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イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

私のお城

2012年09月14日 00時45分43秒 | Art (サインペン)

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  私には師と呼べる方はとても少ないように思います。
     以前もブログに書いたことがあるのですが、
生涯変わらない私の師は自然そのものだと思っています。
    昔から色の組み合わせやコントラストを思う時
         自然に瞳を向けていました。
      自身が纏う服の色合いに迷った時も
   お花や蝶や、自然界に溢れる色にゆだねます。

    変な意味ではなく、良くも悪くも人というのは
     絶えず変わっていくものだと思っています。
どんなに素晴らしい人格者と言われる様な方だとしても
       地位や名誉やお金が絡んでくると
  勘違いに入ってしまうということはよく聞かれます。
   人間である限り私たちは 多少の差こそあれ、
    みんなこの地球という同じ学校で学んでいる
     どんぐりの背比べなんじゃないかな、と
            常々思っています。
      なので、心でどんなに尊敬していても
      その方の元で 教えを受けたとしても
   「この先生は兎にも角にも素晴らしい!!ハハーッ」と
        勝手に自分を その方の下に置き

 崇め奉ってしまうような事はしたくないなと思います。
         もし師が「右ですよ」と言えば
   「先生の仰ることにお間違いございません」と
       即 従ってしまう、前にならえ、は
          しないようにしています。
  このことは私が尊敬し信頼するある学びを受けた
       師から教わったような気がします。

       知識も経験も豊富であったとしても
   同じ一人の人間であることには変わりません。

その事を念頭に置いておかないと、ともすれば人は
   自分が成し得ない事をやれる人と出逢った時
凄い! と、盲信してしまう恐れがある様な気もします。
人には平等にちゃんと 凄いもの(才能という光)が
 与えられているのに、いつも周りの誰かの事を
凄い!凄い!と賞賛するのは かけがえのない自分が

  置き去りにされてしまって可哀そうですよね。

 ある域を達した方などは 周りから「先生、先生」と
 特別扱いされる事や、
どんなシチュエーションにおいても
    一目置かれ ちやほやされてしまう事を
   恥ずかしく思われ 望んでおられないようにも
            お見受けします。

  【 自分の上にも 自分の下にも 人を置かず、
  みんな同じ横並びの愛しいドングリの背比べ 】
   そんなことを 心の片隅にそっと置きながら
     一歩一歩、自分の心地よいペースで
     あゆみを進めて行きたいと思います。

あなたの私のオリジナリティーを大切にして参りましょう