数日前、
『奇跡体験!アンビリバボー』で
取り上げていた
~11才少年最後の望みブレンデンの
夢のリスト~ を見て、感動しました。
たった1人の子供の純真無垢な思いは
多くの人の心を動かしました。
そのお話を、
今日は ご紹介したいと思います。
数週間という 余命宣告をされた
白血病の11才の少年、
ブレンデン・フォスターに 母親は、
「今まであなたには 何もして
あげられなかったから どんな願いも
叶えてあげるから」と言いノートを渡します。
そのノートに書かれていたのは
裕福ではない 母親を気遣っての、
どれも子供らしい ささやかなものでした。
それは、家族と一緒に海に行くことや、
遊園地に行く事、ステーキを食べる事でした。
母親と兄弟と共に 1つ1つその夢を
叶えて行った少年の、『夢のリスト』の
最後に書かれていたものは、
「ホームレスの人に食べ物を届けてあげたい」
というものでした。抗がん剤治療の為
病院へ向う途中、ホームレスの暮らす
テント村が広がっていたのを
目の当たりにした彼は 車を止めて貰い、
母親に訊ねます。
「どうしてあの人達はテントに住んでいるの」
当時はアメリカを、リーマンショックによる
大恐慌が襲い、不況でホームレスの数が
激増していたのです。母親は「皆好きで
テントに住んでいる訳じゃないのよ。
中にはどうしようもなくてホームレスに
ならなければならなかった人もいるのよ」
の言葉に対し、彼はすかさず
「皆 どうして助けてあげないの?」と、
更に訊ねます。母親は
「皆、自分の事に精一杯で、他人の事を
構っている余裕がないのよ」と話します。
その時の光景を覚えていたのでしょう、
ブレンデン少年は最後の願いとして母親に
「きっと皆お腹をすかせていると思うんだ。
困っている人達、みんなに食事を配って
欲しいんだ。」と、伝えます。
これを聴いた母親は、
残り少ない命なのに 他人の事を
心配している息子に驚き、何とか
その夢を実現させてあげたいと思い、
知り合いのボランティアに相談しますが、
シアトルだけでもホームレスの数は数千人、
全員に食糧を配るのは不可能と
思われました。しかし 2人は
地元住民の団体や、ボランティア団体に
出向いては 協力を求めます。けれど、
お金もボランティアも殆ど集まりません。
そんな中ブレンデンは起き上がる事さえ
難しい程、悪化していきました。
もはやー刻の猶予もなかった彼の、
最後の願いを叶える為、ホームレスへの
食事配給が行われたものの集まったのは
母親の知り合い8人のみ、これは
テント村1つに配るのが限界でした。
しかし・・・・・
小さな天使の魔法は思わぬ形で全米に広がりました。
ある日、何とかブレンデンの想いを叶えてあげたいと
ボランティア団体の代表パトリシアがテレビ局に
必死の思いで取材依頼をします。白羽の矢がたった、
記者エリサ・ジャフィは当初乗り気ではなかったものの
病院へ出向き彼と話すうちに何とか彼の夢を
実現させてあげたいと思うようになります。そして、
2008年11月7日に彼女が取材したVTRはニュース番組の
特集として地元局で放送されました。
「 僕は、あと一週間くらいで死んじゃうんだ。
ホームレスの人達はお腹が空いているはずだから、
食事をあげたいんだ」しかし、彼に宣告された
命の期限は終わろうとしていました。
そんな矢先、再び取材に訪れたエリサは
11月10日のOAで驚くべき事を口にします。
「我々の番組はあなたの名誉にかけて大規模な
フードドライブ(食事配給)を開くわ。約束する」 と。
ブレンデン少年1人の為に、地元局が主催して
食糧を配る事になったのです。前例のない試みが
行われることになった背景には熱心にエリサが
上司に訴えかけていたということがありました。
そして11月20日、フード ドライブ初日、
信じられない光景がありました。
300名を超えるボランティアが集結し、
更にニュースを見た視聴者からは食糧が寄せられました。
不況の時代、多くの人が自分が生きるのも大変なのに
ブレンデン少年の意志を実行する為に駆け付けたのです。
しかも反響はそれだけではなく、このニュースは
シアトルのみならず、全米ネットに配信された結果
全米に広がり支援の手が差し伸べられたのです。
支援物資はトラック6台半分、募金は6万ドル
寄せられましたが、これは奇跡の始まりに過ぎず、
彼の願いは全米に居るホームレス達の心をも揺さぶります。
ブレンデン少年の姿に、一度は人生に絶望した全米の
ホームレス達は生きる勇気を取り戻していきました。
彼の夢のリストに残された最後の願いは叶えられました。
このあとのインタビューでブレンデン少年は
「 本当に楽しかった。別れのその時が来るまで、
目一杯楽しく過ごすよ」 と、答えていました。
そして間もなくして11月21日、ブレンデン少年は、
ホームレス達の笑顔を見届け天国へ旅立ちました。
享年11才。余命宣告を受けてから3週間めの事でした。
彼の思いは彼亡き後も消える事はなく、彼の名前の元
多くの食料や募金が送られ始めました。記者エリサは、
「 限られた時間の中で、不可能と思えた夢が
実現していくのを目の当たりにして、私も記者として
ベストを尽くしたいと思う様になった」と、述べています。
「 人は助け合ってこそ生きて行ける。ブレンデンは
人を思い遣る心を思い起こさせてくれた。あの子は
地上に舞い降りた天使です」と、彼の母親が
話していた言葉に深く感銘を受けました。
彼は亡くなる直前の、エリサのインタビューの中で
涙をこぼしながらこんな話しをしていました。
エリサ: 「哀しいのはどんな時?」
ブレンデン: 「人が諦める時。みんな夢を追い続けて。
それを誰にも止めさせちゃいけないんだ。」
その言葉通り、彼が天国に旅立った後も、
彼の願いは多くの人々の胸に生き続けています。
彼が亡くなって2年、今もその輝きを失ってはいない。
毎年行われている『ブレンデンのフード ドライブ』は、
100ヶ所以上に拡大している。
KOMO-TV記者エリサ・ジャフィは、難病に苦しむ子供達に
焦点を当て、記者として今も取材を続けている。
彼女は、「精いっぱい生きたブレンデン君をみて、
自分に出来る事は何かを常に考える様になった」と、
瞳を輝かせて言っていたのが印象的でした。
ブレンデン・フォスターという1人の少年の、
命の ともしび が、消え入る寸前の、
哀しくもあるこの感動的なお話を、私は映像ででも、
知ることが出来た事を有り難く思いました。
そして 心あらわれる思いがしました。
一番難しいのは、意識改革だ、と言われますが、
1人の少年のピュアな思いに人々の優しさが加わって
瞬く間に 大きな愛という波紋を呼び、
すさんだ人の心をも溶かし、更には
多くの人達の心をゆり動かし、善を溢れさせました。
人は時に、思いがけない出逢いによって、
本来ちゃんと自分の中に備わり、眠っていた神我が
目覚める機会を得るように思いました。
素晴らしいお話を、ご紹介して下さった、
アンビリバボーのスタッフの方々にも感謝を込めて・・・・