たとえば、
誰かの何かについて素直に褒められなかったり、
認められなかったり、羨ましいな、と思う時、
「この感情は一体何処からくるのだろう?」と
自分の心に問いかける事をするよりも先に、
案外 瞬間的にしてしまいがちなのは、
自身の感情を抑え、
表面的には冷静さを保つ事の様な気がします。
器用さも兼ね備えている私達人間は本心を隠し
ポーカーフェイスでいる事も勿論可能でしょう。
でも有難い事に 心はとても正直だから
心が『痛いな』と感じた時は1人1人皆違う方法で
心のほうからちゃんと、その人自身が分かり易い
何らの方法で、絶えずサインを発っし続けて
くれている様にも思います。
とても苦しくて、ややもすれば
突然 大爆発してしまいそうな程の、
長年胸中に秘め、抱え続けざるを得なかった、
マグマにも似た燃えたぎる自身の複雑な想い。
でも私はなんとなく思うのです。
こういう様々な感情が混在しているのも
紛れもない人間そのものではないのかと。
そして また 思うのです。
こうした様々な感情を整理整頓し
いつの間にか心に溜まってしまった澱を
少しでも浄化させる為には、先ず 何より
かけがえのない自分自身の為に億劫がらずに
『自分が、自分自身の心の声に耳を傾け
自分自身と対話する事』を日々の暮らしの中で
ほんの僅かな時間でも行う事こそが、
自分の本当の想いを知る事に繋がるのでは
ないかしら、と。自分の感情を素直に
堂々と認める事が出来始めた時、そのテーマを
越えられるその時がきているのかもしれません。
凸凹のある、愛すべき人間の私達。
差こそあれ、実は みんな愛しい
ドングリの背くらべなのかもしれません。