リコの文芸サロン

文化、芸術、手芸など人生を豊かにする情報発信ブログを始めました。より良いブログに育てるためにコメントなどお寄せください。

荒汐部屋の宿舎

2023-03-14 | 短歌
3月13日にあけび歌会の発祥の地へ天王寺駅からJR阪和線に乗り、鳳駅下車、大阪府堺市の大鳥大社へ4月の吟行の下見に行きました。
なんと、大鳥大社にあの若隆景の所属してる、荒汐部屋の宿舎がありました。

昨年の春場所で優勝した若隆景の宿舎です。


私は以前に3回お参りしましたが、「千種の杜」と言われるほどに鬱蒼と樹々が茂っていましたが、先の台風で大木が倒れたり、半分に折れたりし、拝殿前の鳥居も倒れてしまいました。

この鳥居は東京の方が夢に出て来たので再建の寄付をさせて欲しい申し出られて、再建が叶いました。


平成29年10月15日にあけび全国大会の吟行でお参りした時は、鬱蒼と樹々が茂って、薄暗い感じがしましたが、今は青空がそこここに覗き、境内が明るく成りました。


この特別御朱印は権禰宜の万力康司さんが描かれた絵の特別御朱印です。




相撲好きの私もこの御朱印をいただきました。


境内の建物の土俵を見せていただきました。
写真は撮れません。
直径は50cm以上は有ろうかと言う程に太い鉄砲柱が2本建っていました。
土俵の真ん中には御幣が建っていました。

毎朝、近隣の住民が200人くらい見学に来るそうです。
11時に今日の取り組みが済んだ若いお相撲さんは「勝ちました」と嬉しそうにニッコリと笑いました。

ネットの記事です。

平成30年から大社で働いてみえる万力権禰宜さんからは1万5千坪の大鳥大社の広大な境内を整備する熱意が強く伝わりました。

この大鳥大社にあけび歌会の前身の「関西根岸短歌会」の歌碑が昭和43年に建てられました。

明治43年1月9日に花田比露思は安江不空らと歌会を開き、正岡子規の流れを汲む、同士が集まり、「関西根岸短歌会」を発足させました。


昭和43年に建立。

4月の吟行の資料のために歌碑の裏を読んでいるお二人。

与謝野晶子の歌碑。
田辺聖子の筆による、
和泉なるわがうぶすなの大鳥の宮居の杉の青きひとむら


境内を案内してくださる万力さん。

根上りの大楠。
「ねがあがる」と金運の御神木です。
傘に小判が乗っています。







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何を大切にするか

2023-03-12 | 短歌
今、私は写真や資料を断捨離してます。
令和2年11月5日の現代短歌新聞に掲載されている河野裕子さんに付いての記事が目に止まりました。

ご主人の永田和宏さんと裕子さん。ネットより

川本千栄さんの
「二千首作りなさい」
∶要約
1998年のはじめ頃、河野裕子の講演に彼女は行かれた。

河野の歌に対する意気込みは凄かった。
「一晩で百首は作ります。依頼があれば其の10倍でも作ります。」

講演後、会場の入口で長いこと裕子さんを待って、自分の歌を見てもらった。
「あなたねえ、短歌がしたいなら、まず2千首位お作りなさいな。そうすれば少し調べが整って来ます。
その時、河野が2千と言ったか、3千、5千と言ったか記憶にない。そんな数、何年かかるのかと思ったことは覚えている。
「その2千首はどうするのですか?」
「捨てます。習作だから」

貴女も結社にお入りなさいませ。そこには短歌を作る仲間がいるのですよ。仲間が居ることはとても良いことなのです。年をとってもずっと歌で繋がっているのですよ。

こうして川本さんは河野さんと同じ短歌結社「塔」に入られました。

もう一箇所、川本さんの記事で気になった所は、
仲間がいても家族がいても河野裕子は寂しい人なのだ。

私も裕子さんはあんなにご主人の永田和宏さん(歌人)に愛され、息子さん、娘さんにも大切に思われていたのに、裕子さんは寂しい人だと思いました。
それで、その寂しさを見てはいけないような気がして、私は裕子さんの講演会に行くことは無かったです。


私は短歌を始めて10年なので、せいぜい、1000首ぐらいしか詠んでません。
となると、まだ、習作だから全部捨てる詠草ですね。
でも、私は
「短歌の有る暮らし」で、楽しく詠草してます。

短歌仲間の「短歌のある暮し」のお仲間にも入れていただき、人々の喜怒哀楽を少しは解るようになりました。

裕子さんは「短歌の中の暮らし」で、山頂を目指す人(歌人)の暮らしですね。

それと、最近、気が付いたのですが、読んでいただく皆さんに感謝しなくてはと思っています。
そして、何を大切にして生きていくかは日々、心に問うことです。




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品の良さ

2023-03-09 | 短歌
見出しの写真は私の膝に眠るミー姫と20年前に15歳で亡くなったビーグル犬のエル君の写真です。
13歳位の写真ですからお顔が真っ白です。


私の短歌「今年の漢字」
今年の漢字     涼風

①友人の今年の漢字を集めたり人さまざまに同じものなし

②前向きの「喜悦、継続、志」友三人の漢字の届く

③入院の四十日は「闘病」と病室で夫の戦ひの日々

④持ち越せる三十年の懸案の二つ解決「安堵」となれり

⑤最新のユニットバスの暖房に床のひやりは昔話に

⑥禅寺の黒衣の僧は薄ごろも参拝客はコートを着たり

⑦信長の母のみ墓なり三重県の四天王寺に五百年を古る


⑧奥まれる丘に佇む五輪塔は土田御前や信長の母



★gooブログの「水曜サロン」に時々、投稿してしてますが、このサロンは上品で文学の香り高い詠草が多いです。
リコは良く言えばお転婆な詠草です。それでサロンへの投稿を控えていたのですが、先日、久しぶりに、

断捨離に写真整理す
四十年の
顔の履歴に(顔の履歴を)
仰天したり(改めて知る)

サロンの主催者のポエットMさんが「顔の履歴」に素晴らしい解説を書かれました.

(抜粋)



括弧書きのように添削をしてくださいました。

ああやっぱり、私の短歌はガサツなんだと思い知りました。

それでもめげず、今朝の詠草は

出血の
さはに驚く
三日目に
見れば小さき
指の切り傷


矢印を付けないと分からない程の傷です。
巾は5mm位、こんなに小さな傷なのに沢山の出血に驚きました。
切り傷を抑えるティシュペーパーかたちまち血に染まる、バンドエイドも3回替えてやっと、血がとまった。

心の傷も驚きが先に来て、大変だと心が思うのですね。


今は当たると痛いし、傷がさけると嫌なので指サックを輪ゴムで止めています。


3月9日は丸1日、月間•短歌誌の原稿作りです。


自歌自注の原稿をパソコンに入力して、3名の文のバランスを取ります。
歌を詠んだ背景が分かりますから、とても楽しいですよ。

20日までに東京の編集部にメール送付しますが、まだ1名原稿が届いて居ません。





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歌友を偲ぶ③

2023-02-18 | 短歌
②から続く
女孫抱き相好崩す君の顔叶わぬ夢よ嗚呼百箇日  高井 秀和



歌を詠み病のうさを脇に置く君の境地に思いは巡る  高村 俊彦



君通う馴染みの店につと寄りて歌ってみたし「青春時代」 中曽根 千春



君を呼ぶ声あまたあり聞こゆるか歌に託せる友の多かり  枡見 円


    
酒を酌み短歌を語る優しさが瞼の奥に刻み込みたり  吉森 康代





柘植さんが亡くなられてから、この茶色の歌集『短歌による自分史』の発行に至った経緯を小笠原嗣朗代表が書いてみえます。

  製本にあたって
 この歌集が製本されてこの世に残されるようになたことを、嬉しく思っています。この歌集は、柘植恵介さんが製本できる形で月々に作成してパソコンの中に保存されていたものをご本人がお亡くなりになった後、ふみ子夫人からお届けいただいたものです。
歌集のサイズ、記事の内容、詠草の字体もご本人の原稿そのままにしてあります。
 この歌集に詠者がつけられている題名のとおり、また「あとがき」に加え書かれている「十五年を振り返って」にあるとおり、ここに収められた歌歌は詠者の心からのほとばしり出た生き様であり、それを集大成したまことの自分史となっています。
詠草が入賞し、あるいは講評や批評に取り上げられたことを喜んで、それを付記されているが、詠者の喜びの気持ちをのまま表したものであり、そのまま印刷しました。
 その最後の一節に、「最後まで命の続く限り思いのままを佳き歌を残し続けていきたい」と書かれて、発行日付を令和三年三月とされています。この時に製本しょうと思い準備をしておられたが、無情にも運命は待ってくれず、1月16日にこの世を去られてしまいました。詠者の思いを込めてこの日付はそのままにしてあります。   

製本に当たって、中曽根千春さんに詠者の電子原稿を印刷用に体裁を整えて頂きましたこと、お礼申し上げます。

令和四年六月            小笠原嗣朗


柘植さんが準備されていた「あとがき」の抜粋をご紹介します。
あとがき


(後略)


もえぎ歌会の皆様の10首選から私も選んでみました。

〇初月給母に贈りし絹ショール箱入りのまま妻に継がるる

〇わが部屋に、おのが布団に、大の字に、至福かみ締む退院の夜

〇ながながの病の床の真夜さへも短歌(うた)は添ひ寝に癒しくれたり

〇ながながと患ひし身に付き添ひて励ましくれし短歌(うた)の深淵

〇飛び跳ねるほどに嬉しき師のお誉め「次も!」を夢み励みたる日々

〇ひれ伏して吹雪に堪える笹の葉のぴんと直ぐ立つ風の途切れて

〇授かりし胃も肺もはや半ば失せ令和とともに八十路に入りぬ

〇三分の二を切除せし胃の哀れ妻と分け合う蕎麦の大盛り

〇こしかたを息らに遺さん拙くも三十一文字の自分史として

〇ひたすらに耳を傾け逃すまじ師のみ教えのひとつひとつを


もえぎ歌会の皆さんの選歌集。

柘植さんは大津留温主幹に心酔してみえたのですね。
これほどに短歌に晩年を懸けた人を他に知りません。
柘植さんの人生は知れば知るほど胸が熱くなります。


柘植さんが敬愛していた、大津留温主幹



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歌友を偲ぶ②

2023-02-16 | 短歌
あけび歌会の分科会のもえぎ歌会の柘植恵介さんは令和3年1月16日に81歳で亡くなられました。

柘植さんご自身で歌集『短歌による自分史』を令和3年3月に出すべく「あとがき」まで準備してありました。
残念なことに1月16日に亡くなられました。


彼を偲んで歌仲間の皆さんが『柘植恵介さんを偲ぶ歌集』を作られました。

もえぎ歌会の皆さん。

①に続き②をご紹介します。
原稿は15名分あり、タイプすると時間がかかりますので、スマホで写真を撮りパソコンに送り編集してアップしました。

文字を大きくしたい場合は画面をタップして、拡大できる画面にします。
記事に戻るをタップすると元の記事に戻ります。
























③に続く






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