今日 時々起こる、ある出来ごとがありました。
いつもの私ならそんな時、実はイライラしながらも(笑)
物分かりの良い大人として まずは、その状況を
スマートに受け入れるべく、何とか自分の心を
鎮める方向に持ってゆき、
「イライラしてしまうのは私が未熟だからなんだわ」
と無意識に無理やり自分の感情を抑えることに
懸命で、今、起きているその状況を
何とか受け入れようとしていた気がします。
けれど、秋風の心地良さを頬に受けた時、ふいに、
「あ、違うわ。私は状況の全てを受け入れる
親御さんとは違うのだもの、この状況を無理に
理解しようとしたり 受け入れる必要はないんだわ。
ただ、この状況を受けて今の私の気持ちをただ知り、
この状態を冷静に受け止めればそれでいいのだ」と。
今更ながら目からウロコでしたが今まで無意識に、
いい大人になろうとしていた自分を知り、
私はまた紙一枚分の進化向上を遂げました
人それぞれキャパシティーの大きさは
皆 異なるように思います。
バスタブ位の大きさの人もいれば、
200ccが入る位のコップを持つ人もいて千差万別。
200ccのコップの中には、どんなに知恵を働かせても
魔法(?)か何かを使わない限り
バスタブの水が全て入る事はない、ということを
知ることが、もしかしたら
本来の自分の質や、受容能力を知ることに
繋がるのかもしれません。
【受容】という言葉から、時々
【母性】について考えることがあります。
私の主観ではありますが、私が思う母性とは、
自分の本来の意志、考え、気持ちを
何処かへ置き去りにしたまま
ただ「うん、うん」と、相手の全てを受け入れようと
努力をすることでもなければ、
相手の全てを包みこもうとするものでもなくて、
むしろ そういったものとは対極のところに
ただ あるような気がしてなりません。
相手に嫌われたくなくて無意識に自分の保身の為に、
相手の顔色を伺い、相手に従い、
相手を受け入れてしまってはいないのか?
時々、相手に合わせる事を当然とされている方を
目の当たりにする時 【魂の部分ではご自分の意に
反する事だと知っておいでだから、いつか
自分の気持ちに気付けたらいいですね】と思います。
色んな場面に於いて「母性がありますね」と、
人からよく言われる方は いま一度
ご自身の本当の思いを 静かに確かめてみるのも
素敵なことかもしれませんね。
もし、あなたの事を 本当に認めてくれる方なら
貴方が相手に従わなくてもyesを言い続けなくても
そして、伸び伸びと貴方の思いを伝えても、
きっと 貴方から去ることなど ない筈ですから。
私達は 唯一無二と言われている
神という存在ではないからこそ
無条件に 相手の全てを受け入れる、という事は
本来無理があるような気がします。
これは 親子であっても、友達同士においても
恋人同士、夫婦間においても言える事なのかなと。
母性とは優しさであり、包容力であり、逞しさであり、
強さであり、育む力etc・・・・であるけれど、
相手の思うままに 相手の都合に合わせて
自分を器用に変化(へんげ)させることではないと、
今から数百年前の、歴史ドラマを見る時、
私はいみじみ思います。
戦国という乱世にありながらも、
女性達は、いつ戻るとも知れぬ夫の帰りを、
何処かで覚悟しながらも淡々と待ち、
しっかりと家を守り、子育てをし、夫を支えていた。
いい、悪いではなく、普段は楚々として
控え目でありながらも、いざという時には、
死ぬ気になって夫を守り抜く逞しさ、勇ましさ
潔さに 私は、ですが、そこに本当の意味での
女性の神々しさや母性を感じると共に
本来の【内助の功】を感じずにはいられません。
母性の根幹にあるものとは、か弱さ ではなく、
逞しさ、そんな気がしてならない、秋の一日でした。