、というのは
日本という社会が今後、生き延びていくときに
大きな「産業資産」なのだということに気付かされた次第です。
欧米、というかヨーロッパ文化が、ブランド品という資産を持って
規格大量生産型の資本主義段階とは違う、
いわば次の「高付加価値」資産を作ってきたように
かたちには違いがあるけれど、
日本の「木造建築技術」というのは、そういうブランド化しうる価値を持っている。
それを、どのように「プロデュースするか」というのが肝心だけれど、
大いに気付きを得られました。
ひるがえって、同時に北海道はどのように生き延びていくべきなのか、
そういった部分でも、面白い視点も得られました。
やっぱり多くのみなさんと交流するのは、意義深いですね。
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JIA2013北海道大会

2013年09月06日 12時47分12秒 | Weblog



・・・どうも「賛助会員」になってから、
日本建築家協会北海道支部の活動との距離感がなかなかつかみにくくなっている。
メディア企業が、こういう「賛助会」みたいなのに参加するのは難しい、
そんな微妙な思いをしております。
きのうは、全国からの参加者が会したWELCOMEパーティ。
それこそ、あちこちに顔見知りのみなさんが多くて
会場で旧交を温めておりましたが、
実際問題、「賛助会員」だと、自由に「取材」もできにくいのですね。
スケジュールではたくさん興味のあるテーマの会合があるのですが、
賛助会員では、メディアとしての自由な取材ができにくい。
まぁ、時間にゆとりがあれば、申し入れもして
しかるべく準備をするのですが、こっち側もそういう時間はなかなかない。
こういうの、なかなか言い出しにくいし・・・。

・・・っていう楽屋落ちなことは置いといて
JIAの活動の志向性には大いに賛同しているので、楽しみにして
懇親パーティには参加させていただいてきました。
北海道のみなさんはホスト側と言うことでまぁ、ご挨拶程度で
その後、会場でたくさん、遠来のみなさんと歓談させていただきました。
東北のみなさんとは、さて本拠地はどっちなのか、
というくらい根がらみのお付き合いなので、
またまた、来年の冬に「冬に寒さ体験北海道建築ツアー」のコーディネイトを
仰せつかったりしておりました。
数年前のあのツアーの強烈な体験が
「忘れられない」「もう一回、あの強烈さを味わいたい」(笑)
というような自虐希望が寄せられた次第(笑)。
同じような「寒冷」への共感が、北海道と東北では通底しやすい。
東北の人にしてみると、
自分よりもっとひどい境遇に対する優越感とも、羨望とも言えない
ないまぜな感覚があって、話が弾む(笑)。
こっちも数少ない優越感(?)のタネになっている。
まぁ、環境建築という現代の緊喫なテーマでは、
北海道の建築がその領導役を引き受けていくべきだと思っています。
そういう意味で、ほかの地域のみなさんは
北海道の人間を大いに「利用」して欲しいと思う次第です。
また、今夜もパーティがあるので、多くのみなさんの声を聞いてきたいと思います。
ではでは。

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続く雨と「あまちゃん」

2013年09月05日 11時08分59秒 | Weblog



8月のお盆過ぎからこっち、
北海道では、ほぼずっと雨が降らない日はありません。
たとえ、晴れていても時折スコールのような雨で、
そんなに暑くない熱帯の島状態だし、
それ以外は、ずっと雨でときどき雨脚が強まる、という天候。
先に気象庁が、今年の夏の暑さは異常気象だったと発表しましたが、
うち続く豪雨被害、ゲリラ的な集中豪雨など、
晩夏も、異常気象になりそうな勢いですね。
こういう天候なので、夏なのに風邪を引いているひとも増えている。
行楽や、外出の機会も減ってしまっていますね。
わたしは、なんとか朝の散歩は、大雨以外は行けておりますが、
天候が怪しいと、行き交う人も少なかったりします。
はやく、安定して欲しいものですが、さてどうなんでしょうか?

さて、雨の連想で無理矢理引っ張って(笑)
NHK朝のドラマ・あまちゃんも最終章の岩手北三陸震災後・篇が始まりました。
いまのところ、出演者は無事のようで、
震災後の復興に向けた元気を盛り上げるという方向で
あまちゃん・アキちゃんが北三陸に帰って奮闘するというような展開になりそうですね。
コメディでどんなふうに震災という結節点を超えていくのか、
そういった興味は大きかったのですが、
やはりやや抑え気味の静かな展開が続いています。
やはり北三陸にアキちゃんが戻ってから、
前回の北三陸篇・あまちゃん誕生ストーリーとはまたひと味違った
アキちゃんの活躍が見られそうで、大いに期待しております。
日本では東京から地元に帰ることにマイナスイメージが冠せられることが多いけれど、
今回のあまちゃんの場合、ある意味では日本がいまもっとも取り組まなければならない
東北太平洋岸の「地域興し」という難しいテーマに突き当たる。
復興のためにも「笑い」の力が必要だけれど、
そこらへんの説得力がなかなか見通せないのが現実。
そういう日本人がいまやるべきことに果敢に飛び込んじゃったのが、
この「あまちゃんブーム」の背景だと思うのですが、
一ドラマが単騎、状況に飛び込んで行っている姿は爽快感もありますね。

きのうも、田原聡一郎さんがあるメディアで、福島原発事故の際の菅直人政権の対応が
今日までの停滞の元凶であると書かれていました。
未曾有の原発事故に際して、もっぱらポピュリズムしかアタマにない総理を
日本はトップにいただいていたことが、不幸を連鎖させたということ。
東京電力にすべての対応を任せてしまって、国は表舞台に立ってこなかった。
汚染水管理の問題で、民間企業での対応には限界があるという現実が見えてきていますが、
アメリカであれば、地震発生直後から国、というか、軍が前面に出て
情報も一元的に管理して、対応策も必要な策を迅速に行えた可能性がある。
確かに国には原発を自分で扱うノウハウはないだろうけれど、
一企業では予算管理の問題が優先されざるをえないので、対応策が制約を受ける。
東電をバッシングして溜飲を下げる、あるいは危機を声高に遠吠えするだけ、
というような世論動向を生み出してしまった罪は重たいと思う。
そんな意見を発表されていました。まことに同意するところ。

っていうようなことをだらだらと書いていたら、さて、
ようやく久しぶりの青空が広がって参りました。
気温は高く、蒸し暑い状況。インディアンサマーの到来のような気がします。
写真は、北海道神宮での雨ならぬ晴れ乞い・・ではないのですが・・・(笑)。

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カタカナの起源「朝鮮説」

2013年09月04日 11時13分37秒 | Weblog



っていう記事が朝日に掲載されていたようです。
歴史に少し興味を持っていれば、このこと自体はまったく自然なことだと知れる。
というよりも、現代世界では「国民国家」意識による国家認識が強くあるけれど、
対馬海峡を挟んで、この2つの地域は、
たまたま違う国家形成をした、というのが実態に近いだろうという方が常識的。
ある時期までは、ことばにも共有部分があったに違いないだろうと思われる。
同じように、「漢字」も、律令国家体制も輸入した。
先進文化は中国大陸で生成し、それを両社会とも受容した。
世界宗教文化である仏教も大陸から半島を経由して、この列島社会に伝わった。
両社会とも世界共通言語の「漢字」表記によって国家運営文書が統一されていた。
その「文明」最大の「伝播者」である僧侶もまた、相互浸透していた。
平安初期、遣唐使として渡った僧侶、慈覚大師・円仁などは、
どうも言語も通じていただろうと記録からはうかがえる。
ちょうど、キリスト教圏内で世俗の国境を超越した広い交流があったように
東アジアの先進的な社会、中国・朝鮮・日本の社会では、
かなりの「同質性」が文化的にも相互に担保されていただろうことは明らか。

記事では、朝鮮の僧侶の漢文への読み下し注記として、
表音文字としての「カタカナ」らしきものが発見されたと、ある日本の歴史学者さんが
発表していた、ということなのだそうです。
その記事に対して、ホリエモンさんが、
「ネトウヨ」が騒ぐだろう、とつぶやいたそうで、
案の定、ずいぶんかまびすしくこの発表をされた先生に対して
「非国民」呼ばわりに近い罵声が起こっているのだとか。
わたしなどは、先に半島で表音文字を発明したのだとすれば、
それを社会発展に十分に活かさなかった朝鮮文化に残念感を持つくらいなのですが、
ムード的に、韓国側はこれを日本を蔑む材料にするに違いないという
そういった嫌悪の気分が日本社会に存在しているということですね。
また、韓国側にもそういった蓋然性があり、両社会の間に反目を助長するムードがある。
起源がどうであれ、
この列島社会では、律令国家運営側が強制したことで、
漢字を受容し、カタカナ・ひらかなという補助的な表音文字も
複雑に使い切る言語教育が、社会全体に根付き、文化的素地が広く底堅く形成された。
また、農業生産管理が社会システムの基本とされたので、
中央権力と生産地現地との間のコミュニケーションの必要上、
これらのかな交じり漢字文書が大量に交通した結果、
識字率が、たぶん、どの時代でも世界の他の地域社会よりも格段に向上した。
それが、わたしたちの「日本的なる」文化素地を形成していると思うのです。
このことはかなり特異的なことであることは、間違いがない。
けれど、だからといって、すべてこの社会で独自に生み出したのだというのは、
やはり言い過ぎだろうと思います。
この発表にようなことが、たぶん実態に近いのだろうと思います。
 
また、最近読んだ歴史学説では、
日本社会の「排外主義」は、自分たち自身が明らかに大陸あるいは半島社会からの
移住民であることが明らかである天皇制支配体制に巣くった「貴族層」たちが、
実は目的的に,平安期前後から、それ以降の移住民たちへの「排外」を作りだした、
という研究発表もされています。
こういったムードというのは、まことに困った事態だと思います。

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性能向上と住まいのこれから

2013年09月03日 05時29分47秒 | Weblog



きのうは、告知はReplan本誌とWEBだけだったという
表題のセミナーが札幌の北大構内で開催されて、取材してきました。
ところが、80人定員の会場に100人以上の参加者というすし詰めぶり。大盛況。
タイトルは、「性能向上と住まいのこれから」というもの。
参加者は、北大の繪内名誉教授、東大の松村教授、北総研・福島さん、
道建築指導センター・中館さん、評論家・南雄三さん、
設計者のSa design office 小倉さん、施工の紺野建設 紺野社長 というメンバー。
それぞれ、
福島さんから断熱・気密化の北海道での実践活動
南さんからは、「住宅の資産価値」についてのお話
中館さんから、北方型住宅の歴史的経緯について、
小倉さんからは、実際の住宅設計について
紺野さんからは、家づくりの現場意識について
などなどの発表があって、その後、パネルディスカッションに移り
東大・松村教授から
「なぜ、ここまで特異的に北海道の住宅性能意識は高いのか」
というような切り込みがあって、論議が深まりました。
このあたり、わたしにもツボだったのですが、
まぁなかなか論議は、どうしても流れやすいので
じっくりとはいきませんでした。
福島さんから指摘もありましたが、
北海道では50%は、ほぼ目指してきたレベルの住宅性能の住宅が建っている。
本州地域では、よくても10%、普通は5%程度しかない、
しかし一方でドイツなどでは、90%に近い印象というお話しがありました。
ただし、ドイツは新築住宅の総数が日本の2割くらい程度なので、
総数で言えば、たいへん多くの高性能住宅がいま、北海道では生産されている。
ということだそうです。
そこから、北海道の住宅の意味合いは、ユーザー視点で見て
どのような段階にあるのか、そういった部分をもっと深めたいと思っていますが、
そうした視点を「北方型住宅」の会議などで発言していきたいと思います。

会場にはたくさんの知己が集まっていて、
その挨拶だけで時間がいっぱいになってしまいました。
挨拶しきれなかった方も多い。
でも、いっぺんに会うことが出来るこういう会合はいいですね。
さて、いろいろのテーマのタネは得られました。
どう育てて,料理していくべきか、です・・・。

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飛騨の匠の都市デザイン

2013年09月02日 06時46分22秒 | Weblog



高山の街、旧市街を歩いていると
やたら、ミシュランガイドを持った西洋人旅行者に出会う。
どうも、日本での観光スポット都市として3つ星がついているのだそうです。
まぁその慧眼には恐れ入りますね。
こうした街並みがすべて木造で作られていることが、かれらには奇跡的なのでしょう。
なぜこういった「小京都」と呼ばれるような日本的デザインが
この地域に多いのか、というのは、
むしろ、この地域の建築・木工造形技術が「日本的デザイン」の基盤になっている
京都の町家デザインは、飛騨の匠抜きには考えられなかったことに由来するのですね。
きのう、律令国家の制度で、この地方は建築技術を都に差し出さされたと書きましたが、
木の国から都に出てきて、
その技術によって評価を高めていったのだと思います。
かれら技術者たちがカラダで持っているデザイン感覚が
都でも花開いたし、もちろん、地元でも残されてきたということなのでしょう。
相互浸透していたのだと思います。
かれらの「デザイン感覚」は、京都の都市文化に触れるうちに
そのエッセンスを吸収して、細部ディテールに至るまで
「日本人的なるもの」を表現することに感覚が研ぎ澄まされていった。
というような発見に至って、
今回の取材旅行にたいへん大きなポイントがあったと思い知らされた次第。
結局、日本の木造技術の大きな流れを把握してこそ、
これからの行く先も見えてくるということなのだと思うのです。

日本人のこころがやすらぎを感じるというのは、
いったいどんなことなのか、
「いごこちの良さ」ということを考えていくと、
生活文化と一体となった建築の空間の巧みさ、が探求される必要がある。
そんなふうなことが、強く感じられてきてなりません。
現代にまで連なってくる日本人的なものへの再発見が、不可欠なのだと思います。
で、こんな旅を経て、
こんどは、2方向に興味が向かっていきますね。
それは、ひとつは、都市デザインの志向性のような部分で、
やはり京都町家の生活に根ざしたデザイン文化についてであり、
もうひとつは、その飛騨の匠のルーツに向かう方向。
こっちは、たぶん、縄文の三内丸山までたどるこの列島社会での
木造建築技術を掘り起こしていくような方向性。
しかし、その手掛かりは同時に、
この高山とか、白川郷とかの地域に多くが残されているのかも知れません。
どうも好奇心が大きく刺激されてきています。



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飛騨高山について-1

2013年09月01日 16時49分45秒 | Weblog



飛騨高山は、戦国期に近江の佐々木氏から枝分かれした
「三木」氏という氏族が勢力を広げていた歴史があります。
同姓ということで、親近感を持って妄想世界を膨らませていたことがあります。
なんですが、仕事生活を始めてからは、
東京・関東や東北、たまに関西、中部、中国、九州というような場所には
出張機会はまずまずあるけれど、
中部山間や北陸、山陰、四国といったところはなかなか縁遠い。
そんなことで、今回の取材旅行ではじめて訪れることができました。

ほとんど予備知識がない状態で、
ただ、なんとなく世界遺産に登録されている白川郷にほど近く
「小京都」といわれる古い街並みを持っていること程度の知識しかありませんでした。
しかし、やはりどんなことも自分の目で確かめてみなければなりませんね。
最初に足を運んだのは、江戸時代の代官所がそのまま残っているという
「高山陣屋」です。
写真は、その玄関を入ってすぐの床の間の様子です。
代官所というのは、今日で言えば県庁くらいの機能を果たしていただろう公共施設。
やたらたくさんの部屋があって、政治経済の中心施設であることが知られます。
終いには「お白州」まであって、裁判所の機能も持っていたようですね。
こういった地方統治システムの建築遺構は全国的にもきわめて貴重なんだそうです。
そうでしょうね、わたしも初めて見た。
なのでたとえば、それ以前、武家政権以前の国府などの政庁も、
この建物の有り様から類推するくらいしか想像力を持てない。
たいへん貴重な施設であると思いました。
写真に戻って、こういう公共施設で国家機構の出先機関として
格式から言って、この地方随一のエントランス装置になります。
流麗な波形の壁紙デザインが来訪者を出迎えている。
建築美術的にも、この時代を考えるとたいへん面白い。

高山というのは、中部山岳地帯で真空のようにぽっかりと
広がった平地に、長い年月の文化の折り重なりがある。
石器時代から縄文時代にも、たぶん、黒曜石などの産地として栄えていたように思われる。
旧市街地には、そういった様子を偲ばせる展示もあった。
市の面積の92%が山林であるということから、
古くから木工技術が有名であり、奈良や京都の建築は「飛騨の匠」の技なしでは成立しなかった。
律令制度の発足当時にすでに
飛騨国には、税制としての調と庸が免除され、
その代わりに建築技術の提供が求められたという記録が正史に残っている。

長くなりそうなので、また続けます。


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