私が編集を担当している、月刊短歌誌のあけび誌の8月号にとても良い、自歌自註の随想がありますので、紹介します。
おさな日の思い出
M.Kさん
おさな日のわが家の居間にいつの日も母の姿(かげ)なし見た記憶なし
小学校低学年時の我が家の情景である。自分の境遇がまともなのか、そうでは無いのかが分かっていない頃である。此の頃、父は既に三十六歳で他界しており私が二歳半の時である。少年時代が苦しかった、惨めだったと言う思いは無いのだが、私の幼い頃の思いはと言うと、共に生きていたはずの母までもが我が家に居なかった寂しい事実なのです。看護科を卒業した母は大阪の病院勤務を経て結婚を機に長崎へ。原爆や終戦の復興の中、再び看護師として昼夜を働いたのです。更に妹は父の死の四カ月後に生まれ、父親に抱かれる事無く生きてきたのです。「吾と妹(いも)黒き表紙のアルバムの黄ばんだ父を父だと思う」も父母と私達姉弟の戦争と原爆への遺恨でもある。
一首にこれだけ人生の深い内容が含まれていることは,「自歌自注」で取り上げないと判らないことでした。
★7月25日の午前1時、主人の脇のベットに寝ていたミー姫が突然、飛び起きて、畳の上でバタバタしてる。
昼間、主人が捕らえ損なった。ゴキブリを、捕まえているだろうと。主人は眠たかったので、朝まで放っといた。
朝起きて、畳の上を探しても、何もない。
玄関におりたら、
ミー姫の水の器の中に黒いものが浮いている。
良く見たら、ゴキブリでした。
ゴキブリのイメージ図
玄関に置いてある、ミー姫の食事と水。この水にゴキブリが浮いていた。
猫は夜目が聞くのですね。暗い中でゴキブリと対戦して、ミー姫がやっつけた。
ここまでだったら、まあ、普通の話、
ここからが、主人の面白いところ。
起きて来た私に上記のミー姫の格闘の話し。
「それで、リョンちゃん(私のことです)にそのゴキブリを見てもらおうと取ってある」と言う。
朝からゴキブリの、死骸なんて見たくないと、捨てて貰いました。
「何事も2人で」の主人の生き様です。
ミー姫が今まで食べていた餌が製造中止に成ったので、新旧の餌を混ぜて、切り替えの最中です。
新しい餌は今の倍の値段なので美味しいからか、良く食べます。
★26日は年に一回の大学病院の健診。予約は9:30ですが、血液検査、尿検査があるので、1時間前に行きます。
主人は近くのかかりつけ病院に内科、外科、泌尿器科とかかっています。歯科大の検診は3ヶ月毎に行っています。
だから、1日に朝晩で10錠の薬を飲んでいます。
私は持病がないので病院に行ってませんので薬は全く飲んでいません。
私は主人のお伴で毎月、5つの病院検診に付いていきます。
私は持病がないので自身では病院に罹ることはありませんが、
両親、姉、義父母、主人と病院のお供ばかりです。