イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

倉本聰さん、棟方志功さんのお話に感動して

2011年09月02日 00時14分56秒 | スピリチュアル

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先日、オーラの泉のDVDを整理していた際、 

脚本家 倉本聰さんがゲストの時の録画を

改めて見ていました。番組放送時に既に見ていたので、

記憶力が良い方の私は 一度見たり、聴いたものは

うっすらとでも覚えているのですが今回ばかりは、

まるで初めて聴くお話のように、実に新鮮に

倉本さんの豊かなご経験値に基づく数々のお話が

魂に響いて参りました。今このタイミングで思いがけず

倉本さんの録画を見る事が出来た事は私にとって

とても意味のあることと受け止めました。

ブログにお立ち寄り下さった皆様にも、

倉本さんの素敵なお話の一部を抜粋しご紹介します

番組内で倉本さんがお話になられた、日本を代表する

版画家の棟方志功さんの在りし日のお姿や肉声が

(版画を作成中の映像も) 流れました。

棟方さんが さりげなく話された慎ましやかなお話は、

スピリチュアリティーそのものであり深く感動致しました。

 倉本さんのお話より

「ちょっと、変な話を勝手にしていいですか?」

と、切り出した倉本さんは・・・・・

北海道に行く前の30代後半に東京で沢山書いていた。

自分の想像を超えた作品が

凄いスピードで書けちゃう時が時々あった。

一時間ものが1日で平気で書けちゃうし、

もう凄い集中しちゃうんです。

その代わりその後、吐いたり肩は凝るし、

その頃に知り合って もう40年通っている

スピリチュアルな先生に相談したら、

「それは当たり前だ、君が書いていないから。

神様(霊)に書かされているから」

あぁ、そうですか。でも身体はしんどくなっちゃうし

どうしたらいいですか? って聞いたら、

「お香を焚きなさい」といわれたので、僕はいつも

部屋を閉め切ってお香を焚きながら書いている。

ある時、すごくいいものが書けた時に、お香の煙が

身体に巻きついた感じがあった。いつもは真っ直ぐ

煙が登っていくのに。そのうちその先生が

「お前今度の作品で賞を取るよ」と云われた。

僕は今まで賞を取ったことはなかったが、本当に

賞を取った。いきなり8つ取っちゃった。

(1975年~1976年に『6羽のかもめ』『前略おふくろさま』で

8つの賞を授賞。)

その時に変な事を考えた。この賞は僕が取ったのか?

霊が取ったんじゃねぇだろ、俺が取ったんだろ、って

思っちゃった。それから4年ばかり全く書けなかった。

そういう不純さがあったんでしょう。それから4年間は

凄くもがいた。その頃、たまたま棟方志功さん

ドキュメントを見た。棟方さんの言葉が被った。

棟方さんが

「僕は自分の作品に責任なんて持てない。

だって、僕が造ってるんじゃないもん。

神様が造らせているんだから。」

と、言う云い方をされたのを聴いてハッと思った。

僕らだけじゃなく アーティストやクリエーターというのは、

霊とか神様に奏でられるいい楽器であればいい。

自分が乗りやすい 澄んだ清らかな魂に

自分を置いおけば良いものを作れるっていう。

だから僕の過去の作品、北の国あたりから、

殆ど僕が書いている気がしませんね。

と、倉本氏

~芸術家が作品を生みだす時 何かが降りてくるとか、

何かが乗り移っていると感じる時がある~

アナウンスのあとに生前の棟方さんのVTR(肉声)が

流れました。(※版画家 棟方志功1903年~1975年)

棟方さんのお話より

「谷崎潤一郎先生が僕の板画を

『森羅万象をえぐる様だ』と、歌にしていますけれど

私の板画はどっちかと言えば、

自分から造る、というのではなく、

板の中に入っているものを出してもらう、

造るというよりも生ましてもらう。

板の持っている生命力というか、

木の持っている生命力と合体して

自分の思いを発揮する

お二人のお話を聴いてSHOKOの思うこと

「私が私が」と妙な自信を持って主張を続ける事や、

ともすれば、自分1人の力でこの世のもの全てを

牽引しているような錯覚に陥ってしまう方とは

対極の所にいらっしゃる、本当の意味での

弱い、未熟な人間の立ち位置を知り尽くしている

思慮深い素敵なお二人だなぁ、と感動しました。

私も「神様に奏でられるいい楽器でありたい」そして

勘違いをせず作品を「生まして頂く」という謙虚さを

生涯忘れずに持ち続けて行きたいと思いました。

私が倉本さんのお話を聴いてふと、思ったことは

アーティストやクリエーターのみならず、

神様に奏でられる 清らかな楽器であることは、

様々な意味、様々な場面、様々な仕事に於いても、

通じるものなのではないかしら、と。

倉本さん、棟方さんのお話の中で、特に私が

素敵だなぁ、と感じた所は太字にしました。