三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【ヒートポンプの原理 百聞は一見にしかず】

2017年12月11日 06時46分17秒 | Weblog


写真は12月5日のアース21見学会でのあるモデル住宅でのひとこま。
なにげにペットボトルと、それに連結した自転車タイヤ「空気入れポンプ」です。
「これ、何に使うんですか?」という声多数。
「え、ヒートポンプの原理説明ですよ」
「ほ〜、そういうの、考えたんだ」というやり取り。
そういえば、ヒートポンプって具体的な映像イメージでは感覚しにくい。
空気中の熱を「集める」というイメージで話しますが、
室外機の中で、どのような物理法則が展開しているのか、
明瞭に把握はできにくいイメージを持っていた。

それが、であります。
空気入れポンプを一生懸命使うと
ペットボトル内の「気圧」がどんどん高まっていく。
それと同時にペットボトルが徐々に熱を持ってくるのですね。
さわっていると一生懸命ポンプを作動させると
それにともなって、手に温度が伝わってくる。
大汗かいて頑張っているのが、そのまま熱になってくるので面白い。
気圧というのは、通常の高気圧、低気圧で若干は差異があるけれど、
おおむねは1気圧程度になっている。
それをこの空気をポンプで圧縮することで気圧を人為的に高める。
そうすると、内部での気圧が2,3,4と高まっていく。
「ヒートポンプ機器」は、この原理で熱を獲得したり、
引き下げたりするのですね。
で、この人為動作の代わりが電気エネルギーであり、
その投入エネルギーを1として考えると、それに対して3倍とか8倍とかと
「高効率」に熱を得られるということなのですね。

っていうことで、大の大人たち十数人が入れ替わり立ち替わり
この空気ポンプに群がって、キャッキャ大騒ぎして遊んでおりました(笑)。
人間の場合、そのあとビールを飲んだりしてムダなお金がかかりますが、
ヒートポンプ機器はそういうムダはありません。
少ないエネルギーでより多くのエネルギー利用が可能になる。
人類の知恵の最前線、なかなか楽しいものですね。
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【制約ではなく構造も断熱もデザイン「革新」要素】

2017年12月10日 06時33分22秒 | Weblog


先日の日本建築学会北海道の「建築作品発表会」での発表作品。
「神社山の隠れ鳥居の家」というネームがつけられていた。
敷地は、北海道神宮所有の「神社山」裾野に建てられていて、
その山からの「土砂災害危険性」に対応することが求められている。
一般的には「擁壁を建てる」か、
「道路面以外の1階部分を窓のないRC造に」しなければならない。
設計者・日野桂子さんは、構造設計者・山脇克彦氏と協働して
「土砂を受け止めるのではなく、建物の下を流す」設計で対応した。
RCの4本の柱と梁で支えられて、独特のデザインが可能になっている。

構造設計の山脇さんは、東京での大手建設会社勤務を経て
近年札幌に移住されて、その技術を活かして、
北海道の意匠設計者と協働することが増えている方。
今回の発表会では、すでに発表した2件、
「掘っ立て柱の家」や「le pont」などの作品で協働しています。
地域の建築が活性化していくためには、さまざまな知見と技術が
豊かに力を合わせさらに熟成されていかなければならない。
そういった意味では、既存の「断熱気密」技術蓄積に加えて、
このような「構造設計技術」が強化されていくことは、たいへん喜ばしい。
とくに多くの自然が残された北海道の住宅地域環境を考えたら、
その景観を危険要素とみるか、
そうではなく親和的な対応で、よりパッシブに受け流していくかの違いで
残されていく建築のデザインが大きく変わっていくと思われる。
ユーザー側からすれば、このような建築の進化はまことに喜ばしい。
よりいごこちよく、またより「強い」建築が可能になってくる。
わたしたちの住まいへの発想が、より自由に広がる可能性が高い。
この住宅建築では、下の写真のような構造架構が現出し、
そのことがまた、建築デザインに対しても大きなインスピレーションを与えた。
神社山に対して架構が鳥居のように建てられたことが、
この建築の彩りにとって、決定的な印象を与えていると思う。

構造と断熱気密とは意匠設計にとって「制約条件」になるものではなく、
むしろ大きく革新していく要素なのではないか。
期せずして断熱気密に対しての温暖地の設計者、
堀部安嗣さんや竹内昌義さんの意見でも、このような志向性が感じられた。
いわく「家中に寒い場所がなくなる設計的な自由の獲得」という視点。
寒冷地北海道の設計者たちは、断熱気密という技術を
当然の前提条件としてフル活用した上で、さらにこのような構造技術も
最先端的に受容を始めているように感じられる。
この地での住宅建築が、より豊かになっていくことを希望します。
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【MacBookPro15 電源トラブル「仮死」から復活】

2017年12月09日 06時28分50秒 | Weblog
きのう仙台から帰還。今回出張ではACアダプタを忘れてしまったことから、
仙台オフィスに置いてあった代替MacのACアダプタを使用していた。
その後、ほどなく「プシュン」という悲しい音とともに起動しなくなった。
通常業務が差し支えることから、その代替機に環境を移行し
無事にできて、いまもその環境で各種作業を行っているところ。
昨日は札幌に帰還後、Appleを通じてメンテナンス相談を予約していた
BICカメラ札幌店に直行して相談してきました。
札幌ではApplestoreはなくなってしまっている・・・。
相談の際、まる1日以上起動させなかったMacBookPro15を起動させようとしたら
その段階では、全然反応がなくなっていた。
どうやら、完全におシャカかという感じであります。
スタッフの方が「ちょっとこっちで診てみます」と引き取り十数分後戻ってきて
「ACアダプタで充電させながらチェックしたら、ハード的反応はしている」
「であるのに起動しないのは、システムソフトの損傷か、
あるいはロジックボードに問題がある可能性。」
というご意見。なんですが、システムディスクは他のマシンに移設して
まったく問題なく動作している。
したがって、ロジックボードの問題か、という方向になった。
「その場合、このマシンのサポートはすでにAppleでは終了している、
部品供給も行われていないので、当方では取り寄せもできません」
「ということは、直すことはもうムリということですか?」
「そうなりますね」という悲しい展開に。
ということなのですが、ふと気付いたのが先方がACアダプタで充電させたところ、
もともと充電ゼロでその後、充電が復帰してきているということ。
「充電はできてきているんですか?」「ハイ」ということ。
じゃぁと、試しに起動させてみたら、なんと起動するではありませんか!
内蔵バッテリーが十分充電してあるはずなのになぜか充電ゼロだった。
そこで思い出したのが、くだんのACアダプタケーブルが破損状態だった点。
接続させたインジケータも、不規則に点滅を繰り返していた。
「不安定な電源供給の場合、内蔵バッテリーやロジックが損傷を受けることは?」
「ありえますね」ということ。
わたしの直感でやはり電源関係トラブルだと思っていた通りだった。
で、気付きへのお礼を言って、バッテリー起動状態のまま、
自宅に戻って正常なACアダプタから充電させたら、どんどん復活。
破断したACアダプタからの不安定な電源供給が
一種の「仮死」状態をMacにもたらせてしまったというのが症状だった。
それが「仮死」であることがようやく解明されたのです。
わたしも、Mac利用して20年以上ですが、こういったトラブルは初めて。
なんにせよ、問題の根源は破断したACアダプタケーブル。
チェックして見たら、破断可能性の濃厚な部分にセロテープ補修の跡(泣)。
そういう危険への意識がわたしにも不足していた。
中小零細企業では、こうしたマシン管理はなかなか目が届きにくい。
モノはもっと愛情を持って使うべきだなぁと深く思い知らされた。
Macだけでも全部で40台近くあり部品も含めたすべての管理はムリもある。
思わぬトラブルはそのような原因で起こる。
いろいろ反省させられた顛末でした。
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【歴史的絵画世界に浸って過ごすMac画面】

2017年12月08日 05時43分17秒 | Weblog
みなさん、パソコンの画面ってどうしていますか?
わたしは琳派や日本の屏風絵などが大好きになって来ていて
レギュラーで使っているMacでは尾形光琳の「風神雷神図」を使っています。
で、最近メンテナンスしたMacでは、写真のような画像を使いました。
これは、洛中洛外図屏風・舟木本の一場面で、京都の三条大橋とおぼしき
場面を拡大した図案を画像操作して使ってみたものです。
使用背景画像としてはもう少し暗めに設定していますが・・・。
パソコンやインターネットの普及で、
こういった国宝画像も、私的使用については比較的に自由になって
ちょっと前までの「美術と人間の関わり」が加速度的に大転換している。
パソコンの画面って言うのは、わたしの例で言えばほぼ1日の半分くらいは
接している「画像環境」ですが、そこにこうした画像が個人利用可能になっている。

この洛中洛外図屏風っていうのは、
今日の感覚で言えば、たぶん総合芸術としての映画制作にも似たような
そういったものとして日本社会で創られてきたものだと思います。
織田信長が上杉謙信を籠絡するのに、洛中洛外図屏風を贈った故事がある。
鄙の武将に対して、都の華やかさを生々しい総合映像として伝え籠絡する
その至当な手段として、こうした芸術制作はなされたことがわかる。
この舟木本、作者は岩佐又兵衛(1578-1650年)筆ということなのですが、
かれは信長に反旗を翻して惨殺された荒木村重の子で
2歳の時にこの事件に遭遇したけれど辛うじて殺されずに済み、
母方の岩佐姓を名乗り信長の息子・織田信雄に近習小姓役として仕えた。
その信雄が改易後、浪人し京都で絵師として活動を始めた。
絵師としては数多の国宝を描いた成功者であり、晩年は江戸で過ごして
江戸・浮世絵の「先駆者」という評価も得ている。
人物描写、その体動作の誇張表現の巧みさが特徴とされる。
舟木本のこの大橋の箇所では、春のサクラ見物花見の帰りの
酔客の一団が橋の上で踊り狂っている様が生き生きと描かれ、
同時にそれと遭遇した武家の馬上姿が左側に描かれていて
まことにこれからなにごとかが始まるような劇的画面構成になっている。
かれ、岩佐又兵衛の生きた時代を想起すれば、
戦国からの京都の復興景気が華やかであり、
江戸期という平和がもたらされた時代の空気感がどんなものであるか、
この狂乱乱舞の酔客たちの姿にそんな思いを感じさせられる。
日本の歴史と美術が交差して、時代感がまざまざとみえてくる。

こんな時空を超えた作品が、
自分のパソコン画面で日常的に楽しめる時代が実現している。
わたしたちは過去のどんな王侯貴族も楽しめなかったような現実を生きている。
まことに楽しく、興味深い世であることを日々実感させられる思いです。
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【MacBookPro電源関係に緊急事態発生(泣)】

2017年12月07日 08時35分36秒 | Weblog
昨日札幌から仙台へ移動しています。
通常のビジネスで本日は仙台にて取材などの予定もあります。
で、昨日はいろいろな会合などを片づけてホテルで就寝。
で、本日早朝5時前に愛機MacBookPro15を立ち上げ、作業していたら
突然、「プシュン」という不気味な音とともに電源が「落ちた」。
それ以降、数回繰り返しても起動途中で「プシュン」であります。
iPhoneで検索して、SMCリセットなども試みるもまったく復帰せず。
う〜〜むであります。

前日の移動に際してはいろいろな案件が重なっていて
ヒヤヒヤ滑り込みでの飛行機搭乗などもありまして、
仙台についてすぐ、飛行場でネット接続しようとしたら、「電源」アダプタを
忘れていたことに気付いていた。
出張は3日間なので、これは致命的。
というような「前触れ」事象は起こっていた(!)。
ただ、仙台駅前にはヨドバシなどのショップもあるしサブで購入可能なのと、
仙台オフィスにはちょうど使っていないMacBookpro13もある。
どうも「電源」関係の神さまに嫌われる運勢的期間に突入したのかも(笑)・・・。
でも笑い事ではない。通常業務に差し支えるので
作業環境再構築に向けて行動開始。
さっそく5:30過ぎにホテルから歩いて15分ほどのオフィスに行って
くだんの代替機MacBookpro13を持参してホテルに帰り、
復旧作業に向かいました。
代替機は問題なく動作はしたのですが、
しかし、そのマシンの中でのわたしの環境構築は気の遠くなるような作業。
とりあえず、このブログ更新がわたしの朝1番の通常的ToDoなのですが、
その作業環境復元をあれこれ想定し始めたら、
各所からの情報収集が欠かせないことにすぐに気付かされる。
で、思い立ったのが、愛機の内蔵SSDを取り外してMacBookpro13に移設する案。
これはいいのですが、出張中の身の上なので
精密ドライバーなどの必要工具がない。
一応、コンビニに行って探してみるかとフロントに下りて
なにげに「ドライバーありませんか?」と尋ねたら見せてくれたセットに
ちょうどよさげな大きさのドライバーがあるではありませんか!!!
おお、満面の笑みが即座に沸き上がってくる(笑)。
捨てる神あれば拾う神ありであります。
ということでさっそく両方のMacBookproを解体して、ディスクとメモリを移設。
無事にこうして作業できる環境の再構築が実現した次第であります。
ただし、プロセッサーは違うのでこころもちレスポンスは遅め。
また写真の類は愛機ではDVDを外して内蔵ディスクに換装しそっちに入れている。
そこまでは機種に互換性があるかどうか確認することはできず、
外科手術の方法も違いがあるようなので、いまのところ自重。
ということで、写真のデータアクセスはいまは不可能。
昼間、Appleに持ち込んで相談してみます。
他にも、なぜかメール受信で再度パスワードが要求されもする。
これはスタッフに管理を依存していてわたしは記憶していない。
う〜〜む、なかなかトラブルは手強いものがある・・・。

そういうことですので本日は、通常の住宅ネタ記事更新はできませんでした。
明日以降、たぶん環境は復元できると思いますので、
悪しからず、よろしくお願い申し上げます。
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【思わずプロたちでも寛いでしまう空間】

2017年12月06日 06時44分59秒 | Weblog



さて本日は北海道の工務店グループ・アース21の例会のご報告。
久しぶりに札幌市内の4箇所の住宅を見学して歩きました。
こういった相互研修の機会を大切にしているのが北海道の作り手たちの特徴。
地域の作り手として、場合によってはライバルとなる相手と
情報を公開しあい、現場で論議を交わすことで、
情報の質やレベルがどんどん向上していく。
ここ数回、埼玉の作り手でもあるハイシマ工業さんも参加されていますが、
さまざまな気付きに満ちた機会と感嘆されていました。

で、きのうの見学コースの中でも面白かったのが
このアシスト企画さんのモデルハウス事例。
この住宅が3軒目ということもあり、疲れが出てくるタイミングでもあったけれど、
室内に入った途端に、多くの参加工務店さんたちが、このリビングで
すっかり「まったり」としてしまっていた(笑)。ここちよく癒される・・・。
この空間は周囲から床レベルが30cm程度下げられていて
その床面には黒っぽい左官仕上げが採用されていた。
そこに吹き抜け空間が広がり、暖炉が据え付けられていた。
外は雪が続いていたけれど、窓は大きな4連窓でよく日射取得されていて
陽だまりっていうような明るい空間でもあった。
さらに、中央が空いたようにレイアウトされて窓辺の座りの良い場所と
長いすソファが対置されている。
その間の距離は約2.5m程度が確保されて間にはテーブルはない。
床面には高価そうなカーペットが敷かれている。
不思議なことにいつも空間を作り続けているプロのみなさんが、
ほぼ一様にこの空間のなかで、すっかりへたり込んで
長いすに、窓辺にと、腰掛けて動かなくなっていたのです。
かくいうわたしも、すっかりソファに座り込んで動かなかった(笑)。

一段落して、じゃぁ、どうしてこんなにまったりするのかに意見交換が向かった。
一般的にバリアフリー仕様ということで床面に段差をつけるべきでない、
という空間デザインが推奨されている。
しかし、この空間では約10畳ほどのスペースが一段下げられている。
そういう段差という意味では「人にやさしくない」。
けれど、空間の印象としてはまことに「人にやさしい」。
用途としてはこれもあんまり明確とはいえない。
寸法もなんとなく「ちょうどいい」けれど、さりとてなにかに使いやすいという
そういった「用の美学」はどうも感じられない。
作ったアシスト企画さんに聞いたら、この一段下がったリビングのアイデアは
営業さんからの提案があって実現したものだという。
またこのモデルハウスはさっそく売却が決定もしたのだという。
どうも、いまの建て主さんの「物言わぬ声」にピンポンでハマっているのでは。
そういえば、みんなが暖炉に火を入れようとしていたのですが、
火のある空間の記憶的なぬくもりにこういった空間が
いまの時代の空気感にぴったりなのであるかもしれない。
この建物はnearlyZEH仕様なのですが、
やや無機質なZEHという概念に、こういう彩りのある空間を対置すると、
一気にリアリティが出てくるものであるのかも知れませんね。
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【ニセコの環境にかける「桟橋」 建築発表会-4】

2017年12月05日 06時21分59秒 | Weblog



いま北海道でもアブラが乗り切った設計者・大杉崇さん。
当社スタッフも設計依頼し、その家を見学したりで身近に感じています。
いちばん特徴的なのは、敷地条件のていねいな読み取り。
当社スタッフの家でも微妙な高低差のある敷地条件に対して
さまざまな生活シーンでの「グラデーション」を仕掛けていた。
「朝起きたときに、水平線から出てくる朝日を切り取って見る窓」
というようなきわめて具体的な役割を開口に与えていた。
設計の基本目線に人間の暮らし、その建て主のくらしようが見える。
そういった暮らしの端部に即して丁寧に応答する家づくりが特徴かと。
そうであるためには、設計者としての主張と言うよりも
むしろよき背景であろうというような建築側としての意志を感じる。
かれは、設備的にはパッシブ換気+暖房システムを採用していますが、
家中の見える場所から「暖房装置」がなくなって、しかも温熱がコントロールされる。
見えないけれど快適であろうとする姿勢がそこに表れている。

今回の発表会での作品も、そうした姿勢が表れた住宅でした。
名前がフランス語で、le pontとしゃれていて、桟橋という意味なんだとか。
なぜ、桟橋なのかと不思議に思って聞いていたら、
プレゼンでは周辺環境の解題にたっぷりと時間を掛けていって、
ニセコの四季変化、とくに冬の大量積雪のような変化を
「潮の満ち引き」というように捉えていた。
そのなかで時間の経過を楽しみながら過ごす家として、
敷地と四季変化の「高低差」に対して素直に、
桟橋のように、自然の中に「配置する」イメージの住宅を建てたということ。
同時に卓越風に対して素直に「受け流す」計画になっている。
平面も左右に長く、敷地に対してちょうど桟橋のように「掛けられて」いる。
こういった設計意図に即して、構造設計には山脇克彦建築構造設計が協力。
1階は2階の主要空間への導入動線確保に徹している。
こういう細長い平面は否応なく自然との対話が意図される。
1日の時間経過の隅々まで、立地環境の「潮の満ち引き」が感受されそう。
建築作品としては、非常に「安定的」な作りようで
主張的な部分は控えめには感じたけれど、
その意図を読み取っていくと、深みと広がりが感じられる住宅だと思いました。
ただ、当然ながら気になったのは2階の床下が中空になっている点。
たぶんUa値とかには反映されにくい部分で、熱的にはマイナスに作用するのではと
もう少しそのあたり聞いてみたいと思っていました。

外観の屋根形状も背景の山並みに傾斜角度的に親和させている。
なので、非常に周辺環境に馴染んでいる。
いまわたし的にテーマになっている「環境建築」という概念には、
こういった「地球に似合う、風景に溶け込んでいく」という視線もあるのではないか、
そんな意味合いも感じていた次第です。
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【公共木造化率向上 北海道らしい建築の共通言語】

2017年12月04日 06時50分12秒 | Weblog
一昨日、きのうの拙ブログに対してたくさんの意見が寄せられました。
住宅建築に対しての「世論」が盛り上がるのはいいことだと思います。
日本建築学会北海道支部の「建築作品発表会」の様子を伝えているワケですが
当日は立ち見で参加される方もいたほどの盛会。
こうした会が初期どうして企画されたか、その経緯について話しておきたいという
関係の方からの申し出までいただき、さっそく今月末に「取材」日程も決まりました。
北海道での建築への関心の高さには、こういった活動も与っている。
やはり先人のみなさんが作ってきた「文化的風土」があるのだと感じています。
北海道は気候環境的に日本ではいちばん厳しい環境。
そのなかで暮らしているみんなの共通の願いとして「シェルターとしての環境」を
強く希求する共通語が存在していると感じます。
先日の東京での「取材」時には「蒸暑のアジア圏」とでもいうべき
「環境」論議の南方への拡大視線が感じられた。
たしかに断熱を必ずしも前提としない地域の「環境建築」という視線もあるでしょう。
しかしまず断熱という概念は汎世界的な概念であり、
どんな地域であっても、そのベース技術が建築を解決する基本部分がある。
北海道は寒冷地建築の技術を獲得するのに、日本からは学べなかった。
しかたなく北欧や北米にその知恵を求めてきた。
こういう「言うことを聞かない」ところが北海道にはあるのかもしれない。
北海道の主要な研究者たちはほとんど北欧・北米での研究経験を持っている。
最近はドイツパッシブハウスが日本に紹介されたことで
「最高水準」視する傾向が存在するけれど、やや違和感は否定できない。
やはり世界の「寒冷地帯」が生存への共通の願いとして断熱技術を研究開発した。
その成果が世界に大きな革新要素として波及しつつある。
鉄、ガラス、コンクリートに続く第4の建築革命が「断熱」であることは明らか。
その断熱が人間生活をいかに豊穣にできるのか、
違う表現で言えば、断熱が変える空間デザインの可能性こそがいまの焦点ではないか。
そういった認識が共通化される必要がまずはあると思います。
そこが軽視された論議では、どうしても論議が噛み合わない。

写真は発表されていた「公共建築」の事例。
釧路湿原内の「温根内ビジターセンター」です。
710㎡ほどの自然観察センターで木造・外断熱の建物だとされた。
最近の公共建築の「木造化率」は著しく高まっているのだという。
どんな公共建築であっても、北海道での論議にさらされれば、
いかに「あたたかい空間が担保されているか」が共通言語になる。
それが共感を加速する共通認識を生み出していく。
そういう環境にあるから、季節四季折々に公共建築を十全に楽しむことができる。
だから、多くの人間にとって建築が共通の話題になれる。
今の段階で言えば、そういった「世論」の先にこそ
豊かな人間環境としての建築の可能性が広がるのではないか。
そんな思いを抱きながら、公共建築の発表の数々を楽しく聞いておりました。
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【断熱が視覚的デザインになった家 建築発表会-2】

2017年12月03日 06時59分11秒 | Weblog




「わたし鎌田先生の授業では劣等生でした(笑)」と屈託のない
笑顔が印象的な設計者の青木弘司さん。
室蘭工大出身の設計者の発表が多かったように感じたのだけれど、
そのなかでも清々しいまでのチャレンジをしていたのが、この住宅作品。
いまの若い設計者は、頼まれやすい同年代の若い人はコスト的に厳しい環境にあって、
設計を依頼される場合でも、中古住宅のリノベが圧倒的に多いという。
本当は既存住宅に手を入れて改修するというのは、
ベテランのほうがふさわしいとも思えるけれど、それ以上に
年代的な「生活価値感」の共有という要因があって、
若い彼らはそういった制約条件の中で、いろいろなチャレンジを試みている。

この住宅の場合は、そんな同年代では珍しくまったくの更地に新築するケース。
伊達市なので、戸あたりの面積は100坪と大きめだったという。
しかし住宅としてはそんなに敷地がいるワケではないし、
残余のスペースを庭造りするという「リアリティを見いだせない」という。
ミニマリズム志向が強い若い人たちにとって、
そのように感じられるのだという気付きも得られたけれど、
この住宅の場合、施主さんと建築の側のこの共有感覚が出発点になっている。
庭造りを楽しむというような趣味はないし冬の間ムダに広い敷地に雪が積もったら
その処理に明け暮れるだけしか考えられない。
だとすれば、大きなボックス空間を確保して雪に対処する面積を小さくしたい。
・・・聞いていて、清々しいほどの割り切りぶりに微笑んでしまう。
必ずしも、自然が豊かで空地がたっぷりあるだけがシアワセではない、
自分たちの生活信条に寄り添ったコンパクトでミニマムな暮らしがしたい。
これからの人口減少時代の人間コロニーはどうあるべきなのか、
ある「異議申し立て」のようにも感じられた。
で、そうした動機に即して建築計画を考えていって、
敷地の大きさに見合った鉄骨造の建物を建て、
その内側に木造の建物を建てるという「入れ子」案を採用した。
この2つの機能を異にするボックスは「断熱層」を引き剥がしたようなイメージ。
中間に生ずる空間は言ってみれば「空気層」が巨大化した空間。
外皮側のボックスは風雨をしのぐ無断熱の建物で
内側の建物では断熱材がそのまま表側に表れている。
もちろん、気密層はその断熱材の内側で処理される。
結果、これまで見たこともないような空間が獲得された。
でも考えてみれば北海道の断熱技術のパイオニア・北大名誉教授・荒谷登先生が
授業で話されたとされる「地球は空気で外断熱されている」
というイメージに直接的な空間的答になっているようにも思う。

発表会では、この外皮側ボックスでの結露と、
逆に夏場の日射取得での高温状態への危惧が当然のように出ていた。
とくに自宅でガラスボックス的「外皮」を作り20年以上の経過を
過ごしているTAU設計・藤島さんからは経験に踏まえた意見も出ていた。
しかし断熱技術は意匠的意味合いが表出しにくい現実の中で、
果敢にまったく新しい空間創造にチャレンジする姿勢は、好感を持った。
このように現出した「空気層」空間について温熱環境コントロール技術を
獲得していったら、住宅デザインの可能性も大きく拡大するのではないか。
いわば議論が沸き起こる「問題住宅」という位置付けになったけれど、
さまざまな意味でその挑戦の面白さには深く衝撃を受けていた。
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【北海道建築作品発表会2017より-VOL1】

2017年12月02日 06時27分52秒 | Weblog




日本建築学会北海道支部では、伝統行事として初冬のこの時期、
「北海道建築作品発表会」を開き続けてきている。
今回でなんと37回まで数えてきているということ。
こうした催事は、全国の日本建築学会各支部でも例がなく、
その活動の活発さが他地域への大きな刺激になって来ているという。
不勉強にして、そうであるということを初めて知った。
いつも開かれているので、当然このような発表会は全国で開かれているものと
頭から思い込んでしまっていた。逆にどうしてやらないの、と思う。
このことは詳しくは調べていないので、断定して書くことは避けたいけれど、
それは別にしても、北海道の建築・住宅がこういった相互批評の場を
積極的に確保し続けてきたのだということは、すごいことだと思う。
こういった機会を確保し続けてくることで、
地域としての建築の「共有体験化」が進展して、豊かな常識も育まれる。
常日頃感じていた他地域とのちがいの大きな要素だと思う。

わたし自身も最近は、本州地区での活動が多くなってきて、
この作品発表会はしばらくご無沙汰していた。
建築家の藤島喬さんからお誘いいただき、ちょうどスケジュールも合ったので、
久しぶりに丸1日、たっぷりと参加させていただいた。
そのあとには懇親会まで全参加させていただき、みなさんと交流できた。
たぶん、5−6年くらいは間が空いてしまった。わが身を恥じる思い。
地域の中でどんな思いを持って建築を作ってきているか、
メディアの人間として、そういった機会を失してきたことを自戒したい。
まずは、高年齢層から若い独立し立ての設計者まで、
実に幅広い世代からの参加者があって、まことに自由度がすばらしい。
ややもすれば、権威的・権力的な傾きもある「建築界」にあって
まことに清々しいような自由さが横溢していた。
建築と言うことの前では、そういったおかしな価値感はあり得ないと再認識。

で、何回かに分けて、発表された作品をご紹介したい。
きょうは、米花建築製作所設計の「掘立柱の家」です。
立地は北海道岩見沢市栗沢町の農家住宅。
開拓期に入植されてから5代目という当主の住宅ですが、
入植当時の「原生林」を想起し、掘立柱の林立が力強く居住空間を支える、
そんな住宅の計画を立てたのだという。
先人へのリスペクトをそのように表現したいと施主ともども考えた。
いくつか、当然のように懸念されるポイントは浮かんでくる。
1つは、掘立柱根元部分の耐久性問題。
わたし自身もこういったイメージの建物は事務所で構想したことがあったし、
その一部は古い木製電柱の林立で実現させたけれど、
根元部分の防水が難しくて、結局10年ほどで引き抜かなければならなくなった。
2つ目は建物下部に「中空」ができることでの熱損失問題。
こちらも自宅兼用事務所のときに構想したけれど、
設計者からは熱損失が大きくさらに風の影響でそれが倍加すると
説得されたことを思い起こしていた。
きのうの発表、さらにその後の接触ではこれらについて詳細までは
ヒアリングできなかったけれど、相応の対策は練られている様子は知れた。
断熱層の連続など、対応は折り目正しく設計されている。
どんなに建築的チャレンジをしようとも、住性能に真摯である姿勢は共鳴。




いろいろと全国的な対応もしてきている中で、
こういった北海道でのチャレンジの数々は、まことに勇気を与えられる。
多くの気付きと、発見を体感することができた稀有な機会でした。
発表してくれた多くのみなさんに感謝します。
また、明日以降にVOL2,3と掲載していきたいと思います。乞うご期待。
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