<連載 被災原発の陰 女川2号機再稼働>前編
東日本大震災で被災した東北電力女川原発2号機(宮城県)が29日、再稼働した。世界最悪レベルの事故を起こした東京電力福島第1原発(福島県)のような事態には至らなかったが、大地震と大津波に襲われた記憶は刻まれている。再稼働の陰で、避難計画の不備や事故のリスクは消えない。現地を訪れ、課題に迫った。(片山夏子)
◆「ここからは逃げられねぇよ。道路がもたないから」
「原発で事故が起こっても、原発に向かって逃げるしかない。逃げるってどこさ逃げるんだ。事故が起きたらおしまいだ」
牡鹿半島の中央付近にある女川原発から東南東2キロほどの宮城県石巻市寄磯浜。漁師の渡辺義美さん(79)は2号機の再稼働を嘆いた。2011年3月の東日本大震災の津波で父親と妻を亡くした。渡辺さんの息子家族は車を乗り捨て高台に上がり、助かった。
地区の住民は約210人。寒流と暖流が流れ込む豊かな海では、ホヤやホタテの養殖が行われている。
漁師の遠藤敏夫さん(62)は大震災の時、近くの浜から寄磯に向かっていた。地震で目の前の道路が次々と壊れていった。「道の亀裂をまたいで走った。ここからは逃げられねぇよ。道路がもたないから」
寄磯は女川原発から5キロ圏内で、重大事故が起きれば、即時避難になる。
◆防護施設はあるが、住民全員は入れない
半島からの主な避難経路は3ルートある。
実際に車で走ると、海沿いなどで「津波浸水区間」の看板を何カ所も見た。大震災時は亀裂や陥没、土砂崩れであちこちが通れなくなり、内陸でも今年8月の台風5号で通行止めになった。事故と震災や台風などが重なれば、避難できないのではないかと感じた。
しかも、寄磯からの避難は山道の一本道でいったん原発に近づくしかない。大震災では行き場を失い、原発構内に避難した人もいたが、事故が起きれば立ち入ることはできない。
寄磯には放射能汚染から身を守る防護施設はあるが、住民全員は入れない。漁師の渡辺幸敏さん(84)は「1年の3分の2が原発の方から吹く風。事故があれば、被ばくは避けられない。孫やひ孫を考えると動かしてほしくない」。漁師の遠藤慶次さん(80)も「避難は無理だ。みんなあきらめている」と話した。
◆避難の一翼担う交通各社も「難しいのではないか」
避難計画は、陸路寸断時は空路や海路を想定。だが、津波や悪天候時はヘリコプターや船も使えない。立地自治体とバス、船舶業者との協定では、運転手らの被ばく線量が1ミリシーベルト以内に抑えられることが現場に行く条件。各社に聞くと「自治体の方針に応じる」との意見の一方、「考えていない」「難しいのではないか」などの反応もあった。
また、原発から5〜30キロ圏内では事故後、建物内にとどまって被ばくを抑える「屋内退避」をした後、放射線量に応じて避難に移るが、実現可能かは疑問だ。
原発から約20キロ地点の石巻市に住む日野正美さん(71)と避難ルートを車でたどった。一部で拡幅工事が進むが、基本的に片側1車線の道路が続く。電柱倒壊や道路崩壊、故障車が出れば通行止めになる恐れがある。途中には軽自動車が擦れ違うのも難しい場所も。避難となれば大渋滞が予想される。市職員が走行して決めたというが、日野さんは「機械的に割り振ったとしか思えない」と首をかしげた。
さらに、元日の能登半島地震では、屋内退避がそもそも難しいことが示された。住宅が倒壊し、避難所も人があふれ、車中泊を強いられた人も。使えなかった防護施設もあった。
日野さんはこう訴える。「避難計画は現実的じゃない。屋内退避も避難も、多かれ少なかれ住民は被ばくする。被ばくが前提で原発を動かすのは、住民の安全を無視している」
女川原発の避難計画 対象は30キロ圏内の宮城県石巻市、登米市、東松島市、女川町、涌谷町、美里町、南三陸町の7市町で、約18万9000人が生活している。30キロ圏外の県内自治体で避難者を受け入れることになっている。離島が4カ所あり、約400人が住み、原則として船で避難する。
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