イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

幸福のサインに心ほころびて

2012年09月11日 23時44分49秒 | Art

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今日の午前中

 

開け放っていた東側の窓にふと目をやると
網戸越しに、大きく両翼を広げ 
長く割れた尾が特徴的な燕と思われる愛らしい鳥が
時間にして34秒ほどの間 
部屋の中にいる私の様子をうかがうように
翼はためかせ宙にとどまっていました。
まるである意図をもって姿を現してくれたような

 

その姿は神々しく幸せの象徴と感じさせられました。

話は変わりますが、昨日の夜もまた、
人としての美しい生きざまをプロフェッショナル
という番組で見せて頂きました。

昨日は高倉健さんを取り上げていました。
高倉さんは共演者は勿論のこと、スタッフの方々を
とても大切になさるそうで、撮影の合間の食べ物も
スタッフと同じものでないと手をつけないと、
たけしさんがおっしゃられていました。
    ベテラン俳優の地位を築いていながらも、
  常に謙虚に、高みに登らず、偉ぶらない方こそ、

 

 素晴らしいと感じ 人として学びたいと思います。

何より素敵だな、そうあれたらいいな、と
私自身思ったことは 高倉さんは常に
周囲への気遣いを忘れない方ということですが
ご自身のそういうお優しい部分を表だって
取り上げられることが何より苦手と知り、
人としての美しさを感じさせて頂きました。

良い、悪いのそれではなくて、ですが、
時折、誰かに施したこと、善意を色んな人が
  見るような公の場で 活字で「~をあげました」
「~をしてあげました」と仰る方(報告する方)
お見受けしますが それを目の当たりにする時、
私の中では?(クエスチョンマーク)がグルグルまわり()
あまり美しくないな~と感じてしまいます。そして、
「何故 自分がした事(善意)を色んな人の見る場で
発表せずにはいられないのだろう?」と
       不思議に思います。というのは
  もし、何かを貰ったり、善意でして貰った本人が
自分のことを書かれたその文章を読んだ時
恥ずかしいと思う気持ちや

 

     申し訳ないという気持ちになったり
 心の負担になりはしても、書かれていい気持ちは
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