三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

道東・野付半島でシカとたわむる

2015年09月21日 06時42分54秒 | 出張&旅先にて


みなさんシルバーウィークいかがお過ごしでしょうか?
わたしは、カミさんとクルマで足を伸ばして道東へ。
一気に根室半島と知床半島にはさまれた野付半島まで。
ちょうどエビがカラダを丸めているような
形状の半島で、日本最大の砂嘴(さし)なんだそうです。




ということで、前に道東を走ったときには、
「あそこまで行っていたら、時間が足りなくなるよね」
ということで、先っぽの方まで行くのは断念していた場所。
今回は、時間にゆとりのあるシルバーウィークということで、
走ってみた次第であります。
天気もこっちの方に来るほど回復してくれて
雄渾な雲と青空というダイナミックな構成で楽しませてくれます。
やはり道東の魅力は、シンプルな天地のおおらかさ。
単純に雲のうつろいや形状の変化に驚くみたいな部分。
で、道路もどんどん走って行くと左右に海が見えるという
「海の中道」状態が眼前に展開致します。
で、ネイチャーセンターをさらに奥に走ったのですが、
いわゆる半島本体部に差し掛かるあたりからは
一般は通行できなくなっています。
ラムサール条約での自然保護という観点からの処置なのかなぁ。
で、ネイチャーセンターに戻って、ひと休みした後、
今度は、砂嘴の先端部分の「トドワラ」に向かって徒歩での散策。
往復にはたっぷり1時間はかかりますが、
その上、絶景が広がっていて、いくらいても楽しい。
広大な海の中のプールの中を歩いて行くようです。
広い天地にのんびりと癒されます。
そこからの帰り道、途中には野生のシカさんたちが草を食んでいる。
あんまり人間から危害を加えられることがなく、
またエサを与えるようなひとも少ないからなのか、
こっちを警戒する風もなく、また媚びるようでもなく、
ごく自然な様子で、周辺の植物をゆったりと食み続けておりました。
よく、野生動物との共有の時間は、
なにか、生き物としての原初的な脳の部分が働いて、
人間の意識を支配してくれるので、無上に癒されると聞きます。
時間的には10分程度の遭遇なのでしょうが、
そんなことを想起させてくれる時間を過ごすことができました。
シカさんたち、ありがとう。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安藤忠雄作品 札幌真駒内霊園・頭大仏

2015年09月20日 04時37分14秒 | 住宅取材&ウラ話



札幌の「真駒内霊園」というと、
札幌に住んでいる人にとっては、まことに微妙なイメージの場所。
なぜか、入り口近くにはモアイ像が林立していたり、
石造りのシカがそこにミスマッチにたたずんでいたりする。
どうも奈良の大仏のパクリで、シカも動員されたものと推測できる。
そういうなんでもありの混沌状況がキッチュで楽しいとも言えるのですが、
まぁ、なんとも微妙な、というのが偽らざる心境。
そもそも霊園墓地で、そういったキッチュさは必要なのか、
人類の定住が始まってから15,000年として、たぶん墓地というのは
それと同じか以上くらいの歳月、人類の歩みとともに存在してきたと思う。
死者への敬意は人類とともに存続し続けるものと思うけれど、
どう考えても、自然や物質に戻るのがイキモノとしての輪廻。
そういう悠久性で考えると、あまり仰々しくしたくはないのではないかと。
わたしとしては、ここに墓地を求めたいかと言われれば、避けたい気持ちも強い(笑)。
ただ、そういう墓地に商業主義がありうるのも現代資本主義社会。
話題を提供してという、売らんが為の作為が働くのも、理解出来る。

そういった雑感を抱く施設に、
これまで普通に建てられていた大仏があって、
その再活用を、墓園管理の企業から依頼を受けて、
そこにこれでもかの、安藤忠雄作品が「頭を出しつつ」ある。
<画像は、周辺に建てられている看板その他を撮影したものです>
安藤さんの札幌での講演会で、この「作品」のことを聞いて
一度は見てみたいと思っていたのですが、きのう、近隣に要件があって
訪問することが出来ました。
その制作意図はまことにわかりやすく、
プレゼンテーション・表現能力については、まことに強いメッセージ。
キッチュに建てられ、素裸にさらされていた大仏を
周辺から土を盛り上げて、頭部だけ残して埋めてしまう。
しかし、大仏の仏体自体には土は被覆させずに、
盛り土小山にトンネルを掘って、中心部に端座する大仏に向かって、
その明るさに向かって、人々を歩ませていく。
やがて徐々に高まる予感の末に、
いきなり明るい空間の中で、この神々しい大仏を仰ぎ見させる。
その劇的な体験感を味わわせようという、建築者としての構想力はすごい。
こういう回遊性と、出会いの衝撃性の演出は、茶室などに
一般的に使われ続けてきた技法だろうし、
人類社会に普遍的だったのではないかと思います。
たぶん、歴史的に「宗教施設」に対して建築がリクエストされてきたことが、
こういうわかりやすさであったであろうことも、想像するに難くない。

さてこの施設・頭大仏は、間違いなく
札幌の新名所になっていくことだろうと思います。
たしかにメッチャ面白い、しかし・・・。
この頭大仏が、はたしてどんな評価になっていくのか、
わたしとしては、むしろ、そのことの方に興味が湧いてきています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9.29 初めての工務店経営セミナーin青森

2015年09月19日 06時10分03秒 | リプラン&事業
さて、わたしどもでは住宅ユーザー向けの住宅雑誌を発行していますが
そういった活動の中で、地域工務店という、いわば地域に根付いた製造業の
価値というものの大きさに気付かされ続けています。
住宅という「ものづくり」が、地域社会を形成する基本であり、
その活力の維持は、地域の力そのものだと思っています。
ただ、その工務店は圧倒的大多数が零細な規模の事業体です。
地域の製造業の核心であるにもかかわらず、
経営の側面から見れば、情報の交流機会すらも少ない企業が多い。
多くが孤立した経営環境の中で、中小零細企業としての悩みや、
経営の支援情報の圧倒的不足にさらされている現実があります。
そういった状況を踏まえ、わたしどもでは、地域工務店の経営の存続は、
同時にある意味での公共財として、地域のものづくりの力の基本であると考え、
地域間での「情報交流」の機会を創出していくことを目的に
今回から、初めての試みとして、工務店経営セミナーを開催することにしました。
以下、案内資料からの要旨抜粋です。
ぜひ、興味をお持ちの工務店のみなさんの参加をお待ちしています。

“選ばれる”は、つくれる。 成功する地域工務店の秘密

地域に根ざした工務店だからこそできる価値の創造とは何か?
地元で高い人気を誇り、愛され続けているビルダーをお招きして、
その「人気と成功の秘密」を商品・サービス・人・イメージという
4つのテーマを基に解き明かし、これからの家づくりに活かしてい
ただくセミナー及び情報交換会を開催致します。

◯日時 2015年 9月29日(火) 
 セミナー 13:30~16:00 (START14:00 ~)
 情報交換会 16:30~18:30
○場所 ラ・プラス青い森   
 青森県青森市中央1-11-18 TEL:017-734-4371                 
○対象 青森県内ビルダー様 20社限定 
○セミナー内容 『“選ばれる”は、つくれる。 成功する地域工務店の秘密』
 1.商品力:技術とデザイン
 2.サービス:家ではなく、暮らしを創造する   
 3.人:顧客満足度をあげる方法 
 4.イメージ:地域工務店のブランディングとは     
パネリスト 
 (株)アーニストホーム(函館) 取締役副社長  新田眞幸 様
 (株)三五工務店(札幌) 代表取締役社長 田中寿広 様  
コーディネーター 
 住宅雑誌Replan編集長 三木 奎吾
○情報交換会 セミナー後、立食形式による情報交換会を開催
○募集人数  1社2名以内 最大40名まで 
 *定員になり次第締め切らせていただきます。 
○参加費      
 セミナー+情報交換会 1人 5.000円(税込み)
 セミナーのみ1人 1.000円(税込み)  *当日、会場にてお支払い下さい。

◯パネリストのご紹介
★株式会社 アーニストホーム(函館)取締役副社長 新田 眞幸 様
http://earnesthome.com
 ●「商品ではなくブランドを売る」
輸入住宅を中心する社として創業した同社は、2008年頃、
輸入住住宅ブームに陰りが見えた頃、商品構成を一新する。
「輸入住宅」から「子育て住宅」へ、ライフスタイル型住宅への方向転換だった。
規格住宅で、すぐに導入できる住宅ボランタリーチェーンに参加。
事業形成のスピード感を活かし、3か月後に建築したモデルハウスで
来場総数200組を記録。低年齢の顧客層の開拓と紹介受注からの高い成約率で、
受注の柱を確保した。また、ターゲットに合わせた地域マーケティングで、
HPの強化はもちろん、雑貨作家とコラボしたイベント企画。
実生活並にセッティングしたオープンハウスの定期開催等。
全国ネットワークにとらわれない自立した企画も、社員全員参加でやりぬき、
年間30棟を確保。新しいブランドでの建築棟数は導入7年で100棟を超えた。
現在は増税対策も兼ねてコンパクトハウスも導入。ターゲット毎に商品を分け、
先を見据えた経営手法を確立している。

 ★株式会社 三五工務店(札幌) 代表取締役社長 田中寿広様 
http://www.kk35.jp
●「人に一番初めに紹介したい工務店」
創業して58年目となる同社は、創業者のポリシーである
「当たり前のことを真面目に取り組む家づくり」を継承しながらも、
二代目である田中社長のオリジナリティあふれた組織づくりと
地域に密着した企業経営で、多くのお客様から支持されている。
社員の成長こそが会社の成長と考え、スキルアップはもちろん人間力を磨く
様々な社員教育を実施。営業部門をつくらず設計スタッフが打ち合わせを進める
スタイルでお客様との認識のズレを減らし、顧客満足の高い家づくりを実現。
また、昨年からは、木製品を積極的に採用し、地域の文化・環境に貢献する
「カラマツ宣言」を実践。注文住宅に比べコストダウンできる企画住宅や、
家づくりの考え方、住まい方を示した提案住宅「フラッグシップモデル」など、
注文住宅で培ってきた技術やノウハウを活用し、断熱や気密、省エネなど
建物性能とデザインを両立させた新たな取り組みにチャレンンジしている。

○コーディネーター
株式会社 札促社   代表取締役社長・Replan 編集長 三木 奎吾
1988年に北海道の住宅雑誌として創刊。2003年には東北版を創刊し、
現在、北海道版110号、東北版は50号まで刊行。各種別冊も定期的に発行し、
地域に根ざした「住む」「暮らす」をよりよくする情報を提供している。
また、雑誌発行で培ってきた情報力で、インターネットの取り組みも積極導入。
家づくりについての簡単な質問から土地探し、プランの相談など、
Replanが厳選した優良企業に匿名で相談できる「家づくりWEBセンター」や、
住宅にかかわるトラブルや悩みに対して、専門家がアドバイスする
インターネット上での住宅ユーザー支援「NPO住宅110番」を設立。
 多方面で、いい家づくりを応援する活動を行っている。
 
○お申し込み この専用フォームをクリックしてお申し込み下さい。
○お問い合わせ (株)札促社TEL/011-641-7855  
 Email:kurashidesign@replan.co.jp  担当/岡野

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Replan北海道【特集】住み家さがしの秘密。9月29日発売

2015年09月18日 05時29分50秒 | リプラン&事業
さて昨日に引き続いて、当社新刊のご案内です。
当社の基幹雑誌である、Replan北海道の最新刊です。
今回、新しいテーマに取り組んでみました。
家づくりでもっとも初源的な部分、「どこに住むか?」というテーマです。
わたしたちが住まいを考えるは、なぜでしょうか?
住宅雑誌をやっていて、いちばん感じていることは、きっとそれは、
「シアワセになること」なのだと思っています。
ありがたいことに、現代人は自由にいろいろなことを選択できる。
そういうなかで、シアワセのかたちで、いちばんのベースになることが、
「どこに住むか?」ということだと思います。
そのときに、想像力の幅を、もっと広くしていくことが、
まったく新しい生き方との出会いになるかも知れない。
その選択の意味合いを、より深く考えていくことで、
より満足感の高い生き方を掴み取ることも可能なのではないか。
そんな主張も込めてみたつもりです。

2015年9月29日発売・2015年秋冬号・A4版
本体価格463円(税込:500円)

【特集】住み家さがしの秘密。
なかなか希望の土地に巡り会えない。そんな方には、
土地の探し方・探す視点を変えてみたり、
新築だけではなく、中古住宅のリノベーションを検討して、
自分たちが本当に豊かに暮らせる場所=「住み家」を探すことを
Replanは提案したい。それが今回の巻頭特集です。

全国的に増えてきた空き家が放置されるなどして問題視されている今、
空き家の活用も視野に入れた「住み家さがし」をしませんか?

さらに、家を持つなら考えたい住宅の価値についても、
サスティナブルな社会を見据えて家づくりに取り組む
お二人の建築家に寄稿いただきました。
Contents
●巻頭特集/住み家さがしの秘密。
●十勝で建てるなら、ココ! 2015
●連載 賢い人は気付いてる メンテナンスの大切さ
●新企画 暮らしを灯す
●新連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●暮らし豊かに。Re・home
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス3 <東京大学准教授・前 真之>
●新築ルポー住まいのカタチー
●連載・ STORY OF ARCHITECTURE
 vol.11 籤 HIGO
●北の建築家
 「SHOWAの家」 阿部 直人
 「素のいえ」 櫻井 百子

★Replan予約販売のお知らせ
9月15日~23日までにご購入された方は、
一部地域の方を除いて、29日までに配送致します。
Replan北海道版110号の書店発売は、9月29日です!
お申し込みは当社WEBでの通販コーナーで直売しています。
ReplanWEBからご購入いただけます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Replan青森vol.2 新発売

2015年09月17日 05時43分26秒 | リプラン&事業
さて、発売日から2日お知らせが遅れましたが、エリア特集号のお知らせです。
住宅は、より地域に密着した作られようが求められます。
わたしどもでは、年に数冊、東北各県ごとのエリア特集号を発行しております。
ことしは、8月の福島に続いて、昨年も発行した「青森」の第2号を発刊しました。
とくに青森は、北海道のすぐ隣ですが、
住宅性能についての認識がまだら模様の地域。
大好評だった昨年に引き続き、最新の青森の家づくり、
その進化した姿を、みなさんにお届けします。
夏の暑さも、冬の寒さも、
青森で暮らしていくには、避けては通れません。
でも、住宅性能はさらに驚くほど発展しています。
寒冷地住宅の「知恵」は、こうした条件を十分にクリアして
さらにその上の暮らしの喜びを実現しています。

Replan 青森 vol.2  青森県の書店にて販売!
2015年9月15日発売・A4版/本体価格907円(税込:980円)

寒冷地である青森。その厳しい気候条件から、
住宅の性能やデザインは進化を続けています。
住む人が家に求めるもの、それは何より心地よさ。
その願いを叶えた住まいをご紹介します。

寄稿/青森で家を建てるときに考えるべきこと /西方 里見
実例/川岸の小住宅(青森市)、ブレンドの家(むつ市)、
田面木の家(八戸市)
Contents
◆巻頭特集
暑さも寒さも気にならない心地よい家

◆県内のビルダーが建てた
 青森の住まい・実例集 
◆【特別対談】北のつくり手 × 南のつくり手
◆省エネ住宅特集
◆青森にふさわしいリノベーション

本誌は、日本の寒冷地住宅雑誌として
北海道で出版を続けている住宅雑誌Replan北海道の姉妹誌。
日本の住宅技術を革新し続ける北海道では最先端技術が実現しています。
寒さを克服し、全室どこでも一定の室内気温環境が実現していて
健康そのものの冬の暮らしが実現しています。
そしていま青森でも、こうした技術を完全にマスターした作り手が
繊細な感性で、美しく快適な最先端の住宅を実現してきています。
この雑誌では、このような住宅実例・住宅企業を集中的にご紹介し、
ワンランク上の家づくりをご覧いただけます。
当社WEBでの通販コーナーで直売しています。
ReplanWEBからご購入いただけます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝦夷地総社・函館八幡宮、いいかも

2015年09月16日 05時50分41秒 | 古民家シリーズ


函館は、小さいときから好きだった街であります。
伯父が永く住んでいて、こどもができなかったことから、
姉であるわたしの母に、わたしを養子としてもらい受けたいと念願していた。
なんども言われ続けて、母も一度わたしに話したことがある。
わたしが頑強に「イヤだ、絶対に」と抵抗して沙汰止みになった。
伯父に申し訳ない気持ちもあったのか、
母はときどきわたしを連れて、函館に来ていた記憶がある。
そういう経緯であったか、前後はあるいは逆だったかも知れない。
見合いのようなかたちでわたしを伯父夫婦に会わせて、
その様子から、伯父が正式に「養子に・・・」と切りだしたのかも知れない。
まぁ、こういったケースは昔は多かったようだけれど、
いまとなっては、みんな亡くなっていて、確かめる術もない。
はるかな後年、母を連れて函館に来ていたりもした。
そんなことが記憶の底に沈殿しているのか、
不思議と函館のことが、好きになっている。

札幌が北海道の首府として開拓が進む前、
函館は、北海道の旧都であった歴史を持つ。
この函館八幡宮も、来歴を文安2年(1445年)、
亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、
城の鎮守として城域東南隅に八幡神を勧請したのに始まると伝えられる。
室町の世にまでさかのぼる来歴になる。
その直後にアイヌからの攻撃で河野氏が敗退したりしたそうで、
武神として八幡神が勧請されたというのも、さもありなんと思わせる。
そういえば、河野氏というのは、わが家の家系伝承にも名前が出てくる。
その後、寛政11年(1799年)東蝦夷を公議御料(幕府直轄領)とした
江戸幕府が社地に箱館奉行所を置くことになったため、
文化元年(1804年)、幕府の費用で会所町(現函館市元町北東部)に
社殿を造営して遷座、以後箱館奉行所は当宮を祈願所とし、
蝦夷地総社として崇敬した、とされている。
そういう意味合いでは、北海道神宮が造営された札幌に先んじて、
この地が北海道の中心であったというのは、歴史事実なのだろうと。
こういった来歴からか、外観風貌はまことに古格そのもの。
屋根のデザインが見るものを惹き付ける。
こういった趣味傾向は、北海道的なデザイン傾向ではなく、内地的。
北海道では積雪荷重を考えて、水平方向にはあんまり伸ばさないのが
一般的だと思うのですが、これでもかと水平が強調されている。



正面から見る破風も、やたらヨコに長い。
北海道はほかの日本の「◎◎国」という概念で言えば
6カ国くらいに相当する面積なので
この神社は、道南国一の宮というようにみなしてもいいでしょうね。
社格、雰囲気とも、ちょっと北海道離れしていて
そういう意味でも、いかにも函館らしくて
ちょっと好きなスポットになりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者夜間ドライブのストレス

2015年09月15日 06時17分29秒 | こちら発行人です
きのうは青森に出張でした。
月曜日のアポなので、ゆったりと日曜日にクルマで函館まで行って
若干周遊・宿泊してから、きのう月曜日に汽車で青森まで往復し、
要件を片付けてから、ふたたびクルマで札幌まで、という行程を組みました。
やはり移動コストと時間のバランスが、なかなか難しい。
地方間の移動では飛行機は割高になるので、最初にパス。
そうなると、JR利用か、クルマをからめてのものとするかの選択になる。
函館は大好きなので、あちこち移動して楽しめるクルマで行きたくなる。
日曜日が絡んでの日程としては、それはそれで良かったのですが、
帰りの札幌までの帰還が、夜に差し掛かってしまい、
約320kmのドライブは、やや堪え気味でありました。

わたしはクルマの運転は大好きで、
だから、東北での仕事の開拓期には、盛んに長距離移動を
こなしていたのですが、どうも最近は疲労感が出てきた。
どうも端的にカラダの右側、右腰と背中の右側に疲労感が集中する。
わたしの場合には、どうもエコノミー症候群的に症状が出る。
きのうは函館を出発できたのが、午後5時半過ぎ。
なので一般道走行ではなく全線高速を利用しました。
で、函館市内を抜けて、都市高速に乗って峠下~大沼から高速。
八雲あたりで日が完全に落ちて、
そこからは夜間ドライブであります。
どうもこの夜間の走行というのが、非常に疲れを呼ぶようですね。
徐々に肩から背中にかけてコリが集中して出てくる。
八雲から室蘭までの間というのが、
1車線道路で、どうしても緊張するというのも関係する。
あんまりゆっくり走らせてくれないのですね、後続車への遠慮で。
休憩は、何回か取っていたのですが、短時間では疲れは取れにくい。
室蘭を抜けてからは2車線になるので、
気分的にはずいぶんラクになるのですが、
今度は「蓄積疲労感」が襲ってくる。
なんとかだましだまし運転して、最終休憩を苫小牧西の手前の
樽前山パーキングで取った後は、
ふだんから千歳空港までで、よく利用している区間になる。
そうすると不思議に心理的に回復してきて、
苫小牧東からは、まったく順調に走行しておりました。
やはり年齢的なこともあって、注意力への疲労集積が目立つようです。
確かに肉体的な疲労蓄積も半分はあると思うのですが、
それ以上に、精神的な緊張感が大きいようです。

これからは、日程をよく考えて長距離走行は
明るいウチにとしたいと思いました。
ふ~~やれやれであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贖罪意識から心情論に至る病

2015年09月14日 05時25分00秒 | 状況・政治への発言
知人の考古学研究者に瀬川拓郎さんという方がいます。
わたしの高校の後輩になるのだそうですが、
実に素晴らしい学問的な業績を上げ、また、著作も多くの人に読まれている。
その研究事跡について、わたしはたいへんリスペクトしています。
かれは、旭川博物館の「主幹」として勤務されていますが、
いまやアイヌ研究の第1人者といっても過言ではないと思います。
かれの「アイヌ学入門」という著作の前書きでは、こんな記述がある。

アイヌを単純に「自然と共生する民」と評価してしまうと、
交易民として生きてきたかれらの複雑な歴史の意味を
見失うことになりかねません。そもそも「自然と共生する民」は、
閉じた世界に安住してきた未開で野蛮なアイヌという
負のイメージを肯定的に評価するために、それをただたんに
裏側からみたものにすぎないのではないでしょうか。(以上、引用)

なにか、これまでモヤモヤしていたものがクリアになる一節でした。
先日も、敬服しているある学者の方と話していて、どうも
「アイヌ=自然と共生する民」という素朴な刷り込みに囚われていた。
そこで、瀬川さんの著作を1冊、プレゼントしたところ、
その実証性に満ちた論旨をすぐにご理解いただいたようでした。
近作「アイヌの歴史」では、

「エコロジカルなアイヌ像ではなく、宝を求めて異文化と交流しながら
激動の世界をしたたかに生き抜いてきたアイヌの歴史を提示したい。
このことは、アイヌの歴史に自然との共生を学ぼうとする態度を
否定するものではない。しかし、多くの場合のそれは裏付けを欠き、
「自然」破壊を進めてきた「文明」の贖罪意識や、アイヌを「自然」の一部と
みなすことで侵略を正当化してきた「文明」の贖罪意識といったものが
一体になった、心情論でしかないようにみえる。」
と、書いている。

さらに、夭折したアイヌ人女性・知里幸恵さんの書かれた
「アイヌ神謡集」の序文に触れて、
~その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、
なんという幸福な人だちであったでしょう。(以上、抜粋)~
こうした美しい文体から紡ぎ出される文学世界観が多くのひとに
前記のような贖罪意識から、無意識の前提として刷り込まれていった。
瀬川拓郎さんは、これに対して実証的態度で
「もちろん、
このような一切の苦悩から解放された楽園が実在したわけではない」
とハッキリと書かれている。
いま、多くの学者のみなさんと交流する機会があるのですが、
こういった非実証的な刷り込みに囚われている傾向は、
あらゆる領域の学問のみなさんに共通してあると思います。
どうも「いい人」でありたいがために、実証性を顧みない傾向が
むしろ学者さんの世界に広く存在するのかも知れない。
その弊害が、さまざまに現れてきていると思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋城本丸御殿の復元工事

2015年09月13日 07時18分12秒 | 歴史探訪


名古屋での新住協総会のセミナーなどの日程を終えて
その後は、現場見学などの日程が組まれていたのですが、
飛行機の時間もあって、そちらには参加せず帰る予定だったのですが、
少し、時間があったので、参加していた西方設計・西方さんからの情報で
名古屋城本丸御殿の復元の様子が公開されているよ、
というささやきに誘われて、見学してまいりました。
しかし、行った日には工事が休みと言うことで、
残念ながら、大工工事の様子などは見学できませんでした。
でも復元途中ではあっても、公開されている部分もあって
たいへん興味深く見学できました。

名古屋城というのは、
江戸時代の初めに、徳川家支配の象徴的な意味も持たせた
大公共事業として営まれたものであることが、歴然としています。
御三家として、徳川家の威光を示すということが目標の工事だったのでしょう。
これでもかという「無節」のきれいな木材がふんだんに使われています。
庭に面した開口部から入ってくる光が、バウンドしながら
室内の金襖に残影する様子は、陶然とするような光景。
しかし、こんなに節のない材料ばかり使っては
あまりにもムダが多すぎるのではないかと、そんな心配が頭をよぎります。



「木取り」の模型も上の写真のように展示されていましたが、
これを「無節」とするためには、歩留まりが当然悪くなる。
まぁしかし、そうは言っても、復元工事なので、本来あった状態に
復元していくことを考えれば、やむを得ない非エコロジーぶりなのか。
以下、名古屋市の復元計画の概要。

(1)復元方針
本丸御殿の歴史的意義を踏まえ、焼失前と同等の文化的価値を有するとともに広く
市民が活用でき、世界的な市民の財産となるように、
工期を3期10年で総事業費約150億円をかけて本丸御殿を復元するものとします。
(2)復元手法
焼失前の本丸御殿と同等の歴史的文化的価値を有する建物を再現するよう、
原則として旧来の材料・工法による、旧状再現を図るものとします。
なお、現代の技術や生産事情、活用方法や維持管理も考慮して取り組むこととします。
(3)復元時代設定
将軍の上洛に伴う上洛殿が増築されることにより本丸御殿の格式が
最も高まった寛永期(1624-1644)とします。
(4)建築概要
構造・階数 木造平屋建(書院造)
延べ面積 約3,100平方メートル
建築面積 約3,600平方メートル



ということで、本格的な完成は平成29年度で、30年に完成公開されるとのこと。
国家としての、正直な歴史をあきらかにする為には、
意義のある工事だとも思います。
しかし、こういう「威光を示す」という部分が、
見栄が優先されるような名古屋の地域風土になったのかなぁと
駅前の高級ショップ群と重ね合っても見えてきた次第であります(笑)。
おっと、貧乏人のやっかみになってしまいました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済・軍事の要衝、尾張犬山城

2015年09月12日 06時26分01秒 | 歴史探訪


出張に出ると、やはり疲れがたまります。
1日寝ただけではやはり完全回復はせず、2晩寝てようやく復活感。
新住協の総会と言うことで、関係の深いたくさんのひとと、いっぺんに会える。
こういった会合のすばらしいメリットですが、
一方で、どうしても疲れは溜まり込まざるを得ない。
本日は土曜日なので、仕事関係は小休止で、
見学した古建築から、国宝・犬山城であります。

国宝だということなのですが、
本当は、織田有楽が作った茶室「如庵」のほうを見学したかったのですが、
なかに入れるのは月に1度くらいだそうで、今月は日程が合わなかった。
その日は茶を喫したりして、中に入られるのだそうであります。
もちろん、茶の作法なども身につけておりませんので
その点でもやや気後れ感はいなめないのですが、
まぁ、やむを得ない、ということで、代わりにこちらの国宝を見学。
国宝に指定されたのは、天守という城郭形式の端緒に近い建築という
意味合いが強いのだろうと思われます。
歴史的には、秀吉と家康が戦った小牧長久手の戦いで
秀吉が、小牧山に陣を敷いた家康に対抗して入った城であり、
1枚目の写真で小牧山が正面に対峙していました。
しばし、秀吉側の視点も得られた感を持てた次第であります。
なんですが、やはり城を実際に体験すると、
これは明らかに経済的な要衝の位置に建築されていることが実感できる。
日本有数の穀倉地帯である濃尾平野から、より日本全域への
広域交易可能な伊勢湾に向かっての要衝に立地している。
すぐ下を流れる木曽川の大河は、尾張の大動脈と言って過言ではない。
日々、物資の流通がこの大河を使って集積分散されたことは明白。
その上、東西の陸路・東海道のポイントにもなっている。



いわゆる城下町が開かれていて
その街並みが観光スポットにもなっていますが、
この地の経済的な重要性が端的に理解出来ます。
あんまり調べてはいないのですが、
織田氏という存在は、信長の時代になって「兵農分離」が可能になった。
それまでの軍団編成が農民をかり集めた軍団だったのに対して
専門化した軍団を編成していたとされるのですが、
そのことは、経済力が背景として豊かでなければ不可能。
楽市楽座というかたちで、それまでの商業結社・座の権益を
武力で奪い取って「城下町」に権益を集中させることで、
それが可能になった。
そういった背景的な事実が、この城からは伝わってくる気がしました。
信長を輩出した「織田氏」というものが、
中世を通じて培ってきた経済力の実質が見える形になっている
そんな強い印象を抱いた次第です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする